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日本における環境創造の方法
日本における環境創造の方法
1987.1.29

1. 環境創造の黎明
2. 環境創造の展開―イフラからイフラ―
3. 環境創造の視座
1)対象の理解
2)星座のように
3)自然に触れそして学ぶ
4)国際性
4. 環境創造―それは作品性の追求―
5. 環境創造―それは人づくり―

日本における環境創造の方法
小林 治人

1.「環境創造の黎明」
 21世紀を間近にひかえて、生活環境に関する人びとの関心の高まりには著しいものがある。特に科学技術の急速な進歩に支えられた生活様式の変化は、確実に人間生活とかかわりのある環境の理解の仕方にも変化を与えて、ランドスケープ・デザインを専門とする職能にある私なども戸惑いをおぼえながらも、新しい形態の対象に情熱を燃やすこととなる。
 このような状況はどのような背景で育まれてきたかについて私見を述べ、今後の「環境創造」を考える為の参考に供したい。私はこの発端は昭和30年代の後半にあったと考えている。この時期は首都東京で東京オリンピック大会(昭和39年10月)が開催されたがこの為の関連事業が急テンポで進められ、首都はいたるところ喧噪の渦に巻きこまれ、10月1日から運行になった新幹線は、東京―大阪を3時間10分で結び、これらの波紋を全国へ拡散させた。この時期は、日本の政治、経済、技術などの面で、戦后処理から脱出して先進国家へと仲間入りを果たすために、経済成長政策が強力に推進されて都市化が急速に進みはじめた時であった。
 この余波をうけて、日本の国土は開発ブームにあおられて、いたるところで開発か保護かの論争が展開されはじめていた。急激で無秩序な開発による環境変化へ対応しきれない人びとの怒りが各地で爆発したように見受けられた。このような中で、㈳日本造園学会は、第9回イフラ日本大会を開催した。昭和39年5月、東京・京都を中心に「人間生活における造園」をメインテーマとして、世界の19カ国から著名な造園家118名が参加して熱心な研究討議が行なわれた。
 当時のイフラ会長F.C.Cabral(ポルトガル)は、基調演説においてもし造園家が社会に勧告をするとするならばとして、「土業においても農業においても、都市においても農林においても、われわれ造園家が考えるべきことは、人間生活のための全面的な環境の整備であり、しかもそれが、全体的な景観に関するものである。」と提言し会議の成果への期待を寄せている。
 テーマの主旨に沿って行なわれた大会を通してこのような期待が具体的に確認し合えた面もあったが、逆にわが国の環境創造への課題が浮彫りになった。「日本の造園」(第9回イフラ実行委員会編集、誠文堂新光社発行、昭和39年5月10日)によると、
 造園デザインにおいて伝統と創造との対応をどのように意識していくか、たとえば日本の伝統庭園様式と、その影響が形や空間構成の表面的摂取という面でのみ行なわれてきたように見える点をどうするか。
 現代日本の造園についても欧米のモダン・ガーデンの作品となんら質的に差のみられないものが多い。
 これらのことをふまえて全体的には、今までの庭園的な空間造型を公共的空間の中でいかに都市的・国土的スケールへ伸展させるか。さらにまた、歴史的庭園空間造形の質性が日本における今後の都市と国土の飛躍的な変貌過程の中に浸透しそしていかに再結晶させていくか、他方アノニマス作品における先人の知恵をどう創作過程に応用するかなどが大きな課題であるとしてまとめている。
 これらのいわば近代「環境創造」の黎明期における課題がどのようにその後の20有余年で対応が計られたかについて俯瞰してみたい。

