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音のデザイン
ししおどし
日本の風景を聴く
  通常人間は五感によって環境を理解し、心的な色添えをしてそれらの情景理解を通じて生命活動を維持している。五感への反応の良否が精神性・心の営みを豊かにし、時には貧相にする。そこでは環境に表れる各種の自然な音や、風鈴、梵鐘、水車の回る音など人工的に生み出された音が視覚的に認知できる風景と共鳴して心を豊かにすると考えられる。
日本人は、南北に細長く4千前後の島嶼によって構成された複雑な地形の国土(約38万平方キロメーター)、小さくても細やかに変化する風貌の中で、多様な生き物の営みと共に先祖代々暮らしを持続してきた。
年平均1500ミリ前後ある降雨は清流を生み、毎年訪れる台風は、時に人々の貴重な財産と、人命を奪うばかりでなく、長い時空を超えて維持されてきた大地の形を改変させたりもする。しかし急峻な地形で保水力の乏しい国土に水を運ぶ役割を果たしている。したがって、地下水も多く水には事欠かない環境が整っている。中国など沿海部以外自然に地下からの湧水は期待できないところとは状況が異なる。さらに広大な平坦地が続く大陸文化と異なり、小さな島国に密集して暮らす日本人の島文化は、細やかで勤勉・几帳面・清潔好きな国民性を育んできた。    
この日本に1300年ほど前、中国から伝わった寝殿造りの環境に泉水という形で日本庭園の原型を生んだ。この寝殿造り庭園の地割り、立石、池泉、島、滝、鑓水,配植などが様式化し、11世紀には日本庭園作庭の原典「作庭記}が著述されるにいたった。世界に誇る伝統庭園文化が確立した証である。
作庭記には滝、鑓水、池泉など水の変化を楽しむ趣向が示されている。江戸時代には近江八景、金沢八景など八景式鑑賞法の形式が確立し、風の音、鐘の音などと共に風景を鑑賞するようになった。特に時鐘は時を告げるものとして親しまれ、明け六ツ(午前6時)昼九ツ(正午)暮六ツ(午後6時)として市民に親しまれてきた。現代でも除夜の鐘は新年を迎える区切りとして欠かすことが出来ない。
聴く庭のアクセサリー
江戸中期には音を巧みに生み出す工夫もされて、庭を荒らす鹿猪を驚かせるという理由から「ししおどし(添水・僧都とも言う)」というカカシなどを設置して庭のアクセサリーとするようになった。しかし、現実的に鹿・猪など野生動物脅しの効果があったかは疑問が残る。
仮に効果があったとしても設置してわずかな期間であったと考えるのが自然ではないだろうか、なぜならば野生動物も学習によって音が危険なものであるか否かは直ちに判断するだろう。かつて1950年前後に日本の水田地域ではカカシとしてカーバイトを当初太い竹筒、後に金属製の筒に入れ、定期的に水滴をたらし、ガスを発生させ爆発音が出るスズメ脅しという簡単な起爆装置が水田地帯に設置された時期があった、やがて定期的に発せられる音にスズメ達は慣れてしまい、鳥追いの効果は発揮されずむしろ残暑の厳しさを強調していた例もある。
「ししおどし」が当初の目的はともかくとして竹筒が岩にぶつかる定期的な澄んだ音が、結果として静寂さを強調して空間に音による秩序を与え、庭園の幽玄性・深淵性を高めた例として、京都詩仙堂(漢学・朱子学者、煎茶道の流祖、石川丈山により、1641年完成)の「ししおどし」は有名である。
他方、庭園の手水鉢あるいは蹲の水落の場所を掘って、地中に小さな洞窟状の空間を作り滴水の反響音を楽しむ「水琴窟・洞水門(ほらすいもん)」があり、江戸中期以降盛んに造られるようになった。水滴の音が地下の小さな空間で反響する微妙さ、金属音のようでありながらそうではなく、幻想性を帯びた音はしばし人々の心奥に響くものがある。
庭園に用いられる水は滝、鑓水、池泉のような視覚的に認知できる空間に動きを与えるものばかりでなく、その用いられ方によって心地よい音を派生させた事例として、「ししおどし」と「水琴窟」は代表的なものといえる。
このように聴覚に心地よく響く音を求めて、日本の庭園は、その伝統技術・様式を熟成させてきた様子がうかがえる。
このような水の音は、水路の曲折、サラサラと流れる小川の音を生む浅い流れ、景観石、水底の砂利、など繊細に配慮された配置によって初めて聴覚に訴える心地よい音を生み出すことが出来るのであり、作庭家の特に留意すべき点である。
命の営みを聴く
