「公園の展開と設景」
西欧文明から我が国固有の公園文化へ 日本の公園制度は、1873年(明治6年)の太政官布達第16号に公園の制定を伝達したことに始まった。その前後1870年(明治3年)には横浜の山手公園、1879年(明治9年)には横浜公園が誕生している。その背景にはイギリスのパブリックガーデンライフを体現化したいという、横浜居留地に住む外国人側からの強い要望があったことが伺われる。 このような外国人の要望の背景には、西欧諸国において、このころすでにフランス、ベルサイユ宮殿に代表される社交の場としてのパブリック・ガーデンが各地に作られ、華やかな社交の舞台として花開いていた。この華麗な社交の場と並んで、貴族や資産家たちが私有している森はパルク、あるいはパークとして鹿、猪、狐狩りを楽しむ狩場、林苑があった。このような文明を持った横浜居留地の外国人にとって、横浜の山手公園や、横浜公園で狩猟場など不可能なことであったが、パブリック・ガーデンとして異国の地に社交の場としての性格の強い公園緑地が建設された。 1870年代後半からは、ニューヨークセントラルパークの成功によって、世界的にパークが公園の代名詞になっていくが、これは、西欧貴族社会の衰退とともに都市の中産階級が台頭し、それまで特権各級の人々を主役とした公園緑地が一般庶民を主役として迎え入れる時代の到来を意味していた。 日本では、千数百年以上の昔から、日本庭園技術の蓄積があり、やがてそれらを様式化し、伝統庭園文化として世界に誇る文化的素地を確立していたことが、西欧文明を日本固有の文化としていち早く消化し、今日の独自の公園緑地文化に高めることができる基礎ができていた。 反面、このころ江戸の庭園文化を引き継いでいた小沢圭次郎、本多錦吉郎、長岡安平ら、などが、日本の近代都市公園第一号といわれる日比谷公園の設計に際し、独自の案を提案していたが、ドイツ帰りの本田静六博士が、ドイツの片田舎、コーニックの小公園のプランを、持参していたことから、辰野金吾博士が計画にこの案を採用したことに象徴されるように、欧化主義の風潮がいかに強かったかが伺われる。 佐藤昌博士著「満州造園史」によれば、1906年満鉄が創設されて以後、その付属地に建設された公園緑地の数・面積は日本国内のそれに匹敵するものであったという。これらの公園緑地建設にかかわった日本人技術者の考えは、酷寒の気候風土に適合した施設と植栽の研究を深め、さらに一般の住民に喜ばれる内容とすること重点を置いた計画が進められた。特に満州における造園ブームは、1932年以降の満州国時代で、不況にあえぐ日本国内では都市計画・公園事業は遅々として進まなかった。このような時、満州国の建国という新事態に、明治神宮内・外苑の造園、関東大震災後の帝都復興事業の公園緑地事業などで実力を付けていた多くの日本の造園技術者が、勇躍新天地に渡り大いに腕を振るい、その結晶はわずか10数年で日本が明治初年以来蓄積してきた公園緑地量を上回ったという。 現在、この当時の公園緑地の多くは名称、施設内容が異なっているとはいえ中国人民政府によって管理され現存し、多くの市民に四季を通じて利用されている姿を現地で見て、公園緑地の持つ文化性を強く意識した。 このような、現代では想像できない多様な国家的変革の中で、命がけで公園緑地事業推進に打ち込まれた諸先達の経験から得た成果が総括的に反映した意味で、1956年の都市公園法の制定は、日本固有の文化としての公園緑地の制度的位置付けをしたものとして画期的なものであった。 都市公園法制定以来、公園緑地文化を支えるため繰り返された幾多の、公園緑地事業計画策定と予算の獲得、公園緑地建設のための調査・研究・企画・計画・設計・施工、など目的物完成までかかわったそれぞれの専門家の物語など、公園緑地文化事業にかかわりを持った人々の悲喜こもごもの熱い思いを感ぜずにはおられない。 20世紀末から21世紀初頭の現代では、19世紀末と大きく異なり、開かれた国際的文化交流の中で、日本的な造園文化の評価を高めながら、一世紀前に導入された西欧文明が、新しい日本固有公園緑地文化として、国際的に発信する時代になったことを痛感し、新しい世代の感性と新しい発想力を育みながら、公園緑地文化創造に励みたい。 多様化が進む余暇利用 公園緑地の評価は、人によって異なり多様である。地域ごとに微妙に異なる環境・習慣などを反映させたつもりでも、ある人にとってはこの公園緑地は良い、またある人にとってはこの公園緑地は良くない。同じ人でもその時の気持ちのありようによって希望のあふれた公園緑地として喜ばれ歓迎されたり、逆であったりする。 このようにして、建設された公園緑地利用のされ方も多様化が進み、利用者ニーズへの対応を考えた公園緑地管理運営業務のあり方が問われる。 「レジャー白書2004」の余暇をめぐる環境を見ると、 ①労働時間が増加している。これは平成15年の年間総実労働時間(規模30人以上)は、1846時間、と前年に対し9時間の増となっている。これは15年度後半からの製造業を中心とする企業業績の回復傾向を示すものである。しかし、余暇時間がとりにくいことを意味している。 ②家計収入。支出は6年連続減少し、支出では交通・通信費、特に移動電話通信料の増加が教養娯楽費などを圧迫している。 ③「ゆとり感」の回復は見られず。心理的にも「ゆとり感」は平成13年度頃に比べて回復していない このような余暇をめぐる基本的環境、時間的、経済的、ゆとり感といった面では公園緑地で余暇を楽しむという図式になりがたい感じであるが、余暇関連産業・市場は平成15年で82兆1550億円の巨大産業であり、娯楽部門のパチンコ市場が大きな比率を占めている。