2.環境創造の展開 ―イフラからイフラ―
 環境創造にかかわる各種の分野は前記した時期を境にいくつかの新しい展開をしていることが確認できる。特に、日本の都市、工業、農村、自然などの各地域を包含した国土のあり方について各種の法制度が誕生している。都市環境にかかわるものの中から主なものをみても、「首都圏近郊緑地保全法」「古都保存法」「都市緑地保全法」「全産緑地法」「公害対策基本法」「工業立地法」などがあり、これをうけて国をはじめ各地方自治体にも新しい部署が新設されたり、類似の部署が総合新生するという現象を多く見ることができた。
 このような行政側の組織ばかりでなく、公益法人の設立もあいついだ、その中から官庁主導型の主なものを挙げると、㈳日本公園緑地協会、㈶都市緑化基金、㈶公園緑地管理財団、全国公園協会連絡会など都市公園法をベースにしたものや、㈶自然保護協会、㈶日本緑化センター、㈳道路緑化保全協会、㈶河川環境管理財団、など自然公園法をベースにしたものあるいは複数の省庁所管のものなどその数は多い。
 民間主導の組織としては、㈳日本造園建設業協会が全国の造園施工会社を会員として発足、造園事業の発展促進と主として施工技術の進歩にその実績を示すようになっている。
 また公園など公共空間における各種の施設を制作する会社によって組織された日本公園施設協会、運動場ならびにその環境を整備する日本運動施設建設業協会、噴水・流れなど水景施設を利作する日本水景施設協会など専門的な職能にそれぞれ分化したいわば職能団体が組織された。またランドスケープ・デザイナー達の組織も昭和39年のイフラ日本大会にそなえて昭和38年3月「造園設計事務所連合(仮称)」として名簿を作成したことに端を発しているが、当時15会員、スタッフ数20名未満であった、それが昭和62年1月現在、会員数115社、スタッフ数2000名未満にまで拡大している。
 これら職能別組織の他に、各々の組織に所属する個人を横につなぐために設立された㈶日本造園修景協会がある。学術的な面では大正14年設立された㈳日本造園学会があり、イフラなどとの学術交流を計りながら、内外の造園学の要としての役割を果たしている。
 このような数々の変化の中で昭和60年には「環境と創造―自然資源と文化遺産の保全を通して」をテーマとして第23回イフラ大会が再び日本で開催された、21年振りのできごとであったがこの時は参加33カ国270名(除同伴者)の外国人を加えて1000人近い大きな大会であった。横山光雄元日本造園学会長は、その基調報告の中で、「自然資源の保全と文明」および「歴史的遺産の保全と文化」という問題は、これからの「環境と創造」を考える両論であることの意味を、われわれ造園家は、21世紀に向って、イフラを通じて国際的議論を深めるべきである。とし、さらに、現代は、コンピューターに始まって、工業時代から離陸して地球レベルの情報化時代の入口に到達している。今日の人類は、先端的科学技術の進歩の間にあって、環境と文化の変容に対する危機感に震えつつも、世界平和の基礎を確立し、その上で建設される文明と文化の発展を心から期待している。 と提言して造園・造園家の職能の理解を幅広い総合的な視座からすべきであることを格調高く明快に示し関係者の意識を大いに啓発したものであった。21年振りに再度日本を訪れることのできた海外の代表からは、日本のランドスケープの変化の著しさに一様に驚いたものであった。それと共に日本がなぜ「環境と創造」をテーマにしたかの理由も短い大会参加の体験を通して理解されたものと思われた。
 いずれにせよ、このイラフからイラフへの展開は思いもよらぬスピードと密度で展開したことを銘記するに十分過ぎるできごとが重なったが、この時代にめぐり合ったことの理解には時として、戸惑いをおぼえる。一見華やかに、前進的にみられがちな社会の中にあったにもかかわらず、環境創造の多くの場面で中心的役割を演ずべき立場のわが国の造園・造園家の職能や立場が正しく社会に理解されていないことがはなはだ残念でならないと思う側面を持つからである。この理由として考えられることは、前記したイフラ大会の課題の中で提示された、環境創造にかかわる論が具体的作品にどう反映したのかとの問いかけに結びつくものであり、デザインの分野に身を置く者の一人として内心忸怩たるものがある。
 作品の持つ総合的な言語程、環境創造にかかわる分野を社会に理解させる手段は他にないと思っているが、もし作品不在という視座が正しいとするならば今後の活動のためにもその理由などについて考え、それを直視することによって次氏への足がかりとしなくてはならないと思う。