このほか人々の心にやさしく響く音について自然の音、虫の音、風に鳴る枯葉、木々の梢の触れ合う音、松風、落ち葉の上をカサカサと餌をあさるコジュケイの歩音、などなど多様な自然の中の命の営みの音があるが、自然の環境に触れる機会の多い山間部の人は、森の中で目を覆っても風と木々の触れ合う音で樹種を、足音で獣や鳥の種を判断することが可能である。アフリカの野生動物保護区のレンジャーは、数キロメートル先の動物の種を見分けることが出来るように、日本の里山で遊び育った人たちの原体験は、雑木林、松林、唐松林などの音を耳にすることで場所を確認し、当然生息している野の鳥の種類を知ることが出来た。
冬の山林の獣道でカサカサとアズマネササと雑木の藪を、小さな地鳴きとかすかな移動音を残して伝い行くウグイス、アオジ、ノジコ、突然ガアーギャーと大きな声を出して黒い頭と白い腹に瑠璃色の羽を見せて飛ぶカケス。それらの音が一体となって風景が認識されるときがある。このような自然の営みの音は、都会に住んで人工空間に慣れ親しんだ人には日常的に耳にする音と異なり、逆に寂しさ不安さを強調して心細い思いも抱かせる。日が沈みかけ肌寒い残雪の小道を歩く時など特にその感が強い。雪見酒など優雅な気分で雪景色を愛でるためには風景鑑賞のしつらえが必要であることをうかがわせる。
「ししおどし」というカカシに代表されるしつらえ・各種地域の音、これらは地域ごとの多様な命の営みが刻み込まれて、いつの間にかそれぞれの生命体内リズムとして記憶され、平穏な暮らしを支えているのではないかと考える。音が皆無の状態が静寂ではなくて、「ししおどし」のように心のひだに刻まれた生活体験と一体化した音認識が、平常心を維持し活力を温存する大切な役割を担っているのではないかと考える。鹿猪にとって「ししおどし」の音が定期的に持続され自然音と認識されるようになった時、逆にそれがが鳴り止んだりすると、かえって環境に対して警戒心を高めるのではないだろうか。
(小林治人)
参考文献
[1]小林亨著「移ろいの風景論」鹿島出版会 16~23P
*1 上原敬二著「
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by harutokobayashi | 2006-07-26 13:03 | 設景の思想
博覧会の設景
「日英博覧会」
1910(明治43年)年5月14日より10月29日まで、ロンドン西部セパード・ブッシュにおいて開催された日英博覧会は、対英外交上の諸懸案を解決するために奔走した元駐英全権大使、時の外務大臣小村寿太郎に負うところが多いが、この博覧会開催までには次のような経緯があった。
明治39年8月の閣議で、明治45年に日本大博覧会(予算1000万円)の開催を決定し明治天皇に上奏した。明治40年3月31日、勅令102号で「日本大博覧会を明治45年4月1日~10月31日まで、東京府下に開設す」と定められた。直ちに米国ルーズベルト大統領に出展協力支援を連絡して協力の約束を取り付けていたが、明治41年9月2日勅令207号にて明治50年に延期を決定。その後取り止めになった。故に日英博覧会は日本大博覧会を縮小して実現した感もある。
この日英博覧会は、明治41年10月16閣議で決定したものであった(日本側経費180万円)が、美術建築の展示がもっとも好評を博したが、その成功の原因の一つに、東京美術学校校長正木直彦の努力に負うところが多かったといわれる。同校長の回想録の中で日本の国宝級の美術品を多数陳列するに際し、賛否両論行き悩んだのであったが、元老井上馨侯が国策的な立場から群議を廃してこれを断行させたことにより、多くの貴重な美術品が海を渡ることとなったが、この出展によって、英国、フランス、ドイツなどから多くの研究者が訪れることとなり、日本文化の粋を宣伝することができたという主旨が記されている。
これらの美術品の他、日本庭園の出展が行われたが、20万坪の敷地に、庭園を甲、2650坪(正式記録3020坪)乙、3295坪(正式記録3260坪)の2個所
庭園建設費用55159円、設計には、小沢圭次郎、本多錦吉郎、清水仁三郎、井沢半之助らが当たったが、甲園は小沢、乙園は本多案を基礎として、現地で井沢が監督をして作庭している。井沢は、前年12月から、翌年5月の会場まで出張し、植木職人3名を同道している。
建築は、農商務省技師榎本惣太郎および大工4名が派遣されていた。
このほか庭園模型が2基東京市から出展されたが真と草の庭で、12尺と7尺のものであった。


