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公園設計家の使命
「人・都市・公園・デザイン」
●小林治人
●「新都市」原稿 1988年1月29日記


●都市―人と自然の間に―

●都市公園の芽生えから

●公園デザインの周辺

①公園とは何か
②発想
③ランドスケープ・デザイナー
④公園評論
⑤デザイン評価
●公園都市へ

「人・都市・公園・デザイン」
㈱東京ランドスケープ研究所 代表 小林治人
●都市 ―人と自然の間に―
日本の都市の歴史は「みやこ」の建設をもってはじめられた。「みやこ」は、天皇の交代のたびに遷都が行なわれ、紀元645年「難波京」から794年の平安京までの150年ばかりの間に11ヵ所に「みやこ」が建設された。その造営事業は敷地選定に始まり、原野を切り拓いていく難行であり、その成否が政治そのものであるといわれ、厳しい自然に立ち向かう現実から培かわれた見識と技術は、当時の人びとに四神相応※1 という形で自然の把握を行なわせたのではないかといわれている。インドに起こった太陰暦で約28日かけて天球を1周する月の日々の位置を示すための目安として、黄道上に並ぶ28星をあてはめるという考え方と、これを4分した7星づつの配置を龍、虎、鳥、蛇が亀に絡まった姿と古代の中国人は見立てた。これと五行説に基づく五方(東西南北中)と五色(青白朱黒黄)の考え方が結び付き、東・青龍、西・白虎、南・朱雀、北・玄武となったという。
 この考え方によって建設された平安京で花開いた寝殿造庭園が「遺水事…東より西へなかす、常事也。又、東方よりいた(出)して舎屋のしたをとおして未申(南西)べ出す、最吉也。青龍の水をもちてもろもろの悪気を白虎のみちへあらひいたすゆへなり」(引用:作庭記)と寝殿前方に広がる南庭地割の基本的骨格としていることは単に地相的な理解ばかりではなく、人々が自然の中での永い営みを通して体得した知恵が自然界の諸要素である、山、水、流水、道の理想的な組合せとして定形化したものではなかったかと思われる。
仮に地球の南半球であればこの逆ということになろうか。いずれにせよ人と自然との間を「吉相」という考え方に変質させたことにより後に一部迷信とされた面もあったであろうが深く「みやこ」の人びとの環境とのかかわり方の基本的コンセプトとして定着したであろうことは良く理解できる。
 日本の都市の代表である江戸も造営にあたっては、この四神相応の考えが基本コンセプトとしてあったという。「柳営秘鑑」によれば、「風此江戸城、天下の城の格に叶ひ、其土地は四神相応に相叶ゑり」と記されている。帝都建設に欠かすことはできないものであったと思われる。このような都市建設の流れは、近世にまで受継がれてきたが、1868年の明治維新以降近代化の波によって内閣が変化してきた。
 江戸時代の人びとは、当時その生活環境に世界をリードする園芸文化や、美しいウォーターフロント、その他現代文明に欠除しはじめている美しい自然や環境文化を身近かに育んでいたということを思うと、現代の東京の環境をうれえるだけではなく、日本人の考え方の根底にある緑の環境に対していだいている深い理解と願望に考えが甘いといわれようが、期待せずにはおれないし、眠れる美しい環境を愛でる国民的魂を目ざめさせねばならないと思う。
一度だけの人生を、より良く生きる為に益々都市に人びとは集中する。そのことによって、都市の担うべき機能は複雑多様に変化する。その中にあって公園に代表される緑の環境は、常に都市のアメニティーライフを支える大黒柱として都市の存続する限り大きな都市空間という屋台骨を支え続けなければならない。
 都市に住む人びとはもとよりそこを利用する人びとにとっても感動できるような都市環境が今求められていることを銘記し、四神相応の考えに象徴される人と自然の関係を究明した古くて、新しいコンセプトにも学びながら考え、デザイン活動に反映させなくてはいけないと思う。
●都市公園の芽生え※2から
近代の都市公園が都市の中に定着したのはそれ程遠い昔の物語りではない、19世紀初頭封建的社会の崩壊と共に庭苑などが王候・貴族の所有物であったものから、大衆のための空間へと質的転換をとげたことが、ひとつのきっかけになっているといえよう。
このような歴史的転換は、ヨーロッパ諸国にはじまり、アメリカで一斉に開花をみた。そのきっかけは、ニューヨークのセントラルパークであったといえる。この公園の建設にかかわる歴史はまさに今日の都市、そして公園を考える上で欠かすことのできないできごとがあり、今日の公園計画・デザインの参考になるものと思う。