3.環境創造の視座
 環境創造のあり方を考えたとき、いくつかの視座が求められる。
1)対象の理解―界・境の融合―
最近の緑に代表される環境創造への関心の高まりには前記したごとく著しいものがあるが、最も関連の深い造園という分野についての理解のされ方には問題がある。
「造園が家の外まわりの空間―にわ―を整えることから始まった」(「造園学」朝倉書店1986年)という近代以前の造園の理解は、家を造る学問が造家学から建築学へと変わったような進展もなく今日にいたり、そのまま社会に浸透してしまった。園を造るという本来の前進的イメージを持つ側面は理解されぬままになってしまった。
ところが最近のプロジェクトなどをみても、空間的に広域的なものからいわゆる庭園にいたるまで対象の多様化が進行するとともに、フィジカルな面ばかりでないソフトウェアー的な面からのものも急増して新しい対象へと広がりが出てきている。国際博覧会などの例を見ても造園、土木、建築、各種デザイナーなどの他、財政、広報、催事、展示、各種アーチスト、システム・エンジニア、などなどその他多くの専門家が相集い、同一の目的に向かって知恵を出し合うこととなる。このような場合お互いにベースとなる専門のフィールドを持ちながらお互いの領域の界・境をなくして学際的、職能的に仕事が進められることとなる。また身近な都市公園などもその構成も周辺の環境に開かれた形が多くなり、その空間領域を示す協会も融合化の方向に向かいつつある。大都会のビルなどセアトリラムなどが出現し始めたことにより、屋内の緑を取扱う場面も増えている。逆に屋外に、かつて屋内で利用されたようなファニチャーなどを配していく例も出てきた。これらの事象を見極めながら新しい対象の理解を見定めた対応が必要となった。
2)星座のように
 座・C1ビジネス(サイマル出版社)の著者、田中惣二氏(電通シニア・クリエイテイブ・デイレクター)は、これからのクリエイテイブな活動をする為には共同の作業が増えてくる。その活動チームは個々に輝く星のような個性の集合によって描かれる星座のようでなくてはならない。と語ってくれたことがある。23年ひたすらにランドスケープ・デザインの仕事をしてきた私としても同感だと思った。
 今日のように人々の生きがいや、心が大切にされる時代になると環境創造の展開も著しく変化してきた。前記したごとく、個人の学・術・知・感性などを超えた能力が求められる傾向が益々強くなってきている。個人住宅の庭園などのように一人のクライアントのみを対象とするような仕事が減ってきている。広い利用対象と幅広く深い専門知識を必要とする場面が急増して、俺が俺がだけでは対応しきれない時代となった。このような状況に対応してデザイン活動も組織化が進んだ、そのことによってわれわれという意識も急激に成長してきたといえる。しかし、まだこれらのことが理解されていないあるいは理解しようとしない面もある。本質的にはこの両者の考え方があって良いし、なくてはならないとは思うが、ここでは星座のようなクリエーター集団を形成させることを前提としてその為の留意点を列記しておきたい。
①環境創造の目標を明確にすると共に、その為の理念をかかげる。
②輝く個性を持ったデザイナーとして豊かな感性を磨き発想に結びつける。
③老若男女を問わず幅広い分野の人びととの円満な人間関係が保てる。
④自分と異なる意見に耳を傾け、時にはそれに共感できる。
⑤共同することを快く楽しくできる人柄。
⑥専門のこと以外の分野へも貪欲な知識欲を持つ。
⑦専門家と意識できる実力を養う。
これらの心がけと自己トレーニングによって個性的輝きを持った星となり、それらが美しい星座を形造って人びとに夢とロマンを与える環境創造ができると考える。
3)自然に触れそして学ぶこと。
 生物の原則を基礎とした環境の構築にかかわる者は、自然との接触頻度が高くなければならないと思う。最近の情報社会になってくると、カタログ的情報から頭でのみ自然の事象を理解していく傾向がある。環境創造にかかわる自然の理解は五感を通して身体に吸収され、定着した確かな自然感がなくてはならないと思う。
「美学にはプラスの美学とマイナスの美学があり、それは動の美学と静止の美学と置きかえて表現することもできる。自然やその事象を含めた環境の美学はプラスの美学であり、動の美学である。なぜならば環境創造は時間計画なのだから・・・。」
 同郷のデザイナー西沢健氏(G・K設計)と最近の子供に対する美術教育に関連して談義している中で自然の中で学ばせることの重要性について語り合う中で得た一つのとらえ方である。ともすると譲らいの美術教育は、自然の造形性、色彩性、質感性など自然の構成の一部分を静止した状態で平面的にとらえ図化するようなことが中心で、時間の系が入っていない。その重要性については気付きながら、具体の形でそのトレーニングがなされなかったのではなかったか。このことを好意的にとれば、昔は学校への途上、あるいは日常的な生活環境そのものが自然に恵まれていて学校であらためてその体験をさせる必要がなく、フィールドでできない面のみが学校で教育されたといえる。
 しかし、現代においてはこのような環境に恵まれていない人びとが増えている以上、それぞれの教育の場でのフィールド学習はもっと強化される必要もあるし、社会にあってもこの面にもつとエネルギーを注ぐことが急務だと思う。
4)国際性
 今日本は、イフラメンバー各国の中で最も注目され関心の的になっている面がある。過去2回のイフラ日本大会の総合的成果といえよう。それ以前にハイテクノロジーに支えられ発展をとげた日本国としての国際社会での立場の向上に支えられての事ではあるが・・・。
 このような中で、造園家の交流が活発となりランドスケープ・デザイン関係の事務所にも各国の青年が出入りすることがめずらしくなくなってきた。イフラの関係者を通して日本に来たいという人の数も増加している。このような人的交流を通して相互に新しい発見をしていく機会も多い。
 かつて、発展途上国への技術援助の一環としてのプロジェクトが主体であった海外プロジェクトも、このところ先進諸国と共同のものもあらわれてきた。このような異文化同士が混合することによって、新しい考え方が育まれはじめているようにも見受けられる。
 このような背景の中で今や日本の環境創造とその理解へのレビューは好むとか好まざるとにかかわらず国際という目に今迄以上にさらされている。どう答えるか、われわれに課せられた命題でもある。