参考・引用文献:1)政治経済史学第181号(1981年)抜粋
明治43年開催の日英博覧会について(上中下各巻)
会場計画図・絵葉書 佐藤昌氏所蔵資料による
2)造園雑誌vol.58 NO3 酔園 小沢圭次郎 伝統庭園庇護・
継承に生きた「設景家」 小林治人
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by harutokobayashi | 2006-07-26 12:59 | 設景の思想
杭州への期待
「庭園文化都市杭州」

 環境の世紀といわれる21世紀初頭、今、人々は伸びやかでたくましい心のエネルギーを補填してくれる場所を求めています。そんなエネルギーを人々に与え、元気にしてくれる庭園文化都市がこの杭州だと私は感じています。
華麗な歴史・文化に彩られたこの都市のたたずまいからは、生き生きとした甘味が漂い、清冽でぴちぴちとしたメロデイを感じさせます。
紀元前の秦代から地方都市として栄え、南宋には首都として中国南部の政治の中心であった杭州の市域は、西湖および周辺の山林を広く包み込んで、風光明媚な素地の上に、かつては白居易、蘇東破など多くの文人墨客が杖をひき、それらの文化遺産が地域の記憶を語ってくれます。この記憶に先達の精神を感じながら、西湖のほとりを散策できる市民は大変幸せということができます。
杭州は日本から直行便が飛ぶようになって、ずいぶん身近になりました。多くの日本人が杭州を訪問するようになって、庭園文化都市杭州のすばらしさを語ります。
東京の後楽園庭園には西湖堤を模して、縮小された堤が作られております。同じように日本の各地に西湖堤を模した庭園が作られ現代に引き継がれております。
西湖を中心にこの都市の美しさは、今後もますます磨きがかかって充実することが期待されるとともに、経済的にゆとりができると、多くの人が美しい環境を求めて杭州に居住することを望むようになるでしょう。
杭州の住環境は、ピアノの詩人ショパンの曲に当てはめてイメージすることができます。日々のストレスの解消(英雄ポロネーズ)、悲しみの解消(プレリュート・雨だれ、ノクターン、幻想即興曲)、そしてやる気が出る空間(子犬のワルツ)、子供たちの勉強の能率が上がる(ピアノ協奏曲一番)場所なのです。
 杭州の心に残る美しい記憶を呼び起こすために、たとえば、ショパンのメロデイをテーマにしながら、世界の音楽・芸術作品に触れることができ、そこに育つ子供たちが後の世代に新しい文化の種を宿すことができる素地があると考えます。
そのためには、世界中の一流の芸術文化がその媒体として機能できるような杭州を期待します。
日常見慣れた杭州の建物、通り、樹草、流れ、彫刻など日々触れる、なじんだモノたちに囲まれた快適で洗練された庭園文化都市の生活、同じ空間に暮らす人々との触れ合い、それぞれの人たちが心のままに感じることができる究極の対話、お互いに言葉を介することがなくても見て、共感することができる。
そんな住環境が急速な競争社会が激化する中で、人間的活力回復のきっかけとなるのです。精神的活力の回復は時間・空間を超えておおきなパワーとなって伝播します。そこに生活することによって現代人は心のエネルギーを復活させ、リラクゼーションすることができるのです。庭園文化都市杭州はそのための都市でもあります。

杭州の街には、明るく快適な木漏れ日の歩行者空間が整備された西湖周遊園路があり、
 緩やかにカーブした歩行路は、生活者のもっとも身近なものであり、若いカップルの出会いの場、その他大人たちの情報交換の場、老人たちの社交の場でもあります。
 余暇拡大時代に向けて、休日の家族での遊びを中心に、父と子の語らい、子供たちの路上遊び、池や流れでの水遊び、など元気な光景がイメージされる街であります。
杭州の住宅環境を考えると、シンプルで現代的なイメージを大切にし、杭州は自然に恵まれているので敷地内は洗練された清楚・清潔で上品なものとすることが大切と思われます。
具体的にランドスケープに求められるものとしては、文化的なもの、歴史・自然・都市的で洗練されたもの。水景を重視したものなどが求められます。
杭州は地価が高く、マンションも高くなると聞いています。しかし、エリートのお客は生活の質を求めて、庭園文化都市杭州に生活空間と環境を求めて集まるでしょう。
これらの文化人に満足していただく居住地のbヴランド力を高め、これを支える装置として次のようなものが考えられます。
①世界的に一流のアート作品
②ハイテク利用の装置(サウンド、流れ、照明その他)
③機能性(通勤・通学・ショッピング・休息・語らい・ゲームなど)
④健康装置のある歩道
⑤中国の歴史的生活文化を象徴させた広場(十二支)
⑥遊戯迷路
⑦プール、流れ
⑧洗練されたデザインのサイン・ファニチュアー
⑨季節を強調する樹草
⑩セキュリテイーの確保(見通し・鋭利な形は避ける・素材など)
⑪テーマ性を強調・補填するデザイン
以上訪問するたびに、整備が進み美しくなってゆく杭州の姿を、東京のアトリエで思い起こしながらメモ的に記しました。(2006年7月26日)
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by harutokobayashi | 2006-07-26 11:48 | 設景の思想
日本人
落し物

