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職能の二極分化が進む?
「設景の職能環境」
設景の職能に生きてきた一人として、今後の職能変化について考えてみた。
人湯の視点は、20世紀末からの急速な超高層ビルなどの出現によって、都市計画、建築、都市基盤施設技術、彫刻に代表されるアートなどと、一緒に設景が行われることである。
このような場合、専門的組織事務所の集合よりは、フリーのデザイナーを個人的に参加させたほうが経費的に少ないなど効率的であるなどの理由から、今後細胞分裂のように設景事務所の形態も変化していくことが考えられる。このケースの対極にあるのが、逆に公共事業の場合は、入札制度が確立してきたため、入札への応札資格を得るために、技術士など有資格者の人数が評価の対象となり、一定以上の組織化が必要であることと相矛盾する。
このような専門の職能環境の実態を把握し、新しい世紀に合うものとするためには、関連職能人の横断的連携によって好ましい方向を研究し、制度的改善運動も必要だろう。
さらに、今後の設景は、都市環境中でも公園緑地などの必要不可欠情報を的確に現場に伝えるための設計図の作成が最小限の絶対条件であるが、極端に進化しつつあるIT化社会・コミュニケーション文明の時代における「設景」には、「情報デザイン」の認識が加味されてきたことを意識しなければならない。
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by harutokobayashi | 2006-08-21 16:56 | 設景の思想
水と緑のネットワーク
公園緑地の系統化
人と公園の付き合い方は多様である。ある人にとってはこの公園は良い、またある人にとってはこの公園は良くない。同じ人でもその時の気持ちのありようによって希望のあふれた公園として喜ばれ歓迎されたり、逆であったりする。
都市公園法制定50周年ともなると、さすがに全国各地にたくさんの公園が出現した。それらの公園ひとつひとつには、関係者の公園への深い思い入れと努力が注がれ、関係者にとっての青春の記録であったり、人生の総仕上の業務として薀蓄を傾けた先達の人生そのものを感じさせるものだったりする。
都市公園法制定以来繰り返された幾多の、公園事業計画策定と予算の獲得、公園建設のための調査・研究・企画・計画・設計・施工、など完成までかかわった専門家物語と、公園竣工後その監理運営業務の多様化にも著しいものがある。
これら最近の公園緑地を巡る環境現象への対応者は、幅広い人間研究者としての素養が求められる業務でもある。
激しく変化する社会との対応の中で、人々が公園緑地に期待するものがどのようなものなのか、人々の心の動きを常に観察していなければ、何を造るべきかがわからない。
他方都市公園法の施行によって、公園緑地予算の数字だけ増えても、身近な生活環境に具体的な形で花や緑が視覚的に認知できなければ、公園緑地の豊かさを認知できない。
大都会の多くの生活者が、乱立する高層マンションの狭い住居で個人の庭がもてない人が増加する現実、ふと美しい花がほしい。そんな時、身近な生活圏域の中に系統化された水と緑の公園緑地系統が位置づけされていることが肝心で、まだまだ今後系統的な整備を進めねばならない。
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by harutokobayashi | 2006-08-21 16:49 | 設景の思想
設景の力
「設景家の立場と役割」
公園緑地を論ずるときの設景とは何か?
この場合の設景とは、公園緑地を利用する一般の生活者がもっとも求めているものを、設景プロセスの中で、生活者とのコミュニケーションを密に図りながら、ひとつの道筋を示すことである。この道筋を示す時、設景が一番いいと思うもの、最高といえるものを人々に提供することである。その行為は最高に謙虚なことである。
この気持ちを持ち続けることのできる設景家は、どこに行っても、文化人としての地位を維持することができる。
他方,設景家の仕事にはビジネスが伴う。ビジネスの側面から社会資本整備事業としての公園緑地設景を見ると設景家の選択について公平性が求められ、基本的には設景という知的サービス業務が物品取引と同じ、入札制度によって設景家を決定することが普通とされるようになった。一見平等に見えるこの制度は、事業を方向付ける哲学、理念が明示されぬまま、入札金額の少なさで評価することが多く、肝心の成果物の内容評価も、図面の枚数、説明書の厚さなどに中心がおかれやすく、時として事務手続き評価などが強すぎて、提示された課題への適切な方向付け、内容の質、設景の習熟度、などについては十分理解が行われぬまま、結果として作品の貧弱化を招き、多様な公園緑地利用者の要望も、偏在的な管理者論理、一部声の大きな利用者論理に振り回され、好ましい姿で公園緑地竣工に反映させることができないのではないかと懸念される場面もある。
このような気持ちを持ちながら、現在の入札制度の下で設景の課題を処理しなければならない。公園緑地を利用する顧客が求めているものがわかっていても、現場に結びつかない場面も発生することとなる。
生活者を豊かにする公園緑地の内容は、公園として必要不可欠な条件を満たした上で、さらに文化としてのブランド力を付加させる内容でなければならないが、そのためには知的サービス業への正当な評価と、習熟度の高い設景家を選定する仕組み造りが必要である。
