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造園設計職能の変遷
「造園設計職能の軌跡と展望」
はじめに
2011.3.11東日本大震災を経て、社会的変貌が余儀なくされる中で、造園設計・造園設計者(以下設計・設計者と略す) の20世紀後半における設計職能誕生前後から現代までの軌跡をたどり、明日への展望を考える資としたい。
設計の対象は公共造園と民間造園に大別される。公共造園は入札制度のもとで、手段であるべき経済活動・業が目的化され業の目標に向けた手段と化し、本来設計は精神性と生活方式が合致した質に美意識が集中されるべきであるが、業と質のはざまで苦慮している事態がある。設計者が内発的に造園文化形成を提言し、人々が安全・安心して暮らせる生活の場を支える職能として、具体的に設計者として実像を示せているかが問われる。
黎明期の組織化されない時代の先達たちの活動記録保持と、記録の正確を期すために関係者の実名を記させていただいた。関係者にはご理解いただきたい。名称には敬称を略させていただいた。
造園設計職能の黎明期
昭和25年 1950年6月~1953年7月「南北朝鮮動乱」によって日本は戦後復興に弾みがつくという皮肉な社会状況の中、米軍接収財産施設(GHQ)の設計に下山重丸、東京都の戦災復興公園設計には、井下清、以下都の職員など自治体内部で設計を実施していた。その他、旅館ホテル等民間施設の庭園設計は、戦前からの作庭家が個人的な立場で設計の分野を担ってきた。
1950年6月「ガーデン協会創立」、1954年(社)日本造園学会がIFLA正会員に、1955年日本住宅公団創立、1956年日本道路公団設立と組織・団体・制度の基盤が整い、神武景気のまえぶれ状況を呈しつつあった。
そんな中1957年6月、北村信正は、池原健一郎を誘い「遊び場の研究会」発足を呼び掛けた。この会には小川信子、石川岩雄、川本昭雄、伊藤邦衛、田畑貞寿らがいた。
この研究会は、会の成果ともいえる入谷南公園落成を機に活動に終止符を打った。
しかし、この活動の流れは1957年にスタートした「造園懇話会」に引き継がれた。(ランドスケープデザイン第2号~6号に連載、設景の思想、小林治人参照)。
1958年8月には、伊藤邦衛、池原謙一郎、石川岩雄、清水友雄、田畑貞寿、中島健らが「庭のデザイナー6人展」を銀座村松画廊で開催している。この催しは戦後我が国における最初の造園設計作品展となった。
6人展の案内状
さらに、我が国最初の「世界デザイン会議」が東京産経会館にて、1960年5月に開催された。造園関係者としては佐藤昌、中島健、池原謙一郎、田畑貞寿、前野淳一郎、三好勝彦らが本会議に出席し、第4部で池原謙一郎が霞友会館造園、入谷南公園等発表をしている。
このような斯界を取り巻く状況の中で、1964年5月第9回IFLA日本大会が佐藤昌イフラ日本大会実行委員会会長のもと、「人間生活における造園」をテーマに開催された。その成果が横山光雄編集主筆を中心に坂田道夫、前野淳一郎、田中正大、池原謙一郎、田畑貞寿らの編集協力によって「日本の造園」としてまとめられた。
 第9回イフラ日本大会報告書
造園設計事務所連合発足
このIFLA世界大会開催に先駆けて、1964年3月池原謙一郎、伊藤邦衛、林茂也の3名が連絡幹事となって、造園設計事務所連合の設立を働き掛け、荒木芳邦、飯田十基、井上卓之、小形研三、小林治人、島田昭治、関田次男、田辺員人、中島健、中村善一、西川友孝、吉村巌が集まって英文併記の名簿を発行して、5月のIFLA世界大会参加者に配布した。IFLA大会後、連合仲間の造園設計職能確立に向けての機運は高まり、神田駿河台全電通会館2階に仮事務局(1994・6~1967・10)を置き良く集い、良く語り合った。
1964年には上野泰、岡田蔵司、小林治人、沼達賢一、高木浩志、笛木担らが「造園セミナー」の名のもとに、1950年代末~1960年代にかけて活躍した山手国弘主宰のイオ集団からシビルビジョン、生活装置等の視点から造園を考え、造園職能が多様・多層で有機性を持った対象であべきであることを学んだ。
1964年12月20日渋谷東急会館ロゴスキーに23名の仲間が造園設計者個人として造園作品を持って集い「第一回造園設計者の会」を開催した。
この時、いままで住宅庭園を主として活動していた飯田十基、小形研三、吉村巌、らの世代と、新しく芽生えつつある公共造園設計に挑戦しようとする世代が交流した画期的な場面となった。