4. 環境創造―それは作品性の追求でもある―
1)設計者の決め方
 日本における環境創造の仕事は多方面の展開を見せているものの、このところ公共主導型の事業が全体の主流を成している。
 国土スケールのもの、地域・都市を対象とするものから身近な広場・公園・緑地・オープンスペースにいたるまで役所が事業主となって事業が進められる。当然で当初はこれらの計画設計、施行監理にいたるまでの業務は役所の技術者がこれを担当していた。それらの中からいくつかの作品が生まれ他の事業のモデルとされるものが現われた。しかし、前記した環境創造の黎明期とした昭和30年代後半から40年代初めにかけて民間へこれらの業務が委託されるようになった。以後20有余年経過してこのパターンはすっかり定着した。しかし反面業務委託の方法などでいくつかの問題も含んできたのではないか。ここでその方法の是非にこの誌面をさくつもりはないがこのことが及ぼす環境創造活動における質の面からの影響を見逃す訳にいかない。
 特に設計者の決め方に今後の課題がある。現在は公共事業においてはそのほとんどが指名願を役所に提出し、その中から指名された者によって競争入札が行なわれ最低額の入札者に落札される仕組みである。これは一見公平で合理的方法に見えるもののクリエイテイブな成果を得る面で問題も多いことが各方面から指摘されて運用の仕方に工夫がこらされるようになったものの根本的な改善にはなり得ていない。また指名願を各役所に提出するエネルギーは毎年膨大なものとなる。このエネルギーがクリエイテイブな面に向けられる工夫はないものかと思う。最近はプロポーザル方式あるいはコンペ方式も行なわれるようになってきたが公開方式のものは少なく、また審査の様子などその詳細が公表されないことが多い為不審をいだかせる例もあるが今後検討の余地のある方法ではあろう。
2)作品を知る―ジャーナルの必要性―
 設計者の選定の時点で環境創造における作品性が決まるとすれば作品性に重点を置いた評価の目が大切になる。しかし、日本ではこの作品を知る機会方法が極めて少ない。それは、ジャーナルが十分育っていないことにも一端の原因があるように思う。毎年内外の環境創造活動が俯瞰できる雑誌などが必要であり、それらに対する論評があれば作品の理解に役立つとともに、設計者の存在を知ることもできる。建築などではジャーナルが先行しすぎてそこへの掲載のみを目的とした設計があり利用者が無視されているなどと、耳にしたこともあるが、逆にわれわれの分野ではあまりにも発表の場と発表しようとする意欲が貧弱である。さらに、各種の組織団体などが発行している雑誌の取材による記事はなぜか設計者の名前を記載していない。作品のほとんどが公共事業であるため委員会などによって方針が出されることが多いので特定の設計者の名前を記すことは困難だとの理由もあるようであるが工夫の余地がある。作品を多く社会に知らしめそしてどんな人が設計したかを知ることの意義を軽んじてはならないと思う。
3)設計のことは設計者中心に
 これからの時代性のサイクルは益々人間性の追求に目が向けられていくと思われるが、環境創造にこれらの時代の流れを反映させていくためには真の設計者といわれる人が求められる。一枚の図面に具体のものとしてこれらを絞り込んでいく能力者が必要である。
 調査資料の多さや図面、レポートの料が活況創造の質を決めるのではない、一枚の図面の意味を考えられる者によって設計は進められなくてはならないが、現実には基礎的設計能力を持たないと思われる発注者の担当者が、せっかくの良いアイデアを殺してしまうことが多くある。逆に発注者側の専門的質問に十分対応しきれない設計者もある。造園人の造園知らずといわれる所以である。ひとつひとつのプロジェクトが社会的に重要な意義を持っているのにかかわらずこのようなことでは設計が進まないだけでなく社会的問題でもある。
 設計を進める段階では設計者が中心になってクリエイテイブなリーダーにならなくてはならない。その為には関係者の信頼に足る資質を持ち合わせる必要があろう。共同による設計作業もこのようなすぐれたこのプロデュースによって初めて輝いたものとなると思うが日本では一部の事例以外に造園家にそこまで一任することが少ない。大規模公園なども多くの経験と豊かな感性を持つ造園家に全体設計などのプロデュースをゆだねることが必要である。

