叙勲
2007年11月3日新聞で秋の叙勲名簿が発表された。私の場合、旭日小綬章が授与されることとなり、専門工事振興の功績ということであった。 11月9日 国土交通省叙勲者334名の伝達式が、グランドプリンス赤坂の五色の間で執り行われることとなり、旭日小受賞者9名を代表して、冬柴鉄三国土交通大臣から勲記・勲章を受け取った。「日本国天皇は小林治人に旭日小受賞を授与する 皇居において璽をおさせる 」 というものである。 家内と共に壇上に上がったが、事前にその時の所作についてメールでメモが送られており、さらに当日式典進行担当者から丁寧な説明を受けていたので、全体の流れは理解していたがやはり緊張するものである。 伝達式会場は10時から受付、10時30分から式典、11時40分くらいまで1人1人の名前が呼ばれ、そのつど大臣は会釈され大変な重労働だと感じ入ったしだい。 12年前の褒章の時には、会場も建設省の大会議場であり時間もそんなにかからなかったように思う。とにかく12時50分から午後4時近くまでトイレがないということで、朝から水分を控えて、皆さんこの点が一番気になったことと思う。 伝達式の後は、紅白饅頭と昼食の箱寿司を国土交通大臣からいただき、それぞれ軽く寿司などを食べて、12時50分に再度会場集合、13時に国土交通省関係者が15台のバスで皇居へ、わずか15分で皇居到着、その後14時30分までバスの中で待つ。 バスを降りて、豊明殿へ向かう。29段の階段を登り左手に栗石を敷き詰めただけの中庭を見ながら右手宮殿へ、14時50分左手前の引き戸が開き、侍従、天皇、侍従長の順で天皇陛下が会場にお見えになった。中央壇上に天皇が御立ちになったとき一同礼をし、代表が感謝の辞を述べる。すぐ後に天皇陛下のお言葉「このたびは叙勲おめでとう。皆さんはそれぞれの道で国のため、社会のため、人びとのために努力されたことに対し、感謝します。これから皆さんは体に気をつけ、それぞれの道でご精進ください。というような内容であった」を賜り、後天皇陛下は会場を一巡なされ退席、2メートル近くで拝謁したときの陛下の目の下は黒く隈が出ており、お疲れのご様子であった。公務が激務であることをうかがわせた。天皇というお立場も中々大変なことであるなということを痛感した。その後叙勲者は豊明殿を背に記念写真を撮り、御下賜の御品としてドラ焼き(菊焼残月)3個と皇室アルバムをいただいて、15時30分にバスでホテルに戻り解散 それぞれ記念写真の撮影などホテル内は混雑した。 この日のために全国各地からお見えになった方々はさぞ大変なことであったと思う。
by harutokobayashi
| 2007-12-11 22:12
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