同じ年の12月30日には、新宿三丁目・三姉妹に、伊藤、池原、川本、塩田、前野、三好が集い、「16日会」をサロン的に実施することを確認。1965年5月6日、神楽坂の日本住宅公団富士見分室において池原、川本、前島、三好を中心に開催された。
 16日会のメモの一部
この会は参加メンバーの高齢化などにより、1975年を最後に自然解消した、しかし、そこで語られた内容は、公園緑地整備事業拡大の曙を前にして、造園設計の職能、造園ジャーナルの確立、造園夏期大学の開催(当初日本造園学会主催、現在:日本造園修景協会主催)、関東造園人の集い(現在:造園人賀詞交換会)、造園家個人の会(造園家協会か、ランドスケープ連盟か、造園技術者協会かなど激論)造園教育、資格問題の企画検討など、次々に斬新な意見が交換された。
設計界としては組織体制を固めるために、1966年12月18日銀座スエヒロに13名が集い連合組織化に向けての打ち合わせが行われた。
小坂スケッチ
1967年8月8日の暑い日、池原、伊藤、小形、小林の4名が平河町の都市計画協会常務理事・佐藤昌を訪ね、会長就任を懇願し内諾をえて、全国的な活動が開始された。
佐藤新会長のもと、会の名称を「日本造園設計事務所連合」と改め役員人事が行われた。
会長:佐藤昌、専務理事:小形研三、理事:荒木芳邦、伊藤邦衛、池原謙一郎、中島健、平井昌信、監事:小坂立夫、水野衛、事務局長:小林治人であった。
この体制で1967年9月23日には平河町都市センターにおいて官・学・民の各界代表120名が集まりにぎやかな披露パーテイを開催した。
披露パーテイにおける建設大臣挨拶
この時代は、都市環境への緑の導入手法に関すること、自然環境における保護・保全に関する調査・計画等従来の設計ではあまり前例のない仕事に、設計者たちは公園緑地事業が本格化していく動きを具体的な形で体感した。
それは、東京オリンピック時、選手村であった代々木公園の設計コンペ(1964年)、国営武蔵丘陵森林公園設計コンペ(1968年)、大泉緑地コンペ(1968年)1970年大阪千里丘陵で開催される大阪万国博覧会会場設計への参加など、重要な設計の腕試しの機会が続いた。
この頃には、日本住宅公団による団地の造園設計、日本道路公団による高速道路造園・調査・設計委託などが継続的に発注されるようになり、こうした動きに呼応して設計界も急速に拡大の道を歩み始めた。
公園緑地整備事業の拡大
1972年には、第一次都市公園等整備五ケ年計画が策定され、1976年までに9000億円が組み込まれた。都市局唯一の直轄事業である国営公園の整備促進と、これらの動きに呼応して、補助事業として公園緑地整備事業予算が地方自治体に及び、公園設計活動が全国的なスケールで展開するようになった。
倍増ペースで伸びる公園緑地事業の現場で設計者も急増した。さらに公園緑地が地域・都市の基盤的社会資本であることが認識され、公園緑地を系統的にネットワークする「緑のマスタープラン」策定が実施されるようになった。
緑のマスタープランが実施されるようになって、広域的な緑地論が展開され、公園緑地系統として、既存の公園緑地の位置づけも含めて線・帯状の整備と緑の質が意識された。河川道路などの敷地も緑の政策に加味され、面的な公園緑地整備が地域・都市基盤であるとして実現していく姿である。
国際化と職能意識改革
 国内的に次々と新しい施策が施行されていく途上において、国際化も並行して進み、国際交流を通じ、職能の意識改革が求められる時代が始まっていた。
大阪万博(1970年)を皮切りに、沖縄海洋博覧会(1975年)が開催された。この二つの博覧会の会場建設には多くの連合のメンバーが現地で会場設計管理を担当した。
この時代は設計界も組織化が進み、連合のメンバーも急増していた。連合以外でも造園界では、拡大する公園緑地事業の推進に対応した専門分野の組織化が続き、公園緑地事業の拡大期は、造園界全体が組織化を進めた時代でもあった。
1976年5月には連合発足10周年記念事業を国立京都国際会館で開催した。
 1979年には会員数も100社を超え1967年10月からの原宿事務局体制強化を進めた。元川崎市環境保全局次長笠原博事務局長を迎え1980年からご指導いただいたが1983年12月急逝された。誠に残念な出来事であった。1984年3月建設省より、岩田正喜事務局長をご推挙いただき、事務局も原宿から平河町へと移転した。
