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ラムサール条約
ラムサール条約
ラムサール条約と尾瀬  
ラムサールセンター事務局長 中村玲子女史の講演から(2008・12・23)
ラムサール条約とは、
特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約
Ramsar,Iran1971
The Ramsar Convention on Wetland
1971年水鳥と湿地の保全に関する国際会議をIran Ramsarで開催した。
このときに端を発している。
しかし、その前1960年にMARが発足していた、湿地の意味のMarshの略
1962年フランス・カマルグ IUCN,IWRB,ICBPの会議があった。
1970年、条約の中身が論じられ、水禽の保護区のネットワーク、湿地生態系保全
等の検討を経てラムサール条約へと展開した。
1968年、最後の詰めをすることになっていたが、1968年ソ連のチェコ侵攻によって、1969年予定していたソ連会議をボイコット、その後ソ連の積極的な動きによって会議を再開、この会議はイランで開くことにし1971年条約成立となった。
1993年第5回大会を釧路で開催、以後 1996年ブリスベン、1999年コスタリカ・サンホセ、2002年バレンシア、2005年ウガンタカンパラ、2008年10月28日~11月4日勧告で開催予定
現在157カ国が加盟、1702箇所、1億5千3百ヘクタールの面積となっている。
アジアでは29カ国が加盟している。

湿地の賢明な利用
湿地の賢明な利用とは持続可能な開発の趣旨に沿って、生態系アプローチの実施を通じて達成される湿地の生態学的特長の維持のことを言う。

湿地wetlandの定義には各種あるが干潮時水深6m以下の海域
湿地のタイプ。
海岸性内陸湿地  12タイプ
内陸湿地     20タイプ
人工湿地     10タイプ
国際的基準は9つあるが中の一つに水鳥が定期的に2万羽以上飛来する地となっている。
今これらのほかに湿地の文化的評価について議論しているが非常に客観的判断が難しい。
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by harutokobayashi | 2007-12-24 15:44
花園
Keukenhof
面積:32ha 場所:Stationsweg166a Po.Box66, 2160AM Lisse,Holland
Tel:+31(0)252 465 555 Fax +31(0)252 465 565
info@keukenhof.nl www.keukenhof.nl 2008open 21/03-19/05
Keuken 台所の意
Hof   庭
台所の庭の意味を持つこの公園は、1949年開園した。
それまでは貴族の所有地であった。600万株の球根が植えられている。
オランダは、1634~37にかけてチューリップ狂時代があり、球根一つが500ギルダーを超えるチューリップバブルがあった。ブナ林の林床を生かした庭園は正に美しい楽園である。
チューリップは博愛、紳士の愛など愛に関する花言葉がつけられている。
赤:愛の告白、白:失恋、黄色:見込みの無い恋
航空会社に勤めるAnnetさんは、Keukenhofがオープンしているときは、航空会社の許可の下ここで働いている。

ザーンセスカンス オランダの17世紀の風景を保存している地区、近くにはチーズ工場などある。
500年前のヘロトドスは、「環境が人間を支配するのであって、人間が環境を支配するのではない」といっている。正にこの風景をさす。
ザワン川  風車守のケンペナーさんは風車を守りながら、オランダの文化を支えている。

キンデルダイク「子供の堤防」 1421年の洪水のあと19基の風車を作った。
国土の4分の一が海抜0メートルのオランダでは、世界は神が造ったが、オランダは国民が造った。
産業革命前のオランダには1万基の風車があったが今は900基が保存されているのみ、この風車の止め方で地域間の連絡を取った。
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by harutokobayashi | 2007-12-14 12:34 | 花の景
叙勲の一日
叙勲
2007年11月3日新聞で秋の叙勲名簿が発表された。私の場合、旭日小綬章が授与されることとなり、専門工事振興の功績ということであった。
