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住宅購入
「住宅購入のポイント」(ニューヨークの場合)
ニューヨークで活躍する建築家、広木邦明・芳美御夫妻から表題に関するお話を伺う機会があった。
1:日米の違い 不動産取引のとき、日本は土地に価値があり建築は中古になるとその評価が下がるが、アメリカでは建物に価値があり中古でも価値が下がらない。そのため古いマンション部屋などいかによくリノベーションするかが重要である。
2:ニーズにあった物件選び
Condominium 不動産の所有。そのユニットのオーナーとなることが利殖になると投資家に人気がある。
Co-op 住む権利の所有。株券の所有。賃貸する時に規定がある。
Condop CondoとCo-opとの中間型、比較的賃貸がしやすい。
3:住宅購入の手順
①不動産業者に相談する。
②Diclosureフォームにサイン(買い手側か売り手側か確認する。)
③予算・希望の広さ・エリアなど要望を伝える。
④平行して銀行に相談する。
⑤銀行からのプレアプルーパルを持って物件探し
⑥弁護士に相談し、必要な書類をそろえる。
⑦契約書にサインして、クロージングの準備(クロージングの日までに支払の準備)
⑧クロージングをして晴れてホームオーナーに!(残金処理のためチェック持参)
4:マーケットの現況
マンハッタンの売買契約数は、昨年の同時期に比べて19.4%上昇した。
売買価格も14.4%上昇している。(不動産価格査定会)
マンハッタンの住宅の価格は右肩上がり、9.11以降は少し落ち込んだもののすぐに上昇した。過去5年アッパーイーストの平均価格の2倍以上になった。
Askingより低い価格で買えるビルもあり、買い手にとっては有利な動きが見られる。
イーストハーレムの開発、アストリアのマンハッタンビューの新しいコンド開発、価格もマンハッタン並みのものができている。
アッパーイースト、1ベットコンド60万ドル以下のものは少ない。ハーレムだとまだ40万ドル台で探せる可能性がある。Co-opだとさらに安く購入できる。
5:必要な費用(リノベーション・不動産手数料など)
不動産手数料:売り手が払う。売買価格の6%が基本
譲渡税:Resaleの場合売り手が払う。SponsorSaleの場合は買い手が払う。中古マンションなどリノベーションすると価値が上がる。売るときのことを考えて考慮すべき、特に水周りはお金がかかるので注意が肝心とのことであった。
東京の居住用マンションも用途変更その他の理由が生じた時、リノベーションにより資産価値を高めるデザインが求められる時代になりつつあるのか、なっているのか・・・。とのことであった。
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by harutokobayashi | 2007-09-28 14:57
公益法人
「造園修景家組織の理念を問う時」
㈱東京ランドスケープ研究所代表取締役社長小林治人
はじめに
(㈶日本造園修景協会(以下協会と略す)設立30周年にあたり、私の手元にある協会設立当時の資料から、協会設立の哲学・理念を再考した時、日本の造園修景家個々の私的感心・意志を越えてみんなで大同団結して助け合い、社会に貢献することによって、どのようにしてみんなで幸せに生きるかを考え、行動を起こそうとした考え方は、ルソーが「社会契約論」の中で説いている一般意志に該当する。組織を作り職能全体を前に進めようとする、この一般意志を原動力にしようとしたところにあった。
協会設立の芽生え
最初に、法人格を持った協会設立までの記録を見ると、10年有余の歳月が費やされている。昭和46年12月、佐藤昌博士の提唱を受け、前島康彦博士が起草した日本ランドスケープ協会(連盟)設立趣意書がある。ここでは、日本経済の高度成長に伴って、懸念される生活環境の悪化を防ぐために専門の知識を持つ人々が集い、常に知識の交換と、内外技術の交流を図り、総合的推進力を発揮して公共に対する強固な協力体制を常に持続させるために協会設立を決意した旨が述べられている。
さらに昭和47年10月21日、佐藤昌博士の呼びかけで、木村尚文、石神甲子郎、佐藤昌、森脇竜雄、木村秀雄、田丸実、横山光雄、黒澤昇太郎、星忠次郎、北村信正、小形研三、前島康彦、池ノ上容、池原謙一郎、小林治人、金子九郎、梼木理、楫西貞雄、鈴木光三、山内六郎、田治六郎、加藤五郎、長松太郎、藤村正武(順不同)らによって第一回日本造園技術協会設立発起人会が平河町南甫園にて開催され、設立代表者選出、法人設立趣意書、法人定款、法人設立申請書、が議論決定されたが、その後、建設省との事務レベル折衝の結果、当時新規の法人は認めないとの方針が強く示されていた。