1980年4月には連合の公益法人化を目指して名称を「日本造園コンサルタント協会」と改め法人化に向けた準備を進め、1985年4月1日付建設大臣の認可をいただき法人化が実現した。同年4月25日には赤坂プリンスホテルにおいて法人化披露パーテイを開催し。塩島大衆議院議員、木部佳昭建設大臣、大塩洋一郎住宅・都市整備公団総裁、豊蔵一建設相官房長らが出席されて盛大であった。
  また、つくば科学博覧会(1985年)では、大阪、沖縄の経験から緑関係の予算は会場建設費の中で独立させた。横浜国際博覧会(1989年)にもこの手法は応用され、建築主導の予算配分が改善された。つくば科学博覧会の開催を契機に、建設省と大阪市では、大阪花の博覧会の1990年開催を準備していた。その実現に向けて、「{社}日本造園コンサルタント協会」として作業チームを編成して構想案を作成して協力した。博覧会開催決定後は多くの協会会員が会場設計に従事して腕を振るった。
紀元2000年には、淡路島でジヤパンフローラ2000が開催されたが、この会場設計でも協会会員が活躍している。
このような国際的な催しが盛んになる以前、1983年から建設省の提唱で「全国都市緑化フェアー」が毎年全国持ち回りで開催されるようになっていた、これは、緑の国体にたとえられているが、この計画設計には、財団法人都市緑化基金のもとで、設計者達が腕を振るっていた。
1960年代から1980年代までの成長期を経て、各種の国際会議が開催された。特に1985年IFLA世界大会を再び日本(東京、神戸)で開催することになった。この大会時には、つくば科学博覧会開催中ということもあり日本の設計力を世界に示す良い機会であった。
 1985・5・27イフラ日本大会開会式で歓迎挨拶する佐藤昌会長
 高度経済成長の余波が続く1990年代前半は、世界各国のIFLA世界大会などへの積極的な参加が続けられ、日本の設計職能が広く世界の仲間に認知された時代でもあった。
このような状況の中で1990年女性造園家の会、1993年日本都市計画家協会、1995年7月日本デザイン機構、1995年7月IFLAジャパン、1995年9月日本ランドスケープフォーラム、等多くのグループがテーマを持って集まり活動を開始している。
しかし、1990年代後半は急速に設計対象となる事業が激減し設計者の苦難の時代が始まろうとしていた。
1996年6月社団法人日本造園コンサルタント協会」も名称を「社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会」へと名前を改称し今日に至っている。
2000年にはIFLAアジア地区大会が淡路島で開催されたが、アジア地区だけでなく、ランドスケープアライアンスメンバーである。アメリカ、イギリス、カナダ、ドイツ、オーストラリア等の要人も参加した。

職能業態の私的展望
設計者と職能の軌跡について、手元の資料と自らの体験記録をもとに20世紀後半について述べてきた。2000年以降の国立公園、景観・緑三法、指定管理者制度、3.11を受けて国土強靭化などと職能に関連する課題は多いが別の機会に譲るとして、私的な立場から、今後の職能について考えてみたい。
自らの半世紀に渡る設計者としての軌跡を振り返ったとき、20世紀と大きく異なる現象は、現代は電脳時代であることである。電脳時代の今は造園設計にかかわる情報も瞬時にして広く世界に普遍化し、造園設計が一つの専門に特定されない専門性を持つようになり、種々の専門の関係性の中に存在する総合性が求められる職能と化していることである。
今、設計界は、日本の「原風景」を構成する地域固有の自然・風土・歴史に根差した文化の生命性を捉える、生き物の技術が基軸であることを踏まえ、地域の生命系を根底に置きながら農業と工業、農村と都市など地域社会との問題を考えながら、自然・生命・人間のシステムを中心にすえて、諸科学の横断的な中で設計していく全的、生態学的発展と共振していく職能であることを前提に、将来を展望し挑戦する設計者の出現が期待できる時代になった。
なぜか?現在日本の設計者は世界の中で活躍できる資質と経験を積んだ者が多くなったことである。さらに国内的にも国土運営の中で基軸的職能として期待されている。
この期待に応えるためにCLAは時代のニーズに呼応できる柔軟な運営を実施して、内外に領域を拡大できる状況にある。今は具体的に東日本被災地で2020年ころを目途に国際震災復興博覧会開催を内外の関連団体に働き掛けて、新しいタイプの国際博覧会開催を提言していくことではないか、そこから21世紀に向けての骨太の展望が俯瞰できると確信する。