われわれは、国内では設計業者として扱われるが、一歩西欧に出ると扱われ方が異なることは多くの仲間の経験するところである。西欧の中でもドイツ、フランスなどではデザイナーはトップレベルの扱いである。それは、イギリスのアーツ・&・クラフツ運動、フランスのアールヌーボー、ドイツのバウハウス運動などがデザイン時代を作ってきたからだという。
設景家は、公園緑地を後ろから支え、時に先頭に立って引っ張ってゆく気概を持たなければと思う。そのために設景家は、人を知る専門家として、エコロジカルに人間の習性を学び、全ての視座を専門的にあまり掘り下げる必要はないにせよ、文化人類学的、社会学的、哲学的、宗教的に人間を心得て、多用な生き物の技術を人々の知恵と融合化、総合化して、公園緑地として空間化する現代の石立僧であるべきではないだろうか・・・。
人と生活環境とのかかわりの原点を良く見、経済・科学一辺倒で見ようとする社会の動きを抑制し、生き物と人の心の交わりが薄れすぎないよう交わりの場面を多くし、生き物の技術を基盤に進める公園緑地事業が、生き物の世界を科学しながら、生き物への畏敬の念、木々の緑や草花に囲まれてすごすことへの感謝、の念を抱かせるような雰囲気を醸成する内容を、公園緑地の「情報デザインとして」大切にする時代になったとも言えよう。
公園緑地における「情報デザイン」は、サイン・標識・看板に代表されるような視覚的に認知される情報と、各種のアナウンスに代表される不可視情報が考ある。
必要不可欠な基本情報を、効率よく伝えるため、施設を美しく設置し、過剰設置を避け、おせっかいにならないようにするためには、公園緑地情報情報の価値をしっかり評価し、強調すべき情報とそうでないものとの関係を整理して象徴化し、空間化することが情報デザインの基本である。さらに言えば、問題解決の早道は、専門の設景家に任せることである。
これから、日本の国土を美しく磨き上げていく専門家としての設景家は、前記したような、過剰なものを公的空間からマイナスすることによって、日本的な文化性を高めることが可能となることをもっと社会に認知させる活動をすべきである。
新たにモノを造る時、情報デザインをしっかり行って、設景の力で機能的で美しい景観創造に導かねばならない。そのためには諸施設を新設する前に、醜景をマイナスすることが重要である。
この考えを実施するに当っては、「設景の力」を社会に理解させるために、景観構成要素となる各種の施設デザインレベルを高めること、設景の力を信じ、設景こそが問題解決に役立つという認識を高めることが必要である。
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by harutokobayashi | 2006-08-21 16:43 | 設景の思想
余暇関連産業の傾向
「公園緑地と余暇関連産業」
公園緑地と余暇関連事業の関係について「レジャー白書2004」で見た。
①労働時間が増加している。これは平成15年の年間総実労働時間(規模30人以上)は、1846時間、と前年に対し9時間の像となっている。これは15年度後半からの製造業を中心とする企業業績の回復傾向を示すものである。
②家計収入。支出は6年連続減少し、支出では交通・通信費、特に移動電話通信料の増加が教養娯楽費などを圧迫している。
③「ゆとり感」の回復は見られず。心理的にも「ゆとり感」は平成13年度頃に比べて回復していない
このような余暇をめぐる基本的環境、時間的、経済的、ゆとり感といった面では公園緑地で余暇を楽しむという図式になりがたい感じであるが、余暇関連産業・市場は平成15年で82兆1550億円の巨大産業であり、娯楽部門のパチンコ市場が大きな比率を占めている。こうした中でフィットネスクラブ(スポーツ部門4兆4670億円)デジタルAV機器(趣味・創作11兆4930億円)ゲームセンター(娯楽部門56兆790億円)観光・行楽部門10兆4590億円などが好調である。
これら公園緑地を利用するであろう余暇利用者の動態調査結果傾向に対して、公園緑地に一人でも多く余暇利用者を受け入れようとする対応者は、幅広い人間研究者としての素養が求められる業務であることを改めて思い知らされる。
激しく変化する社会との対応の中で、人々が公園緑地に期待するものがどのようなものなのか、人々の心の動きを常に観察していなければ、公園緑地に何を造るべきかがわからないことになる。ただ造れば地元から喜ばれる時代ではない。
大都会の多くの生活者が、乱立する高層マンションの狭い住居で個人の庭がもてないでいる現実、そんな時、身近な生活圏域の中に公園緑地があれば、花や緑に触れたい、小鳥の声も聞きたい、風にそよぐ新緑の梢をめでたい。孫の手を引いて落ち葉の中を歩きたい。などなど、この何気ないささやかな生活者の願いをかなえることが、そこに育った人々のこころの中に心象風景となって残り、地域の緑の文化となっていく。
100年有余年前、パーク、パブリックガーデンとして伝えられた西欧型文明が、日本の各地の風土の中で、独自の個性を持った都市公園として根付いたとき、そこは地域文化の一つの拠点になるのだという考えが、更なる公園緑地利用者を集めることになる。
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by harutokobayashi | 2006-08-21 16:29 | 設景の思想