11月9日 国土交通省叙勲者334名の伝達式が、グランドプリンス赤坂の五色の間で執り行われることとなり、旭日小受賞者9名を代表して、冬柴鉄三国土交通大臣から勲記・勲章を受け取った。「日本国天皇は小林治人に旭日小受賞を授与する 皇居において璽をおさせる 」 というものである。
家内と共に壇上に上がったが、事前にその時の所作についてメールでメモが送られており、さらに当日式典進行担当者から丁寧な説明を受けていたので、全体の流れは理解していたがやはり緊張するものである。
伝達式会場は10時から受付、10時30分から式典、11時40分くらいまで1人1人の名前が呼ばれ、そのつど大臣は会釈され大変な重労働だと感じ入ったしだい。
12年前の褒章の時には、会場も建設省の大会議場であり時間もそんなにかからなかったように思う。とにかく12時50分から午後4時近くまでトイレがないということで、朝から水分を控えて、皆さんこの点が一番気になったことと思う。
伝達式の後は、紅白饅頭と昼食の箱寿司を国土交通大臣からいただき、それぞれ軽く寿司などを食べて、12時50分に再度会場集合、13時に国土交通省関係者が15台のバスで皇居へ、わずか15分で皇居到着、その後14時30分までバスの中で待つ。
バスを降りて、豊明殿へ向かう。29段の階段を登り左手に栗石を敷き詰めただけの中庭を見ながら右手宮殿へ、14時50分左手前の引き戸が開き、侍従、天皇、侍従長の順で天皇陛下が会場にお見えになった。中央壇上に天皇が御立ちになったとき一同礼をし、代表が感謝の辞を述べる。すぐ後に天皇陛下のお言葉「このたびは叙勲おめでとう。皆さんはそれぞれの道で国のため、社会のため、人びとのために努力されたことに対し、感謝します。これから皆さんは体に気をつけ、それぞれの道でご精進ください。というような内容であった」を賜り、後天皇陛下は会場を一巡なされ退席、2メートル近くで拝謁したときの陛下の目の下は黒く隈が出ており、お疲れのご様子であった。公務が激務であることをうかがわせた。天皇というお立場も中々大変なことであるなということを痛感した。その後叙勲者は豊明殿を背に記念写真を撮り、御下賜の御品としてドラ焼き(菊焼残月)3個と皇室アルバムをいただいて、15時30分にバスでホテルに戻り解散
それぞれ記念写真の撮影などホテル内は混雑した。
この日のために全国各地からお見えになった方々はさぞ大変なことであったと思う。
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by harutokobayashi | 2007-12-11 22:12
石橋
2007年11月21日ベルゲン石橋完成
朝から曇り、昨日のような9時過ぎからの日の出は見られない。今回のクライマックス石橋造りへの挑戦だ。橋台とする石おおむね1.5m角厚さ30cmの石を据え、レベルと高さの調整をしながら、長さ3.5m幅平均1.5m、厚さ20cm~30cmの橋面を載せる。
全体との微妙な関係を調整をしながら巨大石の設置に伴う迷う心を吹っ切って決断実行、この決断が今後100年以上も続くかもしれない庭の存在を左右するのだ。
橋の設置によって今までに据えつけた石組みとの関係がすっかり様変わり、空間的なリズム変化にびっくりするほどイメージが変わった。
堀越、永田両君も腰を曲げながら一心に州浜造りを続けている。
昼近く雨が降ってきた中で作業は続く。途中このプロジェクトを総括する幹部の方が様子を見に来た。ずいぶん喜んでいただけたようだ。
限られた滞在日数と、日が短い冬時間の中で目的は達成、全体の構成を何回も書き直し、骨格は完成したといえよう。ヨルゲンセン教授とは気候的に難しい植栽樹種について一つずつ解説をいただく、日本の桜の園芸種「寒山」と石楠花、黒松、ボケ、アセビ、カタクリなど日本の山野にあるものがお好き、梅、花モモ、は難しいとのこと、モミジは育つが成長が遅いなどご熱心で助かった。
2008年5月20日にはオープニングセレモニーが行われることになるようだ、日本の仲間をお誘いして参加したい。
 もう一つのテーマ、休憩所の設置が決まり直ちに制作に入る必要がある。2008年3月までに現地に輸送し、4月に現地に設置だ。
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by harutokobayashi | 2007-12-08 19:32 | ベルゲン作庭日記
山羊からの原風景
2007年11月21日 ベルゲンにて
 ベルゲンに来て母の夢を見た。
少年の日の松本・沢村の井戸端で盥でゴシゴシと大勢の家族の洗濯をする母、その近くで子山羊の世話をするというより遊ぶ少年・治人、むせ返るような春の日差しの中で菜の花が咲き、モンシロチョウが舞う。ユキヤナギ、日本レンギョウが背景に咲き乱れている、ブドウ棚の葡萄も新芽が伸び始め林檎のつぼみも膨らんでいる。母のまなざしを無意識の内に感じながら子山羊を母山羊から遠ざけながら、子山羊のために蓄えられたザーネン種の母山羊の乳を搾る。