参考文献
①財団法人世界デザイン会議日本運営会(1960)世界デザイン会議報・第6・7号
②第9回IFLA日本大会実行委員会(1964)「日本の造園」
③小林治人(1982)都市計画協会報 「(社)日本造園コンサルタント協会について」
④(1985)「法人化披露パーテイー」日本造園タイムス第131号
⑤小林治人(1995)「設景」その発想と展開 マルモ出版
⑥(1995)「法人化10周年を祝う」ビジョンを策定環境緑化新聞第297号
⑦小林治人(2006)「造園設計家の群像と職能」(一社)日本公園緑地協会機関誌「公園緑地」VOL 67・4号34~36P
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by harutokobayashi | 2013-09-30 09:25 | 職能論
造園設計事務所連合創設に参加した人たち
小坂立夫さんが描いた参加者スケッチ
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by harutokobayashi | 2012-12-08 13:09 | 職能論
公園管理運営士会
「ブルーボネット」に学ぶ
 8月30日午後、名古屋港ワイルドフラワーガーデン「ブルーボネット」において、東海地区の公園管理運営士交流会を開催した。この庭園は愛称としてルピナス属「ノボリフジ」の英名「ブルーボネット」が使用されている。
この日は政権交代をかけた歴史的な衆議院総選挙の日と重なったこともあり、参加しにくい人もいたためか22名+αの参加であった。私は期日前投票を済ませて参加した。
太平洋上に台風11号が発生したと報じられていたが強い日差しの中で、佐々木辰夫所長の解説を聞きながら園内視察が行われた。その後サニーハウス2F・多目的ホールで「ワイルドフラワーガーデンにおける運営上の取り組みについて」と題して森田高尚園長(前名古屋市緑地部長)の解説、ゲストスピーカーとして岩山健愛知県建設部公園緑地課長から「愛知県における指定管理者制度の現状について」講話をいただいた。
 森田園長、佐々木所長の話の概要:この庭園は名古屋市に中部電力が火力発電所を造ることに際して行政などとの協議の中で「地域共生施設」、企業のCSRという意味も含めて、現在の内容が方向づけられ、設置が決定されたもので、ビオトープとかガーデニングという言葉が話題になっていた2002年に開園した。国際的に著名なガーデンデザイナーの作品参加も含め22のガーデンを巡ることが出来るように構成されている。
敷地面積2.2haは以前、発電所の資材・石炭置き場であったところであった。総工事費27億円、管理運営体制としては臨時職員も含めて20~25名、来園者はオープン時、年間24万人、日最大5000人~10000人いたが、2年目以降減少傾向にあったため、来園者の口コミ効果を高めるなどに留意して、従業員一同良い印象を持って帰っていただくことに特に配慮した結果リピーターも増えてきたことは管理の心の重要性を再認識した。
来園者の傾向としては高齢者・障害者が17%、そのほか70%は女性である。このような来園者にとって、この庭園の広さは適切で花々にも接しやすく、花の香を愛で、写真撮影など便利で親しみやすい。利用しやすいことは管理の目も行き届きやすいことになる。来園者を増やすためには会員制度(年会費1000円)の実施や、花・音楽・イベント、園芸福祉入門講座など多彩な催事を継続することでさらに地域に溶け込むように努力している。
 園内の施設系は洋風に見えるが、庭園は和の自然空間を感じさせる。園路のウッドチップのやわらかな質感、適度に配石された景石の据え方、四季を通じて咲き分ける600種類の花、その70%が宿根草で野趣のある配植法、水辺の植栽、ワイルドフラワーの里には40種の種子を混播しているため季節ごとに開花リレーが楽しめる。など殺風景になりがちな名古屋港の巨大人口景観の中で自然風庭園として貴重なオアシスとなっている。読者各位にぜひ訪問することを勧めたい。
 ゲストスピーカーの岩山課長からは、愛知県下における都市公園および指定管理の現状、指定管理者制度導入についてなど、パワーポイントを使用して克明なデータをもとに説明が行われた。愛知県内の都市公園4116か所(5121ha)のうち指定管理箇所206か所(1530ha)あり、維持管理水準も平成10年~11年には平方メートル当たり600円前後であったものが、平成19年度には400円前後に減少している。指定管理契約者別割合は財団など38.3%、第3セクター36.4%、民間22.8%、その他2.5%、指定管理契約期間別割合では3年53%、5年38%、1年5%、4年4%、平成22年度公募実施予定公園として熱田神宮公園はじめ7公園などが紹介された。
