「ベルゲン作庭日記」
2008年4月3日 6時半に調布の自宅を出て、8時3分新宿発成田エクスプレスにて成田第一空港へ、すでに同行の鶴巻栄、栄一父子、渡辺仁、小川公一の4氏は待っていた。 今回は、茶屋を建設することと、石灯籠、石塔の設置と枯山水周りの植栽、石庭周辺の築山造り、茶屋前庭のほか友好の庭全体の仕上がりをチェックすることが目的、茶屋については2月12日に横浜港より資材と関連道具などの積み出しを終えていたが、冬の事もあり、途中船の日程が遅れ3月31日BERGEN着の予定が3月6日到着と約一週間の遅れで心配だった。 茶屋の現場については大工 鶴巻栄さんを棟梁にご子息栄一さん、板金工渡辺仁さん、石匠並びに監督小川公一さんら4人の専門の職人さんに任せるとして、私は全体の見直し特に枯山水と石庭の様子が気になっていた。 成田空港でチェックインするに当たり荷物の重量が問題となった。各自使用する電動の機材類が多く重量オーバーが問題となった。1人20Kgをオーバーしてしまうため手荷物などと分散させ、なんとか受け付けていただく、ヨーロッパでは30Kg以上の荷物は扱わない。また特殊な機械類はいったんカウンターに預けた後、検査官がトランクを開いて中身のチェックもされた。機材はチェックしやすい荷造りが必要と感じた。 SK984便は11時40分に予定通り成田を離陸、コペンハーゲンまで11時間10分、通常より少し早い到着であった。 コペンハーゲンT3ターミナルC5のゲートから17時05分発にてBERGENに向かう。 通常ジェット機なのにプロペラ付きのターbpジェットだ、同行の4人は珍しがり記念撮影、飛行時間約1時間半、やっと着いたと荷物を受け取りながら、いつものベルゲンと違うとことに気が付く、通常使用するジェット機のトラブルでBERGENまで飛ばないとのこと、ノルウエー北端捕鯨の街SANDEFJORDの降ろされてしまった。 ともかくあれこれ協議の結果、今夜はSASの準備してくれたこの街のホテルに宿泊することした。何でもこの街は歴史のある街らしい、特にクジラ捕鯨の母港であったということで。ホテルの入り口には捕鯨のための道具が飾られていた。 同じBERGEN行きの地元の青年たちと冗談を言いながら過ごした日であった。鎌倉で隠居仕事中とおっしゃる関屋ご夫妻とも一緒になり、何かと助けあってオスロ経由にするか、列車にするかバスで500Km走行するかなど、航空会社の事情なども判断させていただいた。(4340歩) 4月4日 6時15分にバスに乗り再びSANDEFJORD空港へ、7時15分発の飛行機でBERGENへ、この時席が2名分不足していて関屋ご夫妻のご協力で我々は5人一緒に搭乗することができた、関谷様ありがとうございました。 無事なつかしのベルゲンに着くと通常は飛行機時間が伝わっているために仲間の出迎えがあるが、今回はなし、ベルゲンの友人たちは空港で待ちくたびれ、治人はナゼTELしないのかと思っていたようだ。うっかり荷物に入れたままだったことが迷惑をかけてしまった。空港はホテルも近いので5人乗りタイプのタクシーで9時半ごろ空港近くのTHON Hotelへ着いた。 10時半ブリュニエフさんより電話、事情説明の後現場へ、ヨルゲンセン教授はオスロの国際会議に出席の前我々に逢う為わざわざ現場に来てくださった。来週の金曜日にお帰りになるとのこと、それまでに茶屋を完成させますから楽しみにしてくださいとお伝えする。 我々はその後、滞在中の工程を打ち合わせ、足場機材のレンタル屋から一式借用、車に連結した後、必要な機材の購入と、飲み物・果物などを購入してホテルに帰った。 午後6時半でも明るいのでこれなら遅くまで仕事ができると、ビールを飲みながら語り合う。あれこれ細部の打ち合わせを行った。またお互いのドコモワールドウイングのチェックをして連絡網を確認した。 今回の同行者は皆さん現場で鍛えた日本を代表する職人さんの頭、頼りになる皆さんだ。