その後設立発起人会から4年が経過していることもありほっておけないと、昭和51年7月、当面任意団体として活動することとなった。この年から数えて今年で満30周年である。
この任意団体で検討の結果、休眠状態にあった(財)日本ガーデン協会(昭和25年6月16日設立)の設立理念と残余財産を引き継ぐことで建設省当局の内諾が得られた。急遽前記発起人会メンバーなどが中心となって、財団の理事会を復活させ財団の引継ぎを決議し財団は解散した。
このような経緯をへて昭和58年8月12日めでたく財団法人造園修景協会が発足した。協会名については現在の名称になるまでには紆余曲折があったが,日本ランドスケープ協会(Japan Landscape Association)の提案もあり、国際的にはこの名称が良いということで、英訳を略称とし金色の銀杏の葉にJLAをあしらったバッジも作成されたが、今日着用している会員の姿を見ることができない現状である。
協会の理念
北村徳太郎公園緑地論集(762~763ページ)には、当協会の前身である「日本ガーデン協会設立趣意書」が掲載されている。ここでは職能を修景造園として表現し、造園修景家を景園技術者とも表現している。
その結びには次のように記されている。「前文略・・・・今回同志のもの、斯界に堪能な人々が相集って、日本ガーデン協会を設立し、会館を建設いたしました。ここを本部として地方ごとに支部を設け、前述の趣旨達成のために、逐次適宜の施策を講じたく存じます。おおよそ斯界に感心をもたれる方々は、ふるって、ご入会され修景造園及び観光事業のために寄与されるよう切望される次第です。」と呼びかけている。
また、北村徳太郎博士は、昭和26年の雑誌ガーデン創刊号に、日本ガーデン協会の構想と題した一文を寄られている。「景園事業を志す人々よ、まず集まろうじゃないか、しかして、わが自我をもって、他を悟らしめようじゃないか、手を分けクサを分け津々浦々の、市町村にまで、実行機関たるわが日本ガーデン協会支部を設立させようじゃないか、田園は、まさに荒れつつあり、景園技術者の奉仕を待っている。みずからスコップを持って、学校に病院に工場に住宅に木を植えさせようじゃないか。」と訴えている。
この理念を拡大発展させるため、「造園修景人の責務と課題」と題して。佐藤昌博士は、欧米の自然観とわが国のそれとを比較した上で、「緑認識時代」の位置づけをされ、造園修景家の団結と研究開発、分野の啓蒙宣伝の重要性に鑑み、官、学、民全てが一体になって、私利・私心を捨てて、研究し、施策を練り、豊かな国土造りに先頭を切って活動する協会像を示され会員の一般意志の元、同位同等の思想を主張されている。
そこには、まだ社会基盤の弱い斯界を憂い、公共性の実現を前提として、事業規模が小さく、複雑多様な造園修景界に広く知られた行動指針を学際的・実践的に展開することによって、斯界全体の社会的地位を向上させよとした強烈な職能への思い入れ、愛が感じられ、まさに滅私奉公的情熱が感じられる。
これら先達の呼びかけからは、「私」、「公共(人々・民)」、「公(政府・国家)」の3元論の中で「公」が最優先された時代の行動指針が時代背景として感じられる。
他方現代では、戦後の経済成長により新国家主義ともいえる現象が芽生え、滅私奉公から滅公奉私、エンパワーメントとしてのNPO・NGOなど公共民組織が注目される社会へと大きく変換し、地球環境問題も含め過去の時間的公共性の価値観・組織論では対応しきれない社会状況下に置かれるようになった。
このような時代、空間的な視座から公共性を追求する場面が多い造園修景のあり方、特に公共空間としての公園緑地・オープンスペースの理念は、過去、現代、将来と時間的公共性を意識しながら公共的環境・景観・美学の追求を深め、職能としての品位・礼節を重んじながら、新たな職能哲学・理念を大黒柱とした職能組織へと協会を変身させなければならないことを暗示しているように見える。

協会今後の展開
21世紀になり、日本もキャッチアップの時代から先端国としての見識を持ち、国境を越えて職能の規範を、地球域的に示すことが求められていることも意識すべきである。
