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「緑・環境文化を深化させた偉人」
設景家:小林治人(こばやし はると)

1989年4月、「日仏友好のモニュメント日本委員会委員」の辞令を私は貝原俊民兵庫県知事からいただき、日仏友好のモニュメント関連の会議で貝原さんにお目にかかる機会が生まれました。このプロジェクトは、「新しいコミュニケーション文明の創造」をテーマに標榜し、1991年2月13日には国際シンポジュームもスタートしています。
1995年1月12日県立淡路島公園のモニュメント建設予定地においてモニュメント建設の着工式がおこなわれました。ところが5日後の17日早朝、着工式会場近くが阪神淡路大震災の震源地となりこのプロジェクトは頓挫しました。
貝原さんは、大震災からの復興は創造的でなければならないと、復興に不可欠な専門技術者の育成が急務であるとの信念から、淡路景観園芸学校の設立(1999年に開校)さらに2000年には、「人と自然のコミュニケーション」をテーマに「淡路花博2000」の開催、自然景観に恵まれた淡路島の立地を生かした国営公園の設置など意欲的に事業化を進めておられました。これらの事業に関連して、設景家として景観面からの参加が求められていた私は、現地で貝原さんと意見交換の機会がありました。「土取場の岩石がむき出しの巨大な斜面の緑化には相当お金がかかりますね」、とお話したことがありました。貝原さんは「小林さんね、建築のことを考えるとその緑化工事費は心配することはないです」と一言、さらに「無造成斜面の既存斜面のヤマザクラがきれいでしょう」と自慢されていた姿が思い起こされます。
淡路花博2000開催の時には、我々は、「第10回国際造園家連盟アジア地区大会」を便乗開催させていただきましたが、この時地元知事として歓迎挨拶の中で「成長から成熟にいたる転換点の今、自然の摂理に従う生き方を真剣に考えるべきである」と強調されていました。別の会ではレオ・パスカーリアの「葉っぱのフレデイ」に触れ、いのちを考える機会でもあると話されたことが強く印象に残りました。
成功裡に終わった「淡路花博2000」の前年、貝原さんは「中国99昆明世界園芸博覧会」の開会式に参列された後、淡路花博への参考にと広い会場を熱心に視察されていました。
貝原さんは、常に思いやりに満ちたまなざしで人々に接しながら、復興は緑豊かな県土の創造であるとの信念で行動され活躍されたと私は受け止めました。その姿は「緑・環境文化を深化させた偉人」として強く心の奥に刷り込まれています。貝原俊民さんが逝去されたことがまだ信じられません。心からご冥福をお祈りいたします。合掌
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by harutokobayashi | 2015-12-17 19:08 | 公園管理運営士会
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