政権交代によってますます新規公園整備に期待できない今、公園管理運営ビジネスの展開をQPAが中心になって切り拓く時だ。
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入口からセンターハウスを望む
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by harutokobayashi | 2009-09-01 18:17 | 職能論
公園管理運営
公園指定管理の現状
 6月16日午後、大阪で公園管理運営士会が開催した「指定管理者として克服すべき課題とは」をテーマに公園管理運営に従事している経験談と関係者のパネルデスカッションを聞く機会があった。
最初に「芦屋市総合公園及び箕面公園からの報告」(株)ヘッズ取締役大阪事務所長の田中康氏が行った。氏によると最初の1年は地域住民、中でもボランテイアの人々との信頼関係構築に時間がかかったが、創意工夫を凝らし、きめ細やかな管理運営に努めて年間収入も30%アップさせ、利益の再投資計画も策定して2年目にはすっかり住民との信頼関係ができた。3年目にはこの成果が評価委員会で評価されたが議会関係の承認が得られなかったことが報告されたが、利用者に重点をおいた現場最優先の考えだけでは継続更新に結びつかないこと、業務途上において事務手続きなど少しでも不備があると却下の理由にされることが語られ氏の無念さが会場に伝わった。
二つ目の紹介は「近江富士花緑公園事業における課題」西部造園(株)管理運営事業部滋賀統括所長 金児維知郎氏から管理運営に当たっての基本方針に沿った維持管理、施設運営、森林ボランテイアの育成、施設の効率的な運用、地域連携など語られたが委託費の縮減の中で公園利用者に文化的で質のよいサービスをどのように提供するかが課題であることなどが報告された。
その他この両者に関連して出た話題としては、指定管理業務の更新期に対前年度比10%減という状態を繰り返すとその先には指定管理者の人件費も払えない状況になること、また評価の内容がネガテイブチェックに傾きがちでよい点が評価されにくいなど、公園管理運営士の立場を超えた対応が急務である現状が浮き彫りにされたように見えた。
また、全国的に公園でのボランテイア活動に生きがいを感じている人が多いことを大変心強く思っていたが民間に管理が映るとボランテイアの見方が変わるという発言はなるほどと思った。「オマエラ草刈をただでさせるんか」とか・・・。今まで公のためにしていたボランテイアが民間企業のためにやっているように映るようだ。
しかし、兵庫県立大学大学院平田富士男教授が大学で行ったボランテイアグループの意識研究では、逆にお役所的でない仕事ぶりを評価するという結果が出ていることが話され、指定管理者としての意義と、動く姿をしっかり見せることであると補足された。
ゲストコメンテーターの亀山始(社)大阪府公園・都市緑化協会理事長は、公園の専門家は公園のポテンシャルを地域力としてさらに活かすために公園の存在性・利用性などから経済効果を計算して社会に示すべき、また公園に携わる人で公園の将来像を示す仕組みづくりも必要性だと提案された。
最後に平田教授が①指定管理者選定評価基準②費用のみに偏在しない評価③公園の将来ビジョンを掲げる。の3点に課題を整理して終わった。
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by harutokobayashi | 2009-06-25 19:26 | 職能論
問われるデザイン力・管理力
デザイン力・管理力
夏休み最後の土曜日8月30日に、公園管理運営士会会員の交流会を、開園してすでに25周年を迎えた国営滝野すずらん丘陵公園において開催した。25周年を記念して園内各所に立体花壇などが配置されているさなかでの催しとなった。
午前10時半から管理センターの倉田斉管理係長に「カントリーガーデン」を中心としたエリアの案内をしていただきながら、主として花卉類の栽培技術と、花の空間演出について管理上の課題など各種説明を受けた。