産業的に現代の造園修景界全体を俯瞰した時、協会発足当時に比し関連類似組織が乱立ともいえる状況を呈しているが、このことは斯界が多面的に成長し、成熟しつつあるという証でもあると私は考えている。しかし、現状では市場的原理の優越性を保持するにははなはだ脆弱すぎ、組織の共倒れ現象と言わないまでも発展性は弱いといわざるを得ない。
これらの状況を打開するためには、造園修景各界に所属する個人の大同団結によって構成されるわが協会は、同業者組織・団体とは当然異なる機能・役割を求められるのであり、将来に向けて個々の組織構成員が同位同等の思想の元、新マネージメントシステム構築を図るのは、わが協会をおいてほかに無い。幸いなことに、わが協会は、支部活動が非常に活発であり、今後の地域活動を相互に強くサポートすることによって、多様化した関連組織の中において独自性を発揮して、造園修景界全体の市場安定・拡大確保さらには吸引力を強めることが出来ると確信している。 
北村徳太郎博士の、自らスコップを持って木を植えようの理念と、ご高齢にめげず緑の文化探求に励まれた佐藤昌博士を筆頭にした多くの先達のご意志を受継いだ協会は、単に緑の文化人・知識人の集まりではなく行動人の集まりであることを再確認したい。
この30周年を契機として、今後の協会の展開は、改めて造園修景家の職能と組織理念を問いなおし、それを関係者一同の共通認識となし、明日の幸せに結びつく協会活動の具体的方向を示すことが急務となった協会30周年である。

2007年7月1日
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by harutokobayashi | 2007-09-18 17:25 | 設景の思想
戦友
「大前研一さんと小形研三さん」
 仲間の設景家、堀越千里君が文芸春秋85巻第11号(2007年9月)272~273ページに小形研三さんのことが出ていましたとのこと、さっそく拝見したところ、大前研一さん(経営コンサルタント、元東京都知事選立候補者)の「ノモンハンの異常体験が父を変えた」と題する記事があった。
お父さんの異常体験の一つが厳しい気象、零下40度の寒さに耐えるため酒を飲むことを憶えた。もう一つが、ノモンハンでの戦闘であった。戦闘について語らないお父さんが1度だけ、ロシア人との戦闘の詳細を話されたそうである。圧倒的な不利のなか塹壕で怯え、生死を分けるのは運だけ。ロシア軍に忍び寄りゲリラ戦を仕掛ける。
このような過酷な戦場で小形研三さんとお父さんが同じ塹壕の仲で過ごした戦友であったことが述べられていた。以下一部を引用する。
「戦場が過酷であっただけに戦友との絆は固く、ノモンハン会には毎年必ず出席していた。私の「研一」という名前も、〃塹壕にいた戦友の小形研三さんから一字もらったものだ。
小形さんは帰国後造園家となり、我が家の庭もお願いした。後に、私がガレージを広げるために庭の一部を潰したら、親父は滅茶苦茶に怒った。後にも先にもあんなに叱られたことはない。庭そのものが、戦友の形見だったのだろう。悪いことをした。」
 小形さんと私は、1964年から日本造園設計事務所連合活動などを通じてご一緒させていただく機会が多かった。札幌の都市緑化フェアーの帰り〃飛行機で帰る途上、「私は青春時代の勉強すべき時に戦地にいて勉強できなかった。だから今でもこうして図鑑を見て植物を覚え今の若い人に負けないように頑張っている。とおっしゃったことが思い起こされる。
協会理事会などの後も、時間がほしいと二次会などの会費を私に託して先に帰られることが多かった。小形さんはお酒を召し上がらないと皆仲間は思っていたようだ。
 沖縄海洋博覧会の時、名護のホテルに一人泊まられ、ホテル前の大きなガジュマルを眺め、久しぶりに一人じっくりと飲みました。うまかったと、つぶやかれた事など思い起こされる。
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by harutokobayashi | 2007-09-18 11:04
サッカーサポーター
「日本サッカー狂会」

 今日もこの8月に調布から移転したばかりの府中の仕事場で、山積みされた資料の整理を行い帰宅したところ、故池原謙一郎さんの奥様から「お元気でおたんじょうびをおむかえになられますこと嬉しく思っております。この本をパラパラとめくって笑っていただけたらと思いお送りいたします。池原和子。との添え書きと共に「日本サッカー狂会」編者:
日本サッカー狂会、発行者:佐藤今朝夫、発行所:株式会社国書刊行会(電話 03-5970-7421)2007年7月25日初版第一刷発行が送られてきていた。