1785年8月15日、「ニューヨーク・パケット」(New York Packet)は、公園の必要性を市長に訴えているが、以後公園建設運動がいろんな形で展開され、1853年7月に州の立法府によって現在の位置クロトン貯水地周辺が決定された。
なぜ公園が必要か、ニューヨークは、単に経済の中心地のみならず、新しい文化の中心でなければならないと考えていた。それ故に、ヨーロッパ諸国の首都にある公園と比肩することのできる美しい公園が必要であると考えていた。こうした公園は、レクリエーションの場であると同時に、個人のみならず、都市全体の健康とエネルギーの源であり、あらゆる階層の人々が共につどい、様ざまな文化―音楽や芸術―に接することのできる場として考えられていた。彼らの公園に対するイメージは、ヨーロッパの公園の影響を受けていたものの、ニューヨーク市の公園は、平等という民主々義の理想を実現する場でなければならないという明確な理念を有しており、この背景には、これら知識人の思想的背景となったプロテスタンティズムと、フランスの空想的社会主義の影響がみられる。
この夢を実現するためには、それにふさわしい場所が選ばれなければならず、「ランドスケープ・ガーデニングの理論と実際」(A Treatise on the Theory and Practice of Landscape Gardening)を26才であらわしたアンドリュウ・ジャクソン・ドウニングは、「39番街からハーレム川の間に、約200haの用地を確保することが望ましい。この地域は地形(・・)の(・)変化(・・)にとんでおり、かつ、緑(・)の(・)野原(・・)や自然(・・)の(・)かぐわしい(・・・・)香り(・・)を思う存分感じることができる、ゆとり(・・・)の(・)ある(・・)広さ(・・・)と(・)美しさ(・・・)を有する公園としての可能性を有している。」と公園に対する考え方と場所についての考え方を記している。
この考え方は、イギリス生まれの建築家、カルバート・ボー(Calvert Vaux)と、コネティカット州ハートフォード生まれのフレデリック・ロー・オルムステッド(Frederick Law Olmsted)が共同で設計した「緑の芝生」案が見本競技設計において当選し、その中に受継がれている、1858年4月のことである。
この案の内容は、①地形条件からみた全体構成、②交通、特に都市交通の円滑化のため公園横断部における立体交差の採用、③計画のフレームを将来の都市の拡張に合わせることを可能にした、④公園の境界を植樹帯として市街地の喧噪から公園の雰囲気を守る。その上この植樹帯の連なりが公園の空間に広がりを与えている。⑤ディテールのデザインは公園の二つの基本構造である田園風ランドスケープと諸施設との調和を第一義的に考える などが挙げられる。
この「緑の芝生」案が評価された理由は、
① 巨大都市ニューヨークのグリッド・システムの真中に、約330haの田園景観をつくり出し、イギリス自然風景式庭園(ピクチャレスク論)を下敷として、公園はうるおいと安らぎの場でなければならないことを第一義的に考え、田園国スタイルに基づき、芝生、森、湖、そして外周林を配し、要所に人々の眼をひきつけ、つどいの場が形成されるような建物、噴水、橋など絵画的な施設の導入をはかったこと。また、公園の各所に露出している岩は、なだらかな芝生に荒々しい息吹を与えることに成功している。
② 将来の都市の急速な成長を想定し、公園の機能がこのような外的要因により麻痺状態に陥らないようにインフラストラクチュアの形成に様ざまな工夫と細心の注意が払われた。
この二点が挙げることができる。
このような近代造園の原点となったオルムステッド型の公園概念は、一言でいえば「都市住民の憩いの場としてのユートピアの創造」であるといえる。
   参考までに、“ランドスケープ・アーキテクチャー”の語源は、このセントラル・パークがきっかけとなり公式に使用されたのは、オルムステッドとボーが1863年5月12日付の書簡の中で使用したのが最初であったという。
   1910年、造園家であり都市計画家であるジョン・ノーレン(John Nolen)は、「パークという言葉は、すべての公共の土地に対して、ルーズな意味に用いられている。広場、コモン、公共の造園、遊戯場、近隣センター、公園道路、郊外の大きな保存地、及び、本来のpark等がすべてparkとして用いられている」としてparkの言葉の用いられかたが多様であることを述べている。