こうした中でフィットネスクラブ(スポーツ部門4兆4670億円)デジタルAV機器(趣味・創作11兆4930億円)ゲームセンター(娯楽部門56兆790億円)観光・行楽部門10兆4590億円などが好調である。 これら余暇利用者の動態調査結果傾向に対して、積極的に余暇利用者を公園緑地に誘導する仕掛け造りが必要になった。それは、公園緑地の持つ生き物空間と、人類の英知が総合化された総合環境文化として公園緑地創出への挑戦である。公園緑地関係者に幅広い人間研究者としての素養が求められる業務であることを改めて思い知らされる。 激しく変化する社会との対応の中で、人々が公園緑地に期待するものがどのようなものなのか、人々の心の動きを常に観察していなければ、公園緑地に何を造るべきかがわからないことになる。その点から言えば、最近の公園緑地管理は急速な進歩を成し遂げてきていることは心強い。 大都会の多くの生活者が、乱立する高層マンションの狭い住居で個人の庭がもてない人が増加傾向にある中で、身近な生活圏域の中に系統化された公園緑地がまだまだ整備されないと、今まで以上に求められる地球環境問題、防災、生物の多様性などなど必要不可欠な機能に加えて、人々の心を癒す花や緑に触れたい、小鳥の声も聞きたい、風にそよぐ新緑の梢をめでたい。孫の手を引いて落ち葉の中を歩きたい。などなど、この何気ないささやかな生活者の願いをかなえることが、余暇利用の場所として市民生活の中に定着していくことになる。 100有余年前、パーク、あるいはパブリック・ガーデンとして伝えられた西欧型文明が、日本の各地の風土の中で、独自の個性を持った公園緑地として根付着つつある今、パチンコに代表される屋内娯楽需要者を、屋外の地域文化の拠点としての公園緑地に誘導する仕掛けとして、「情報デザイン」の概念が必要になる。それは、公園緑地にとっての必要不可欠な基本情報を効率よく伝えるために美しく、過剰でおせっかいにならない情報サービスに加えて、公園緑地利用が、日常生活のプログラムに組み込まれ、空間造りと管理運営が一体のものとして機能する検討が今後の課題である。その意味では指定管理者制度の有効的成果を期待したい。 設景について 公園緑地を文化として捉えたとき、私は小沢圭次郎がデザインの訳語とした「設景」を用いることがふさわしいと、日常考え利用してきた。以下、デザインを設景、デザイナーを設景者として表記する。 設景とは、前記したような公園緑地を利用する一般の生活者がもっとも求めているものを、設景過程の中で、生活者とのコミュニケーションを密に図りながら、ひとつの道筋として示すことである。この道筋を示す時、設景家が一番いいと思うもの、最高といえるものを人々に提供することであり、その行為は最高に謙虚なことであると思う。 他方、設景の仕事にはビジネスが伴う。ビジネスの側面から社会資本整備事業としての公園緑地設景を見ると、設景家の選択について公平性が求められ、基本的には設景という知的サービス業務が物品取引と同じ、入札制度によって決定することが普通とされるようになった。一見平等に見えるこの制度は、事業を方向付ける哲学、理念が明示されぬまま、入札金額の少なさで評価されることが多く、多様な公園緑地利用者の要望も好ましい姿で公園緑地竣工に反映させることができないのではないかと懸念する場面もある。 このような気持ちを持ちながら、現在の入札制度の下で設景の課題を処理しなければならない。公園緑地を利用する顧客が求めているものがわかっていても、現場に結びつかない場面も発生することとなる。 生活者を豊かにする公園緑地の内容は、公園として必要不可欠な条件を満たした上で、さらに文化としてのブランド力を付加させる内容でなければならないが、そのためには知的サービス業への正当な評価と、習熟度の高い設景家を選定する仕組みづくりが必要である。 設景家は、公園緑地を後ろから支え、時に先頭に立って引っ張ってゆく気概を持たなければと思う。そのために設景家は、人を知る専門家として、エコロジカルに人間の習性を学び、文化人類学的、社会学的、哲学的、宗教的に人間を心得て、多用な生き物の技術を人々の知恵と融合化、総合化して、公園緑地として空間化する現代の石立僧であるべきではないだろうか・・・。 人と生活環境とのかかわりの原点を良く見、経済・科学一辺倒で見ようとする社会の動きを抑制し、生き物と人の心の交わりが薄れすぎないよう交わりの場面を多くし、生き物の技術を基盤に進める公園緑地事業が、生き物の世界を科学しながら、生き物への畏敬の念、木々の緑や草花に囲まれてすごすことへの感謝の念を抱かせるような雰囲気を醸成する設景内容を、公園緑地情報として発信する時代になったとも言えよう。 参考文献 ①上原敬二著 「この目で見た造園発達史」この目で見た造園発達史刊行会 昭和58年12月10日 ②針ヶ谷鐘吉著 「文明開化と公園」 (財)東京農業大学出版会 平成2年5月20日 ③白幡洋三郎著 「近代都市公園史の研究」欧化の系譜 (㈱思文閣出版 平成7年3月1日 小林治人著 「設景」その発想と展開 マルも出版 平成8年2月25日 ④「レジャー白書2004」に見るわが国の余暇の現状と課題 ⑤佐々木歳郎著 「ブランデイングと情報デザイン」 設景塾講演資料 平成18年7月21日 ⑥機関紙「公園緑地」57巻4号、61巻1号・4号
by harutokobayashi
| 2006-10-16 09:49
| 設景の思想
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