「ドキ!」とした。なぜかというと、先ほどまで資料を整理していた中で、池原さんのサッカー狂会関係の写真などをファイルに仕分けなどした後だったからである。
私は1964年5月に官職を辞し、最初に訪れたのは建設省、日本住宅公団とお勤めのあと、日本技術開発株式会社に転職され、世界デザイン会議、国際造園家連盟日本大会などの準備に追われていた池原謙一郎さんであった。
その後、池原さんが「環境計画研究室」を創立され、ランドスケープ・造園の計画設計を専業とされるようになってから、駿河台、原宿とご一緒することとなった。
そんな関係から、不幸にして原宿の事務所で倒れられてから、池原さんの資料などお預かりすることなり、池原さん関係の資料は、調布の私の仕事場に移して今年の8月までそこに大切に保管していたのであるが、再度府中に移転、このように何回か資料の移動整理をせねばならなかった。そんな時、この「日本サッカー狂会」関係の資料は守らなくてはと思いながらも、「FOOTBAOLL」「サッカーマガジン」がダンボールに詰まって積まれていたが、この種のものは狂会仲間の方がお持ちであろうと勝手に判断し、泣きたい気持ちを抑えて廃棄せざるを得なかったがこのことなど気になっていた。
また、国際試合の度に、1人原宿明東ビルの仕事場で徹夜して応援の垂れ幕を作成されていたが、この垂れ幕と応援用具などについては奥様にお渡ししたものの、まだ狂会関係のメモなど整理しきれずに今日に至っているものを目にしていたわけで、この貴重な資料をどうしたものかと思案し続けていた矢先であったので、今回の「日本サッカー狂会」の著書を拝見して安堵し、救われる思いがした。
脇田敦様初め出版にご努力された関係者の皆様の熱意とご努力に心から敬意を表し、感謝を申し上げたい。
この本を手にして直ちに和子奥様にお礼の電話をしたところ、毎日吉祥寺の駅で買い求めた10種類以上の新聞から、原宿の事務所でサッカー関係の記事を切り取り時には破りとり、それを家に持ち帰った池原さん、スクラップブックにきちんと整理されるのが奥様の仕事、この関係については狂会の後藤さんが本にまとめられたと伺った。
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by harutokobayashi | 2007-09-12 05:15
景観研究事例
登録景観設計士制度
 「美しい国」づくりを標榜する。安部内閣政治の基で、「設景家」を名乗り、国土、都市、地域の美しい環境、美しい景観づくりの仕事を専業としている者にとって興味深い本を見た。

「都市の記憶」  美しいまちへ
鈴木博之、増田彰久、小沢英明 共著 オフィスビル総合研究所

弁護士小沢英明氏が、エーゲ海の真珠といわれる小国イリタヤという架空国家を想定し、この架空国家の法制度を研究した論文を「イリタヤ国の登録景観設計士制度見聞記」として紹介している。架空の国家の景観にかかわる法制度の研究論文として注目に値すると考えるので、その要点を紹介する。
エーゲ海の真珠といわれる美しい小国イリタヤ(架空国家)の首都カスタリオーネ
①美しさの秘密登録景観設計士制度1932年制定、国家資格、専門家、試験科目は建築、土木、造園、法律、歴史、など幅広い科目がある。
②登録景観設計士とは、各街区の90%以上の土地面積を有する土地所有者により開発に際して協定するために組織され市により認可された団体による選任を経て、しに登録されているもの。街並み協定団体は、街区単位でみとめられ、複数の街区を一つの団体として組織することもできる。
③建物の新築・改築は市に許可を申請する前に景観設計士の許可を取得する。その審査は大変厳しい。
④税の優遇処置が在る。固定資産税、都市計画税、などが 景観評価のランクによって優遇される仕組みになっている。原則として、そのランキングは下記のようなものである。
A地区 特に美しい地区は3分の1が免除される。
B地区 美しい地区と認定された地区4分の1
C地区 普通の景観地区5分の1
D地区 景観の質に問題がある地区20分の1

カタリオーネ市は、2001年1月1日現在158の協定団体がある。
A地区 7
B地区 32
C地区 115
D地区 4 このD地区は、パルパッソ(ごみ、くず)と呼ばれる
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by harutokobayashi | 2007-09-06 15:40 | 設景の思想