7月18日、久しぶりに公園緑地関係者と暑気払いをかねた、語る夕べに参加した。
都市公園法制定50周年を向かえ、今後の新しい時代のニーズにこたえて、これからの公園緑地のあり方、を真摯に考える人たちの集まりであった。

その帰途、TLAのスタッフを伴って、新宿でいっぱいやろうと、雨も降っていたのでタクシーに乗った。若者との楽しい会話の後、家に帰ったとき、FOMA N900IGという機種、国際対応の大切にしていた携帯がないことに気がついた。
周りの同年の友人が何回も携帯をなくすのをいつも見ていたのみで、今まで経験のない私もその仲間入りをしたのかと、がっくり来た。
翌日、恥ずかしながらスタッフに話したところ、関係筋に電話してくれていた。
私は東京都個人タクシー協会 03-3947-1461に電話して私の電話のことをお伝えしておいた。
今朝22日、仕事場の電話が鳴った。受けたらタクシーの運転手さんが、私の携帯電話を見つけて協会に連絡したところ、小林さんのことが分かったと知らせてくれた。
ああ日本の社会は、悪いことばかりでなく信頼できる社会でもあることを実感した。
今まで携帯電話をなくす人は、おおむね決まったタイプの人が多いように思う。
どんなタイプの人かについては、皆様のご想像に任せるとして・・・・・。その仲間入りはすまいと考えていたので、それに何回もなくしても、後から出てきたという話を聞かない中での私の場合のハッピー結末、日本の人はすばらしい。
今後は今回のこと教訓にして注意します。

些細なことだが気分が良い朝である。
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by harutokobayashi | 2006-07-22 12:52
設景塾
ブランデイングと情報デザイン

昨日、総合環境設景協同組合・NPO法人21環境研究協会(略称:環境・アトラス21)
主催の「設景塾」をグランドヒル市谷において開催した。

テーマは「ブランデイングと情報デザイン」、講師は(社団法人)国土政策研究会主任研究員
佐々木歳郎氏によるものであった。

佐々木氏の論によると、
世界を凌駕する日本の生産技術に支えられた各種の製品も、その製品に内在する価値、(実態的価値、象徴的価値)を効果的に社会に示さないといけない。
その基礎としての情報デザインがなされていない例があまりにも日本では多い。
ということになる。

たとえば
SONYとipodとのコマーシャルの違い・・・。
マチモトキヨシの店舗とアップルの店舗

今、各地で景観論が盛んであることは好ましいことであるが、いずれの議論も美しい景観の基になる情報デザインを忘れたものが多い。一歩も進歩した議論になっていない。
設景家を自認するものとして改めて、景観を考えていこうと心の奥に銘記した勉強会であった。

佐々木さんわかりやすく、目からうろこのお話ありがとうございました。

「設景塾」その生い立ちと今後の展開について、別途紹介させていただきます。
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by harutokobayashi | 2006-07-22 12:24 | 設景の思想
コミュニケーション文明の時代
情報デザインによるコミュニケーション文明時代の到来

このところ、毎日各種の催しに参加する状況が続いている。
私の場合、、まったく異なる分野の人達と、異なる専門分野の概念・業務内容などについて触れ、学ぶことが多いわけであるが、大変心地よい知的刺激になる。
ランドスケープ・造園の道に約50年どっぷりと身を浸してきた私の場合、参加する会の全てがそれぞれ参考になることが多い。
非力な自分の教養を少しでも補おうと、今まで、できるだけ時間を作って参加してきた。

IT化が進み通常業務は、データー化された情報のやり取りで解決されることが多くなったが、逆に、直接会って話し合わないと落ち着かないようにもなってきた。

私の場合、海外の友人達から届く各種の情報は、それぞれ同じ地球の上で、同じ時代を生きていることの意味を考えさせ、一人感動することもある。

仕事の話も、まったく距離を感じさせない。
だからというわけでもないが、日本人として、日本的なるモノをTLAを通じて世界に発信することができる時代、「情報デザイン」によって構築されていく文明、「コミュニケーション文明」の時代の到来を強く感じ、「設景」の仕事を掘り下げていこうと考えるものである。
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by harutokobayashi | 2006-07-21 12:19