(5865歩) 4月5日 目が覚めたら午前2時半だ、今こちらはサマータイムだから日本はあさの9時半だ、 いまさら眠ることもならず、撮影したビデオと、デシカメ写真の整理、7時15分から仲間と一緒に朝食、時として日本食でなければと言うような人がたまにいたが、今回の皆さんはそのようなことは一切関係なし、食欲も皆さん旺盛で何より安心した。 ブリュニエフさんは、庭園周辺居住地権者から庭園建設の同意を集めたりするため遅れるというので、8時に5人乗りTAXIを呼び現場へ、早速基礎石収めのため、既に打設されていた鋼管杭、鋼板、ンクリート基礎工事のレベル、座標位置など微妙調整をコアーカッターなどを用いて行う、この作業が大変で半日かかった。あと 足場組立てをして小屋組みの下準備はOK、今日は終日雨交じり、風が強く寒さがきびしかった、植物園の管理棟で昼食をとり体を温めた。 午後7時日本製の超大型トラックが、40フィートの巨大コンテナーを積載して到着、この大きなコンテナーをトラックの前後のアームで吊り上げ一気にトラックから降ろす方法ははじめて見たが見物だ。早速コンテナーを開けると2月12日横浜を出てから2ヶ月の船旅を終えた荷物はコンテナー全体が水滴で覆われて一部カビが生えていた。検疫の消毒薬の水分である。木材も水分を吸って膨らんでいる感じだ。まだ日が高いというので9時まで荷おろし、あまり遅くまでがんばると応援してくれた地元の方に悪いので約半分をコンテナーからだし、今日の作業は終わるとことした。長い一日であったが、同行の親方たちは荷物が届いて元気そのもの、僕は感服するばかり、ホテルでのビールとワインがうまかった。明日の天気を祈るのみ(9767歩) 4月6日 5時半起床、気分爽快時差など関係ない感じだ、しかし、僕は今年に入って痛み出した右ひざ、これは想定外、注意して作業にかかることにしているが歯がゆいこと・・・。 朝からコンテナーの中から約半分の資材おろしを終え、棟梁と、基礎の深さ調整、遠くから眺めて棟の高さと周辺との空間構成全体をチェックして柱高の決定をする。 日曜日なので我々の作業を見学する者が多い。 朝から地元の青年大工2人が参加、作業の流れなどの理解が早い、また身長が高く脚立が無くても作業できる部分があるなど大いに頼もしい。明日は屋根工事作業、室内造作などをしてもらうことを話すと二人は大喜びだ。さらに鶴巻親子の呼吸の一体感はすばらしい それに引き換え年齢とはいえ、今年に入って始まったひざの痛みに苦しめられる僕の情けなさ、今後の現場のスタンスを考えねばならないとは・・・。(7633歩) 4月7日 茶屋組立組と別れて、小川さんと三脚雪見の組立てを行う。公道に面して日本庭園の存在を知らせるために重要な作業である。普通の灯ろうとことなり三脚の取り付けが大変であり危険な作業でもある。レベルをチェックしながら何とか収めることができた。 続いて春日灯ろうの設置、他植栽の指導などで一日が瞬く間に過ぎる。茶屋は順調に作業が進み、明日はサッシュ組立て、耐力壁工事がある。 TVの取材があったので庭の意義について語った。 夜はテンダーロインステーキでまずは乾杯 (19450歩) 4月8日 今日は五重塔設置、枯山水の修理、今回のプロジェクトのスポンサーになっていただいたトンムーンさん宅にお礼に行く、草屋根の現代建築、多島海を臨むすばらしい立地にあるお住まいは海岸の荒磯の上にあるすばらしいお住まいだ、我々はすばらしい世界に愕然とする。早速僕は建物と庭全体を拝見して提案した場所は、ムーンさんが考えておられたところとまったく一致した。 大きなガラス越しに、リビングルームとダイニングルームから見える場所にお礼の古代六角雪見灯籠を設置、ムーンさんが湖で釣った鱒を自ら刺身と燻製にしたものをつまみサントリーの「響」ウイスキーを馳走になりながらお話をお伺いした。大阪には年に2~3回いかれるそうだ。 また庭園近くのオデフィール家へも、我々が何回か食事の接待などお世話になったお礼に玉手灯籠を寄贈設置、帰りに寿司を馳走になった。以前訪問したときは庭のぜんまいをたくさんとってホテルで湯がえ出翌日地元の人に馳走した。蕨には毒があるとこちらでは食べないとの事であった。 