5. 環境創造の方法―それは人づくり―
 環境創造の方法について、実務家としてのレベルで思いつくままに考え方を述べた。ここにまとめてみると昔から少しも変わらないで言われ続けてきた結論になってしまった。標題に対する答えとしてもっと違った発言ができるかなと思っていたが・・・。
 環境創造の方法、それは人づくりが最優先されるべきであるということである。そのことがすぐれた作品を造ることに連携していくのではないか。すぐれた良い作品に対してはじめて正当な社会的評価が与えられ、造園家という職能の安定確立が促進される図式が成り立つ、所詮はこの繰り返しによって環境創造の課題のいくつかが解決され新しい気運を醸成していくのではなかろうか。
 最も新生な環境創造の分野こそ若くて有能な優れた資質を持った若者に向いた職能であることを理解させるために、関係者は心身に新しいユニフォームをまといその正しい理解に努力する時に来ている。

6. 環境創造における新しい試み事例
 前記した環境創造の黎明期から今日にかけては日本中いたるところ大規模土地造成の歴史でもあった。
 東京湾もその例外ではなく直立鋼鉄板護岸によって広大な土地が海面上に姿を現わしたのであった。しかし、この土地は海と土地との生物的なふれあいを断つものであった。
 ここに紹介する「お台場海浜公園」はこのような背景をふまえて、東京都が昭和47年からはじめた海浜部の修復それも人工的で無機的な土地を生きた(・・・)土地(・・)によみがえらせるためのプロジェクトの一環として行なわれたものであり、多額の工事費を要した鋼鉄板護岸を思い切り良く切除あるいは埋込んで、白波が打ち寄せる干潮帯を構成させることに成功したものであり、海洋国日本の数5キロメートルに渡る海岸線を考えなおす為にも先駆となるものである。
 昭和61年竣工したお台場ゾーンもすでに多くの生き物が生活し始めていると共に、自然の保護と相反するとみられがちな人びとのレクリエーション活動とも融合して空間が醸成していく次がうかがわれる。


所在地 東京都港区台場
事業名
発注者 東京都港湾局海上公園課
設計者 ㈱東京ランドスケープ研究所
    小林治人(総  括) 深見忠伸(造園)
    堀越千里(デザイン) 渋谷卓夫(建築)
    宮崎保郎(土  木) 古沢浩一(建築)
    杉田 章(造  園) 上村 久(設備)
施工者 芝茂造園㈱親和建設㈱日工建設㈱
    五洋建設㈱泰正建設㈱新光建設㈱
    平島建設㈱石狩造園㈱末広土建㈱
規 模 全体面積 53.2ha (内訳)陸域6.9ha 水域46.3ha
着工年・竣工年 昭和47年~昭和61年3月
仕 様 全体設計、親水護岸設計、陸域設計
総工費 約2億
交 通 都バス 国電品川駅東口又は地下鉄東西線門前仲町駅お台場海浜公園入口下車
        海上バス 竹芝(日の出さん橋)お台場海浜公園