今回、参加者の構成が都市公園管理、造園施工、公園設計、自然公園管理、学位所有者など全員が10年~40年の経験を有するプロフェッショナルな人ばかりであったので、それぞれ専門的な立場から各種の感想を持ったようであった。その中のひとつに、花の空間演出のためのデザインがどのようなプロセスで行われ評価され、施工されているかにあったように思う。今回の場合、時期的に花の主役が夏から秋への変わり目であったこともあり、少し寂しい印象が強かったのかもしれないが、今後大規模公園の広大な空間に対しての花のデザインのあり方、広大な空間、言い換えれば大地というキャンバスにどのような花の景を描くかデザイン力が問われていたように思う。
午後は1時から3時にかけて高橋理施設係長から「こどもの谷」「森のすみか」の案内と説明を伺った。「子供の谷」は「カントリーガーデン」のように花の景を楽しむのと異なり子供たちの遊びが中心になる。虹の巣ドーム、フワフワエッグ、溶岩滑り台など大変な人気で利用者が多いため安全管理のために施設の点検・補修、要員の配置などご苦労が多いと聞いたが、設計を担当した人のデザイン力の成果である。
「森のすみか」は施設のほとんどが木製のため腐食が進みやすく、その交換経費など管理費を圧迫するとのことであったが、空間のテーマから言っても木製が素材になっていることは適切であり、木工技術伝承の場を提供することにもなり、安易に人工的な素材に転化することは避けるべきであるという声が強かったが、管理経費との関係で今後の展開が危惧される課題である。
また、3時から4時にかけて会員同士で懇談の時間を持つことができた。
Q:最初になぜ公園管理運営士の資格試験を受けたか事務局が質問した。
①指定管理者制度が実施されている時代、早く資格をとっておくほうがビジネスにも有利と考えた。管理運営業務を受託するには資格が必要となるだろうから・・・。
Q:公園管理運営士会への要望は?
①指定管理者制度の手続き方法、課題、事例など情報交換ができるようにしてほしい。
②公園管理運営士会の開催する現地研修会はCPDにポイントされるようにしてほしい。
③設計の現場にも公園管理運営士が参加することを基本とするべきである。
④公園管理者の顔が見えるような管理をすべき、管理者の名前写真など掲示する。公園に行けば○○さんが親切に教えてくれる。ということでリピーターが増える。
⑤公園管理運営士には、公益法人に所属する個人、施工関係者、設計者、コンセプター、コーデイネーターその他民間施設の緑地管理者など多彩な職能人が一緒に登録されているが、今後テーマ別、専門別に会員名簿など分類すべきである。
などが短い時間に話し合われた。そのほかでは公園の各ゲートのネーミングが利用者に混乱を招いていないかなど指摘された。
次回は10月25日(土)国営みちのく杜の湖畔公園で開催される。デザイン力・管理力を高め、造園産業の明日を拓く気概のある専門家はぜひ参加されたい。
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by harutokobayashi | 2008-09-15 05:25 | 職能論
公園管理運営士会
(前文)
 都市公園の質を高める資格者集団となる公園管理運営士会が6月に発足した。公園管理運営士という資格制度は、都市公園の管理運営を円滑、効果的に推進するため2006年度に創設され、現在までに1350人を超える資格者が誕生している。初代会長の小林治人東京ランドスケープ研究所社長に、今後の活動方針などを聞いた。
(本文)
――会発足の意義と背景は。
 まだまだ不足しているとはいえ、公園緑地の量も一応の成果を挙げてきた。21世紀に入り、量の成長期から質の充実期に移行し、公園緑地を管理することが重要な時代になった。本会の発足は、社会のニーズに合わせて質をいかに維持するか、多様な管理業務の質をいかに担保するか、管理者の質をどう評価し高めるかなど、これらの命題を解決するために活動する会である。
――めざす活動イメージは。
 アメリカの2006年中小企業白書に紹介された「エコノミック・ガーデニング」の考え方が地域活性化の新戦略であることを知った。
 この考え方は、地域の個性、古いもの、地域住民の原風景的な潜在力を横断的に連携させるための情報プラットホームを位置づけ、そこで得た知識・情報を知恵に変換し、地域活性化戦略に採り入れようというもので、私は、現在全国にストックができた九万三千箇所の公園をそのための戦略基地とした地域づくりの時代が来たと考えている。
――日本の現状は?