現場に戻ると屋根工事は順調に作業が進んでいた。今日は8時半までで現場を去る事とし9時からビールで魚料理を楽しんだ。 食事の後全員、体全体の疲れがでてぐったり早く寝よう。(14309歩) 4月9日 泥睡して起きたのが6時半、まだからだが重い、重い石灯籠など運ぶのがこたえる年齢になっていることを自覚させられる朝だ。今日は植栽関係を全体的に見よう 2006年に設置した主入り口の春日灯籠を、地元の石やさんが固定するとき、基礎と中台が直接積まれ竿の上に火袋になっていた、今回気がつかなかった僕は大変な恥ずかしい思いをするところだった、いったん固定したものを組みなおすのは新規に組むよりかなり大変だ、小川さんががんばってくれたおかげで元に戻せた。基礎―竿―中台―火袋―笠―宝珠が正しい。 まだ石庭周りのマウンドと枯山水が気がかりだ。以前から個々には巨木が枯死し朽ち果てようとして横たわって苔むしていた、ころを今回幹を立ててみた、命の循環を感じさせる存在として象徴的存在としてだ。通常このようなものは撤去してしまうが。昔からここで育った巨木を捨てがたい、巨木を栄養源として育つ次世代の幼木と苔、種の持続、生命力のたくましさと仕組みに改めて心打たれる。 夜はブリュニエフさんの家で奥さんの心づくしの魚料理をご馳走になる。サントリーウイスキー「山崎」で懇談しながら、我々のニュースTVを見せてもらう。(18445歩) 4月10日 昨晩は23時50分に眠りにつき今朝は6時半起床、熱いシャワーで目を覚まし体も少し柔軟性が出たような気がする。 今日は茶屋をほぼ完成させる意気込み。僕は枯山水周りのコケ張りと植栽をしながら茶屋の工事工程を確認するため、敷地内を行ったりきたりで結構歩く、右ひざの激痛が苦しい、周りの人に迷惑をかけないように5年間使用した工事指揮棒を杖代わりに、極端な負荷を右ひざにかけないよう注意しながら・・・・。 午後4時半にわかに雹(ヒョウ)が降る。屋根工事の最中でなくて良かった。 茶屋は既に屋根工事が終わっているので内装工事に影響は無い、長雨になるかと思ったら30分くらいでやんだ。 今日は作業の見通しが立ったので仲間にベルゲンを案内することにした、まず登山電車でフロイエン山に、下では小雨であったが300メートルばかり上ると雪だった。寒いので長居は無用、夕暮れの街を見て下山、魚市場でロブスターのデカイのを馳走しようとしていたがあいにく店舗が改装中、仕方がないので市場前の、長江で食事をすることとした。日本食と変わらぬ味に皆さん喜んでくれた。小雨の中を中心市街地を案内し、ブルニエフさんに送られてホテルに戻ったのが11時半、熱いシャワーで体の痛い箇所を丁寧にケアーしてすぐベッドに入ったが、今日も足を引きずってよく歩いた。明日も注意してしっかり歩こう。(23715歩) 4月11日 ぐっすり寝てしまい起きたのが7時25分、今日はセレモニーを行う日、日本式に言えば棟上式の日だ。茶屋の工事は最終仕上げに向けて全力発揮。午後3時に茶屋工事は終了させて棟梁鶴巻栄氏さんは棟上式のセレモニーに向けてヘイソクなどの準備だ。小川公一、鶴巻栄一、の二人は瞑想の丘の縁台を作成、僕は庭園全体の不備なところをそれぞれ指摘して5月までに仕上げるようにお願いする。 6時からセレモニー、新聞TVなどでセレモニーを知った人たちが多数見えている。 さて、このセレモニーをどのようにするか考える時間も無くスタート、ブルニエフさんの開会挨拶の後、僕が日本と地元の大工さんたちをを紹介、棟梁鶴巻栄さんの名前は栄えるという意味であり、その息子栄一さんとの呼吸で木組みの精度の高い、日本の大工仕事として恥ずかしくないものができたことを紹介、この建物を風雨から守る屋根工事の専門家渡辺仁さんの卓越したガルバリュウムの屋根、この屋根は最新の素材でノルウエーではまだ利用されていないのではないかと紹介、銅葺き屋根の緑錆の色はナチュラルカラーで周辺の風景に合う。 