   1923年ベネット・マンロ(W.Bennet Munro)は、「樹木や緑草の生い繁っている公共の土地で、公園・庭園、公共建築物の周囲の広場、競技場、近隣レクリエーション・センター、または、近隣公園、保存林、海洋、湖水、河川の沿ったオープンスペースのみならず、或る場合には、遊戯場及び、基地をも含めた広義のものにparkが用いられる」としている。さらにチャールズ・エリオット(Charles W.Elliot, 2nd)は1927年「公園とは何か?」の中で、「一般の公園は、レクリエーティブ・パークで、これには動物園、博物館あるいわツーリストキャンプは置くべきではない、ここではアクティブな遊びや、スポーツは、この公園の主目的と抵触しない限り許される。
建築は数と大きさが制限され、園路もできるだけ少なくし通り抜け道路は、公園の地下か廻りにまわすものである。」と定義した。筑波大学教授池原謙一郎は、従来の造園家達が行わなかった方法、特に公園を持つ機能を整理し、これを公園機能図としてまとめ、機能とイメージを具体的に理解しやすくし、さらに公園の核(基幹的)機能と中継的(地域との)機能、などに整理して画期的ともいえる公園の把え方を提言している。 
筆者は、27年(1988年時点)の間に2500箇所前後の公園計画・設計にかかわらせていただいたが、模索と戸惑いを繰り返しながら現在もその途上にあって考えることがある。
公園デザインは、リハーサルのきかない人生を歩む人びとにとって、くつろげるふるさと的場でなければならず、誰も生きているうちにたどり着きたいと思う感動的空間の実現を目指したものでなければならないと思う。さらに、その空間には、常に生命観が溢れているという活力のある明るいイメージが伴うものでなければならないと考える。
●公園デザインの周辺
   前章までに述べた都市の環境、その中でも人びとにくつろぎの場を与える公園とそのイメージを具体化させるのがデザインであるとした場合、公園デザインはいかにあるべきかについての私見を述べたい。
   ニューヨーク、セントラル・パーク建設から既に130年有余、この公園の評価は都市化が進めば進む程高まっていく事実を考えてみる必要がある。
多くの人びとに求められ、親しまれている公園、人びとがより良く都市に生きる為に絶対欠かせない公園、などといわれながら、意外と公園のことが大切なところで忘れられているように思うことがある。
①そもそも公園とは何か、何の目的で造るのか、そんな基本的な質問をしなければならないような段階であいまいになっている面があるのではなかろうか、公園の定義といわないまでも一般の人びとに、ひとことで共通原語として理解できるものをあらためて整理することが必要ではないか、
「公園」:公衆のために設けた庭園または遊園地、(広辞苑より)という一般的理解にまかせていて良いのか疑問である。
専門家のみが理解できるものではなく広く一般の人びとに理解しやすくする必要がある。デザインにさきがけての討論で、この公園の理解のところでデザイナーとクライアントとの間で根本的くい違いが生じ、まったく逆な把え方であったりすることが良くある。考え方によっては先入観をすてて発想が豊かになる場面もある訳でマイナスとばかりはいえないが…。そもそも公園とは何かについて考え、もっと意見交換を促進させ、いろんなタイプの公園が生まれ得る可能性を追求する必要があると思う。
 ②発想※3
四次元の世界である公園空間をどのようにデザインするかはデザイナーの発想の豊かさに左右されるといって良い、デザイン活動における発想について模索する意味がここにある。
   一般的に考えて、自分が現在何をしているのか自覚できることを「意識」とすれば、その意識の中に人間の五感を通して多岐多様にわたる知識の吸収、蓄積がなされる。この吸収、蓄積された知識を解読し、個別に意味付けられたものを結合あるいは分離して、意味のない様々な構成を試みることにより、常識では理解し難い世界が創作される。このことを単なる想像の遊びとして決めつけずに、この一見想像の遊びを自由自在にできることこそが、豊かな発想や着想につながってくる。
このときには、常識、方式、概念等、一切のきまり事を排除すべきであろう。最近私も各種プロジェクトの委員とかプロデューサーなどおおせつかる年齢になったが、委員会などでは、心して対応しなくてはならないと思う。それは、良い公園をつくる為に、ときには自分自身の損得、自分の事務所の利害を考えない言動をすることだと考える。