こうして昭和20年代には山羊を飼い、その乳を絞り暖めて飲む、農家或いは兼業農家が多かった。少し塩を入れると甘みが出る。
ベルゲンから150Km前後のHaukelandに着いた時この幼い日に記憶に刷り込まれた体験がにじみ出たのだろうか・・・。
今の体験を母に話したらどんな顔をするのだろうか?いくつになっても男の子は母を思い出し慕う。
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by harutokobayashi | 2007-12-08 19:32 | ベルゲン作庭日記
石橋と州浜
2007年11月20日 全体構成の再チェックと州浜造り  (11029歩)
 今日は、州浜と砂庭の石組み、石橋作り、昨日注文してきた石橋の石材到着を待つて、急ピッチな作業を進める。朝9時から暗くなる4時まで、夏とことなり仕事時間が短く、霜柱の立つ現場で作業をする。地表約10cm前後が凍土となっているため最初に凍土を剥いで作業することとなる。
外国での庭園造りの仕事は、滞在時間も限定されるため、重機類も人員も動員することとなる。今回は30tonクラスのクレーン車と小型重機3台を同時並行的に作業させる指揮を執らねばならない。僕の現場の指揮棒も、5年前から使用しているため先が磨り減ってきたが、短時間ですべてを判断し行動し、指示するときには不可欠である。腰の痛いときの杖にもなる。今回は堀越千里君と永田康彦君が同行しているため州浜の作業を指揮してもらい、庭園内をいったり来たり大勢の作業員を効率的に動かせることが欠かせない。そのような時に限って管理担当者から管理用の車のために園路の幅を広げて欲しいなど注文が付く。2年前にすでに現地の石屋さんによって施工され理解されていたものと思ったが・・・。指揮者の僕に相談が来る。愚痴っても解決にならない、コケも生え始めていたのに・・・、と思いながら僕流に変更して結果は良くなったが、時間は1時間予定外に経過、これらの対応など、重い長靴を履いて1万歩以上の歩数を歩いていた。
 夜はブルニエフ氏のお宅に招待されて心温まるもてなしを受けた。ご飯好きの堀越君のために、ご飯が用意されていた。きのこのソウスとクリスマス用のハム、そしてワイン・ビール、ブルニエル婦人はすっかり日本人好みのテーストを理解しておられる。
お孫さんが11人もいて、まさに幼稚園の園長さんだ。
明日は石橋をなんとしても完成させるぞ!
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by harutokobayashi | 2007-12-08 19:31 | ベルゲン作庭日記
石を探しに
2007.11.19石を探しに(6705歩)
今日は、庭園内に設置する石橋の材料を選択するため、ベルゲン市内から車で約2時間のHaukeland Svein Magneというところに言った。谷底に展開する牧場経営者が巨大な山の持ち主で、牧場の一隅にたくさんの石が積まれていた。
昨年の2月雪の中訪問した場所だ。車を降りると黒く毛の長い愛犬が、訪問者のにおいを一人ずつ丁寧に間で行く・・・。歓迎の挨拶か?驚いたことに日本の柴犬が2階の窓からじっとわれわれを見つめていた。スカンジナビア半島で柴犬に会えるとは驚きである。
まず驚いたことは、谷底のため日当たりが悪く霜柱がある中に、羊と山羊、ロバそして南米から輸入したというラマが放牧されていて我々が牧場に入っていくと最初に山羊の群れが駆け寄ってきて我々の周りに付きまとった。そのうち羊の群れが駆け寄ってきたりロバ、ラマが珍しい人間が来たと興味深げにわれわれを観察しているようだった。
牧場主は自家製の山羊のソーセージを大きなナイフで切って味見を勧めてくれた。雪の中で訪問したときは缶ビールと共に進めてくれて、そのときのことを同行者に話していた。
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by harutokobayashi | 2007-12-08 19:29 | ベルゲン作庭日記
ベルゲンの中国料理
2007.11.18ベルゲンの街案内(10777歩)
 連れの二人が始めてのベルゲンということで、現場確認の後ブルニエフと市内観光をすることとした。最初にロープウエイでUlriken山(642m)に登る。曇り勝ちの天候と風でゴンドラが揺れる。20年前にはゴンドラが落下した事故があったと聞く、しかし頂上に立つと、ベルゲンの旧市街地と郊外住宅地が一望でき、遠く北海油田の火が遠望できる。まるでジオラマを見ているようだ。