引用:「ジャパン・ランドスケープ」第1号 1986.7
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by harutokobayashi | 2007-01-29 16:05 | 設景の思想
設景の職能
「設景職能環境」
 設景の職能に生きてきた一人として、今後の職能環境変化について考えてみた。
20世紀末からの急速な環境への認識の高まりと、大都市における超高層ビルなど巨大人工空間の出現によって、都市計画、建築、都市基盤施設技術(今迄土木といわれた分野)、彫刻に代表されるアートなど多様な技術者・作家などと創作活動を協働する機会が益々増えている。その時造園・ランドスケープ関係者の声が小さく、あまり期待できないなどという声を聞くことがある。心外である。
 確かに緑環境の重要性は、広く社会に認識されているものの、一般的にはその中心をなすべき造園関係者の多くが、巨大プロジェクト全体の進むべき方向性の根底をなす哲学・発想を発気しえないで、外構などという部分の仕事に押しやられることを享受しなくてはならない状況にあることは事実といわざるを得ない。
公共事業として公園緑地など各種の緑化事業が推進される場合、その設計業務も入札制度が確立している以上、法を遵守することが絶対条件であるが、何か他に良い方法は無いものかと思う。今のままだと人々の求めに応じられる能力・智恵を生かせない。大きな国家的損失である。
 現状を肯定したとしても、入札への応札資格を得るために、技術士など有資格者の人数などが評価の対象となり、一定以上の組織化が重要事項である。この場合優れたセンスを持つ個人設景家など活躍しにくい。
 このように職能環境の変化は著しくその対応は容易ではない。早急に関係者特に発注の立場に立つ者は実態を把握し、新しい世紀に合った発注方式を開発しなければならないとともに、21世紀、地球環境も含めた多くの課題解決に挑戦する職能人も自らの道を、自ら開発していく危害がなければならない。また、同じ職能に在る仲間に希望を与え、確固たる道筋を示すために、関連職能人の横断的連携強化によって、明日が今より良くなる職能環境創出に向けて命がけの努力をしていく時である。
(2006・12・31・舞浜ユーラシアにて:ATLAS・21設景)
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by harutokobayashi | 2007-01-02 22:09 | 設景の思想
環境建築
「くにたちの建築作品」             1994・11・26
 国立資料館は、まさにアメリカンスタイルの建物、武蔵野の大地に移入されたグラスハウス、大地を掘り下げ、ミュージアムの機能をサンクンされた空間に設置し、そこから見上げる安養寺の森、その時、周囲の密集した住宅などの建物が視界から消える。このすばらしい空間演出、空と森、まさに効果的な空間創造、レンガタイルの色、武蔵野の雑木林の色、意図的にデザインされ植えられたムラサキシキブ、侘び、寂びの香を感じさせる。国立の新しい文化の目玉施設となった。
 しかし、気になること、安養寺の森には昔から多くの生き物、特に野の鳥が多く生息している。かれらは、この森を中心に営みを続けてきた。そこに隣接して突然現れた見えないガラスの壁、そこに激突する鳥たち、建築家が設景の思想の一部でも理解していれば避けられる事故の予感、建築家は鳥も馬鹿ではないから学習し、ガラスは避けるという。しかし、留鳥の一部はともかくとして、直線的な飛翔をする種は飛翔を抑止することが難しい、あるいは旅鳥、渡り鳥には学習のチャンスは無い、建物のデザインがすばらしいだけに生き物の技術が応用されていないことが残念だ。

 この作品を見て一週間位したとき、ミュージアムの館長さんから電話があった。
幼稚園生が学習に来た時の出来事、幼児たちがバスから降りてミュージアムの入り口に向かって走り出した、その時入り口近くのムラサキシキブにいたメジロの群れ(十数羽)が驚いて飛び立ち、哀れにもガラスの回廊に激突して幼児の目前で11羽が死んだ、何か良い方法は無いでしょうかとのこと、予測していたことが残念にも的中したことになった。
早速軽井沢の星野温泉に、窓に張る鷹の形をしたバードセーバーが売ってますこれをガラスに張ったら被害が防げるのではとお話した。
鷹の形に鳥は驚いて、結果的にガラスを避けることになることになるとの考えと何かがあることを教えることができる。
 視覚的に風景に溶け込んでいるから環境建築、というのではなく、野の生き物にとっても安全な対策がなされて、はじめて環境建築といえるのではないか・・。
「くにたちの建築作品」は洗練された美しい作品であるゆえに誠に残念であった。
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by harutokobayashi | 2007-01-02 21:56 | 設景の思想