   創作活動をしようとする者は、この想像の遊びを抜きにしては豊かな発想や着想を期待することはできない。従って、豊かな発想や着想を求める者は常に生活の中に問題意識をもちながら、あらゆる世界に興味を示すことも必要である。
   問題意識をもちながら、想像の世界を蓄積することが、発想や着想の動力源とすれば、その蓄積量が発想や着想の出力に比例するといってもよいであろう。
   通常、発想といわれるものは、氷山の一角のような断層にすぎず、膨大な量の基礎資料が必要となる。それは、ときには調査データであったり、物であったりするが、その多くのものは、創作者の内に蓄積された知識の形である場合が多い。
これらの過程において、日頃の訓練や練習によって培われたものが多く豊かであれば、現実的な問題に対して反応が早く、また少なければ反応は鈍く、問題意識は現実と遊離してしまう。同時にそのように磨かれてできた形を理解する場がなくてはならない。
そのような発想や着想を単なる気まぐれとして受取る場が応々にしてあり、特に独自性を求めている場では、その発想を理解しようとする努力がなければ誇れる公園は生まれない。せっかく関係者の努力によって公園の場が拡大されてきている中で、全国一律の雰囲気の公園ばかりになりがちなことをなんとしても防ぐ為に発想を豊かにしなくてはならない。
デザインの現場でこの原因の一部を考えてみると、もっともよくあることは、公園の性格付け、位置付けなどで、将来公園を利用するであろう世代の人々の公園への欲求よりも、長く政策に関与し状況を熟知した人びとの意見が方向を決定している場面が多いこと、公園の専門家でありながら公園をほとんど利用したことがなく、土にもふれたこともないような人のみによってデザインの方向が決められてしまうことが多い。この更新性を如何にするか、クライアントである行政関係者は良く考えねばならないだろう。本当に公園を利用する人びとの為を考えれば、従来の先入観にとらわれない発想が今求められていると思う。生命体を主体に構成されている公園を美しい、楽しい場とする為に、公園を造れば当然管理費が必要だという発想こそ文化のバロメーターではなかろうか。
   「全機すれば調和する。」※4という格言のようにすべてのものが、その天賦の機能をあますところなく発揮できるようにすることによって人間と自然の調和した公園が実現する。これを実行するのに最近コンピューターを取り入れたデザインが盛んであるが、この時、情報処理を機械に頼るあまり利用者のことが忘れられ、「無用の用」の存在しない公園になってしまう傾向も増えてきたようだ、現代科学の恩恵はデザインにおおいに応用すべきであるが、他方現地調査、経歴を重んじたデザイン体制も求められる。「学問なき経験は、経験なき学問にまさる」※5の格言に学ぶことも時として大切ではなかろうか。
③ランドスケープ・デザイナー※6
公園を設計するのはランドスケープ・デザイナーの本業であるべきだと思う。それにもかかわらずに公園が公共施設であることから、入札によって設計者が決められてランドスケープ・デザイナーのあづかり知らぬ所でとんでもない仕事がなされていることがある。
前記した発想の項における想像の遊びを理解しようとしても、公園に対する理解のところで根本的な違いがあって全然人間の利用に耐えられない場合はどうしようもないと思う。
特に設計者の決め方に今後の課題がある。現在は公共事業においてはそのほとんどが指名願を役所に提出し、その中から指名された者によって競争入札が行なわれ最低額の入札者に落札される仕組みである。これは一見公平で合理的方法に見えるもののクリエイテイブな成果を得る面で問題も多いことが各方面から指摘されて運用の仕方に工夫がこらされるようになったものの根本的な改善にはなり得ていない。また指名願を各役所に提出するエネルギーは毎年膨大なものとなる、このエネルギーがクリエイテイブな面に向けられる工夫はないものかとも思う。最近はプロポーザル方式あるいはコンペ式も行なわれるようになってきたが公開方式のものは少なく、また審査の様子などその詳細が公表されない事が多い為不審をいだかせる例もあるが、今後検討の余地のある方法ではあろう。このようなデザイナーを唯にするかの方法論も十分熟していないところで建前論を述べても…、との批判もあろうが、事、公園デザインに関しては、ランドスケープデザイナーの思い込みが適用する習慣を定着させる為、当事者は奮起せねばならないということになろうか?