茶屋工事のサポート他、石灯籠、石塔の組立てなどでは小川公一さんが卓越したセンスで全体を見ていただいたことなど紹介、さらにこの工事が順調に進んだのは二人の地元の若き大工さんがいたことも含めて紹介、二人は日本の木組み、その他ノコギリ、道糸その他道具の違い、精度の高さなど、特に曲尺のすごさに驚いたようだ。 せっかくのセレモニーにたくさんの近隣住区の方々、ベルゲン在住の日本人の方が多数お見えだったので皆様の出し物に日本のめでたい民謡を僕が披露、あと鶴巻さんの3本締めでセレモニーを閉めた。その後、地元で働く千代子さん差し入れの虎や羊かんで相根義昌(サガネヨシマサ)さんのお点前でお抹茶をいただいた。このような自分たちの現場でいただくお抹茶のすばらしさについてその表現の言葉を知らない。 4月12日 茶屋チームは昨日で作業が完了したので、今日は僕が茶屋の庭を制作、茶屋チームの皆さんは、はじめてのベルゲン観光にでかけていただき僕とブルニエフさん、そしていつもサポートしてくれる大学のスタッフ2人と作庭にかかる。日曜日無理をして作業をサポートしいていただくためオイステインさんは二人のとても可愛い6歳の男の子と5歳の女の子を連れてこなければならない家庭の事情があったようだ。重機の動く中でブルニエフさんが上手にこの子達の面倒を見ながら僕をサポート、そのうち男の子がお手伝いすることありますか?と可愛い問いかけ、イエスプリーズ ヘルプミーとジョレンを渡し砂利の敷きならしてもらいながら、幼い二人を退屈させないようにみんなで気を使いながら作業を続行、午後3時に下地作りは終了、今回のビックジョブはこれにて終了として、今夜は地元の日本人の皆さんと、オーゲさんの家でクジラの刺身パーテイに行くこととなった。 午後7時半頃から始まったデイナーでクジラ肉を刺身で満腹するまで食べた。こんなにクジラを食べたのはこの30年間は無かったように思う。皆同じことを言っていた。夜中の12時にホテルに戻った。 明日は7時半にホテルを出て現場を見、空港へ向かう予定。荷造りをせねばならない (14467歩) 4月13日 オーゲさんの家から帰って床に就いたが、仕事の事がひと段落したためか、なんとなく興奮していて寝つきが悪かった珍しいことである。5時半にシャワーを浴びて荷物の整理、外は小雨、植えつけた苔には最高の贈り物、昨日一日現場を見ていなかった茶屋チームの皆さんに僕が腕を振るった茶屋の前庭を見てもらうためブルニエフさんの車で現場へ、オラブさんも現場に見えた。石の力はすごいと一日の変化に驚かれていた。設景家を自称する僕の魔術だ。近くに転がっていた石を使用したため造型に無理もあるが・・・。 現場で記念写真を撮影の後空港へ、道具を入れた我がチームの荷物は重く、ヘビーのラベルが付く、SASのスタッフが石のようにヘビー日本人と笑っていた。おそらくTVか新聞で我々のニュース記事を見ていたのだろう。ベルゲンの美しさはこの雨に育まれた緑に負うところが大きいと共に、この窓口の女性のようにおおらかな人びとの心が支えているのだ。 羊牧場が盛んであった頃の西ノルウエーの牧野景観が森林景観に変化していく時代の中での作庭プロセスでもあった。 来月は17日のナションマルデーに続いて友好の庭のオーぅニングだ、今回気になったところが終焉されていることを期待して去ることにした。 オラブ、ブルニエフお二人の見送りを受けて機上の人となる。離陸してすぐ左下にヨットハバーと友好の庭の現場が見える美しい海岸だ。 コペンハーゲンでは成田行き飛行機に乗継ぐまでに時間があったので仲間に観光案内をすることとした。人魚の像、アンデルセンの像、王宮、チボリ、など話題の場所を回った。天気もよく日曜日であったこともあり各種の広場では各種の楽しい光景が見れた。 4月13日15時05分初の飛行機は、10時間15分前後で、日本時間4月14日の9時30分に成田に着いた。その間よく眠れたので長さを感じなかった。(5460歩)
by harutokobayashi
| 2008-04-15 06:52
| ベルゲン作庭日記
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