園遊会


園遊会
2008年春の園遊会にお招きをいただいた。「天皇皇后両陛下には来る4月17日赤坂御苑において御催しの園遊会にお招きになりますので御案内申し上げます」という菊の御紋章入りの立派なご案内に、一瞬これは大変と戸惑いながら、早速考えた心配が服装であった。案内には①男子は、モーニングコート、紋付羽織袴、制服または背広②女子は、デイドレス、白襟紋付又は訪問着等と記されていた。雨天でも園遊会は行われます。激しい雨風等の荒天のときは、お取りやめになることがあります。おとりやめの場合には、午後一時から三時まで、会場を参観することができます。と丁寧に記されていた。
長年神宮外苑から権田原交差点をまっすぐ四谷に抜ける時とか、青山通りを通り赤坂見附に抜ける時、赤坂離宮の森を眺め広々とした園地の様を想像していたものであったが、思いもよらぬ形でその中を参観させていただけるということで、胸が躍った。
 早速、造園修景大事典の第一巻 12~13ぺージにかけて前島康彦博士の記された あかさかりきゅう(赤坂離宮)を紐解いてみた。
1632年(寛永9年)紀州徳川家に与えられ、以後中屋敷(総面積66.6ha)として利用されてきた。庭園は1661年(万治4年)築庭に着手されたものとのこと、幕府お庭造り山本道句・蒲田庭雲がこれを司り、別に千宗左・千賀道円も作庭に参加したとある。
園は大名庭園の特徴でもある大池泉を回遊する形になっており、天皇皇后両陛下、皇族各殿下もご一緒に池泉沿いの園路をゆっくりと招待者とお話になりながら一巡してご退出になられた。この間約1時間40分、当日はたまたま小雨が降り始め、陛下はシルクハットと傘をご自身でお持ちになりながら、穏やかな笑みをたたえられて「よく来てくれました」とか「危険な仕事大変ですね、気をつけて・・・。」と丁寧にお言葉を賜るお姿につい緊張と感激が走る。私は、庭をつぶさに見たかったのでメインと思われる場所と池を挟んだ反対側の招待者が一列にしか並べない場所にいたのが幸いして、親しく1m前後の近くで両陛下ならびに御皇族の皆様にご挨拶できたことはまたとない思い出になった。秋篠宮殿下が私の名札をご覧になられ、「私は造園が大変面白いと興味を持っています。長野で進士さんのお話を興味深く聞きました。建築は建てた後から衰えていきますが造園は成長します」私は「はい進士さんは仲間です。今日の雨でこのお庭の緑が生き生きと輝いております、造園は命の空間ですから、」とお答え申し上げたところ、さらに「小林さんは東京にお住まいですか?」ともお聞きになられ、同妃殿下がそばから「殿下は時々お庭の木の手入れを楽しそうにやっておられます。」とにこやかに語り掛けられ数分間の予期せぬ出来事であった。
当日は、1943名の出席者がおられたとのことであったがさすがに広い御苑、4箇所に出入り口、喫茶所のテントが大小11箇所設置され、それぞれ焼き鳥、ジンギスカン、海苔巻き、サンドイッチ、ちまきすし、その他食べやすいおつまみと各種のドリンクが自由にいただけるように配慮されていた。招待者は全体的に高齢者が多いため、すべてが食べやすいように注意が払われていた。
MSNエンカルタ百科事典ダイジェストによると、かつて赤坂御苑は赤坂離宮内で西園(さいえん)と呼ばれた所で、尾張徳川家の戸山荘、水戸徳川家の後楽園と並び徳川御三家の江戸における三大名園といわれた場所とあった。おおくの大名屋敷の庭園が喪失した中で、この地が1872年(明治5年)皇室に献上されたことにより今日まで温存されてきたことの意味は大きい。私の生涯にとってかけがえのない一日であった。

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by harutokobayashi | 2008-05-02 11:23 | 設景の思想
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