④公園評論
良い公園を創る為には良い設計者を選定することであるが、何がどのように良く、どこが悪いかの評論が公園関係者の世界に存在しないのはなぜであろうか。公園論の必要性がいわれていてもあまりその種のものにお目にかかることも少ない、またあっても人やテーマが限定されている場合が多い。幸いなことに最近は季刊「ジャパン・ランドスケープ」、「環境緑化新聞」、月刊「公園緑地建設産業」、「グリーン・システム」など関係者の御努力によって楽しみな芽が成長してきているように見受けられるのはせめてもの救いである。また各種団体においても機関雑誌が充実してきているのでそれらの中でおおいに公園について論じ合う時期にきているように思える。
ジャーナリズムが充実するということは優れた設計者の存在を確認する意味でも意義のあることである。
建築などではジャーナルが先行しすぎてそこへの掲載のみを目的とした設計があり利用者が無視されている。などと、耳にしたこともあるが、逆にわれわれの分野ではあまりにも発表の場と発表しようとする意欲が貧弱である。さらに、各種の組織団体などが発行している雑誌の取材による記事はなぜか設計者の名前を記載していない、作品のほとんどが公共事業であるため、委員会などによって方針が出されることが多いので特定の設計者の名前を記すことは困難だ、との理由もあるようであるが他の関連分野の実情を見極めるまでもなく改善すべきであろう。
設計者を明らかにすることは、その公園の良否についての責任の所在も銘記したことになり公共事業であるが故にむしろ主旨にかなうことともなるのではないだろうか、このようなジャーナリズムの成長はすぐれた公園評論家を育てることにもなろう。その場合匿名などといわずに評論している人物像が理解できる本名の評論が必要だと思う。匿名ではせっかくの評論の意義もうすまる。
⑤デザイン成果等の評価
発想、構想、基本計画、基本設計、実施設計、施工監理の流れが一般に敷地条件等の調査後行なわれるのがデザイン活動である。一見小さな公園に見えても地元の各種の対立する意見の調整、厳しい立地条件、などの解決を得て作品に絞り込んでゆくエネルギーは予想外に大変なものである。このことは公園に限らずクリエイテイブな活動をする分野すべてに共通したことと思われる。
ところが、このようなプロセスを経てまとめられた図面などを設計者と無関係に現場で変更して施工されることがある。時にはクライアントの担当者個人の判断で図面に表示されていない石などを余計置いたり、樹木を増やしたりされることがある、公園の性格からこれら自然の素材はなんとかなじんでくれることもあるが、広場などは空間構成上根本的に問題になることが多い。このようなできごとはデザイン行為への無理解と軽視、デザインに対する行政体の無知をさらけ出していることになろう。
他方今、多くのランドスケープ・デザイナーが日夜デザイン活動に粉骨砕身の努力をしているが、これらの行為に対する代価も著しく低くて、デザイナー自身がとても美しい山野や、観劇その他、都会の文化活動に参加して、豊かな感性を養うこともおぼつかない有様であることを思うと、将来の公園の質において不安感をぬぐえない。ハングリーな状態こそクリエイテイブであり得る、という考え方も理解できるが程度問題であろうと思う。
これからは、形のないアイデアや、ノウハウに対しても相応の評価をして代価を支払う習慣が定着することを望むものである。
●公園都市へ
この26年有余、公園設計に専念した日々を積み重ねてきたにもかかわらず、未だに初期の発想が主として管理が困難という名のもとに実現していないもの、あるいは野鳥の住める街づくり、のように実のなる植物を都市にたくさん植栽するという提案が当初とりあげられなかったものが、今では当り前になってきたなど、時と共に、公園都市の実現に近づいてきているように思われる。
私自身としても、緑に代表される自然、その他、野生鳥獣などに少年時代より興味を持ちつづけ、信州松本に生まれ育ったということも手伝ってか、なんの疑問も持たずにランドスケープ・デザインの世界に身を置いて今日にいたった。
結果的には幸せだと思いながら最近一抹の不安がよぎる、最近お逢いする人びとのおおくが、緑の時代でお忙しくけっこうですね、が挨拶がわりになったことに象徴される現象である、ハイ!お陰様で、とそれですむことかもしれないが、心晴ればれとしない、私自身のことを考えても、また周囲の関係者の容姿をうかがっていても同じような雰囲気を感じないでもない。今回、思いつくままに「人・都市・公園・デザイン」と記したようなことが解決され、一日も早く一抹の不安など吹き飛ばして、強力なデザイン活動に専念する為に従来に増した努力をしなくてはと思う。
 そのことが、われわれの求める美しい感動的なユートピア、「公園都市」の実現に結びつく道であろう。(1988.1)

参考文献
※1 平山育男:「インテリアエクステリア事典」401ページ 1987.12
※2 石川幹子:「近代造園の原点」―造園夏季大学講義録― 1986.8
※3 小林治人:「造園ハンドブック」第2章設計 1978.10
※4 森 政弘:「致知」 1988.2 “全機すれば調和する”
※5 戸栗栄三:「致知」 1988.2 “東西の格言を基に医を考える”
※6 小林治人:「造園雑誌第50巻第3号」―環境創造とランドスケープデザイ
ン― 1987.2
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by harutokobayashi | 2006-09-29 17:51 | 設景の思想