 今日本では財政再建の御旗の元、公園の管理費削減など予算的に厳しい状況が続いている。このような状況の中で創造的議論が受け入れられる風土が乏しくなっている。今後は税金に頼らず、公園緑地経営が自立できる収益事業が可能なように、規制緩和策が必要だ。
地域力を高めた事例は
具体的イメージとしては、国営昭和記念公園が挙げられる。この公園の出現によって、かつての基地の町立川は芸術・文化の町に豹変し、文化の森上野公園に対峙して地域資産評価を高めている。
会員が留意すべきことは?
 20世紀を「知識の豊かさ」を競い合った”進化”の時代とするならば、これからは「知恵の豊かさ」を”深化”させる時代と呼ぶことができる。本会会員は、予期せぬ管理運営上の問題にも知恵者として臨機応変に対処できるゼネラリストであることが求められる。
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by harutokobayashi | 2008-09-15 05:18 | 職能論
公園から遊具が消える
NHKスペシャル 2007・2・18(日)午後9時~
「公園から遊具が消える。」
子供たちが公園の遊具によって冒険を楽しみ、遊ぶことができなくなるような出来事が続いているという。遊具による子供の死亡事故・怪我などが多発して、遊具の撤去がすすんでいるからという報道に愕然となった。
死亡事故・怪我などを誘発した遊具が、年間3400台撤去されているとのことであった。
私もここ10数年、孫たちと公園を利用する時間が多くなり、それなりに公園のあり方、中でも幼児が喜ぶ各種の遊具施設利用の実態を観察する機会が多かったが、今までたくさんの設計を担当した立場の人間として、他人事でなく注視した番組であった。このことをTLAの仲間にも話をした。
かつて、安全ブランコといわれていたベンチを向き合わせた形のブランコで、昭和35年9月20日に最初の事故が記録されてから、安全ブランコの名称はふさわしくないと、腰掛ブランコと呼ぶようになった。それがさらにブランコの携帯を表現した箱ブランコと呼ぶようになったのは20年くらい前からだろうか?
このような従来型箱型ブランコは、平成17年3月31日現在3600台設置され利用されていることから、今後、いつ類似の事故が発生してもおかしくないと思うと、早急に管理者はもちろん幼子を持つ親はその利用のあり方などを注意して見守り、安全対策に万全を期さなければならない。
横浜市川和保育園では、どきどきひやひやするような遊具で園児を遊ばせている姿が紹介されていた。そこには保育園長はじめ、保護者の目が行き届く範囲なるゆえ可能なことという理解もできるが、参考にすべきことが多かった。この保育園の石積(高さ約2m)に這い上がる幼児の姿を計測し、数値化して幼児の体格や遊び方、表情などを研究して、独自の遊具開発に挑戦するグループについても報じていた。
機械工学研究者、遊具のメーカー、母親などにより、安全でひやひやどきどきする遊具作りプロジェクトとして挑戦が行われている様子に、なぜもっと早くこのような研究をしなかったか、公園設計に携わるものの一人としておおいに反省した。
「産業技術総合研究所」(機械工学:西田佳文氏)では、ダミー人形を用いて箱ブランコの下敷きになった場合の実験を行っていたが、数値化された破壊力は説得力があった。
今までたくさんの遊具が設置されてきたが、このように科学的データーを用いて研究開発することはなかった。この番組の続編に期待したい。
いったん事故があると、遊具は撤去されてしまう現実。撤去の理由としては、
①修理したりするとメンテナンスの経費がかかり大変である。
②自治体など職員が不足している。
③遊具の設置によって事故の可能性が増し、管理責任が問われることを回避したい。
などが主な理由である
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by harutokobayashi | 2007-02-19 18:57 | 職能論