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サッカーサポーター
「日本サッカー狂会」

 今日もこの8月に調布から移転したばかりの府中の仕事場で、山積みされた資料の整理を行い帰宅したところ、故池原謙一郎さんの奥様から「お元気でおたんじょうびをおむかえになられますこと嬉しく思っております。この本をパラパラとめくって笑っていただけたらと思いお送りいたします。池原和子。との添え書きと共に「日本サッカー狂会」編者:
日本サッカー狂会、発行者:佐藤今朝夫、発行所:株式会社国書刊行会(電話 03-5970-7421)2007年7月25日初版第一刷発行が送られてきていた。
「ドキ!」とした。なぜかというと、先ほどまで資料を整理していた中で、池原さんのサッカー狂会関係の写真などをファイルに仕分けなどした後だったからである。
私は1964年5月に官職を辞し、最初に訪れたのは建設省、日本住宅公団とお勤めのあと、日本技術開発株式会社に転職され、世界デザイン会議、国際造園家連盟日本大会などの準備に追われていた池原謙一郎さんであった。
その後、池原さんが「環境計画研究室」を創立され、ランドスケープ・造園の計画設計を専業とされるようになってから、駿河台、原宿とご一緒することとなった。
そんな関係から、不幸にして原宿の事務所で倒れられてから、池原さんの資料などお預かりすることなり、池原さん関係の資料は、調布の私の仕事場に移して今年の8月までそこに大切に保管していたのであるが、再度府中に移転、このように何回か資料の移動整理をせねばならなかった。そんな時、この「日本サッカー狂会」関係の資料は守らなくてはと思いながらも、「FOOTBAOLL」「サッカーマガジン」がダンボールに詰まって積まれていたが、この種のものは狂会仲間の方がお持ちであろうと勝手に判断し、泣きたい気持ちを抑えて廃棄せざるを得なかったがこのことなど気になっていた。
また、国際試合の度に、1人原宿明東ビルの仕事場で徹夜して応援の垂れ幕を作成されていたが、この垂れ幕と応援用具などについては奥様にお渡ししたものの、まだ狂会関係のメモなど整理しきれずに今日に至っているものを目にしていたわけで、この貴重な資料をどうしたものかと思案し続けていた矢先であったので、今回の「日本サッカー狂会」の著書を拝見して安堵し、救われる思いがした。
脇田敦様初め出版にご努力された関係者の皆様の熱意とご努力に心から敬意を表し、感謝を申し上げたい。
この本を手にして直ちに和子奥様にお礼の電話をしたところ、毎日吉祥寺の駅で買い求めた10種類以上の新聞から、原宿の事務所でサッカー関係の記事を切り取り時には破りとり、それを家に持ち帰った池原さん、スクラップブックにきちんと整理されるのが奥様の仕事、この関係については狂会の後藤さんが本にまとめられたと伺った。
by harutokobayashi | 2007-09-12 05:15
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