Furuien 山(320m)からの眺めもすばらしいが視界の広さが違う。岩山に囲まれたベルゲンの街、12~13世紀にはノルウエーの首都として栄え、ハンザ同盟時代には切妻造りの商館がBRYGGEN地区にそのまま残されている。旧市街は19世紀初期の佇まいがそのまま残っている。世界遺産の地区は高潮のため補強工事も行われていた。
続いて東洋風の木造造りスターフ教会を見た。
夜は長江飯店で夕食、食事代は東京以上に高い。春巻きジャンボサイズ4本、チャーハン2人前一皿、焼きそば一皿、野菜スープ4人前、マーボ豆腐1人前、生ビール4杯で、1440クローネだった。(1クローネが23.5円)一般に欧米のレストランの一皿あたりのボリュームがあるので注文のとき良く注意するべきだ。
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by harutokobayashi | 2007-12-08 19:23 | ベルゲン作庭日記
黒川紀章
「黒川紀章とゴッホ美術館」
2007年11月15日は黒川紀章さんの告別式が行われている日である。多くの友人お弟子さん、最愛の妻若尾文子さんに見送られてさぞかし盛大な式になっていることだろ。
この日、KL862便(12時10分成田発)でアムステルダムに向かった私は気流の関係で到着予定16時10より40分くらい早くスキポール空港に着いた、空港から東京駅のモデルとなったセントラルステーションまで電車で約15分、今回はファンゴッホ美術館の作品を見る予定をしていたので美術館近くの小さなホテルで一泊することとし、黒川さん設計の美術館とゴッホの作品に触れた。
TVなどですでに紹介されていたことであるが、ゴッホが日本から多くの版画やイラストブックを入手所有して、その実物が展示されているのを見ることができるのは日本人として嬉しかった。今ではこの種の資料の大半は日本国内ではその多くが焼失したりして所在不明になっているものが多いことだろう。
美術館としての展示空間も余分なものをそぎ落としたスッキリしたもので、鬼才といわれた黒川さんらしい作品である。なんとなく日本的な雰囲気がある。
学芸員も黒川さんの事をよく知っていて、なくなられたことを話すとびっくりしていた。
日本人建築家としてこのように歴史に残る仕事をされたことに敬意を表しながら、短時間の作品鑑賞であったが良い時間が持てた。ゴッホがパリに出る以前の作品の暗さ、以後の明るさ、1人の芸術家の軌跡が明確に理解できる展示である。また訪れよう。
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by harutokobayashi | 2007-12-06 18:12
2007年11月17日
2007年11月17日ビックスポンサーとの会見
私にとって、今ではベルゲンの別宅と化した感じのTHON HOTELを9時に出発、今日は日本庭園建設資金のほとんどを寄付してくださったMr.Tron Mohnさんにお会いすることになった。昨晩見た庭園を下見して植物園の管理センターへ、そこでこのプロジェクトの責任者であるJORGENSEN教授と植栽計画の打ち合わせの後、当地の定食とも言うべきサンドウィッチを食べ、懇談。
ビックスポンサーがお見えになるということで180年の歴史があるベルゲン大学学長がお見えになった。スポンサーは他にもフットボール場など寄付されて、そのセレモニーがあり少し約束時間に遅れるとのこと、
雑談の中でMohnさんの奥様が今年なくなられたことを聞く、僕が昨年現場で汗を流していた時2回声をかけてくださった方だ。
お見えになったMohnさんは心なしやつれて見えた。早速プロジェクトの内容説明をして、日本とノルウエーの文化交流の重要性について話し合った。僕はフランシス ベーコンの「植物を植える仕事は神様の仕事である。庭を作る仕事は人生にとって純粋にして最高の慰楽である」を引用しながら感謝の弁を述べさせていただいた。
 この仕事は最初から一定の資金があって始まったものでなく、在オスロ日本大使館のご協力の元、大阪花博記念協会から一部分の資金援助を得て、残りの大部分はベルゲン大学と地元の財界の寄付を元に始まったものであるが作業が展開するにつれ、夢が膨らみ規模も拡大して、当初計画に無かった石庭、休憩所(茶屋)などを造ることになって、設計はすでに完了させていたのであったが、建設資金のめどが立たず建設をあきらめる前に私がベルゲンでMohnさんを訪問して寄付のお願いをすることになっていたものであった。
穏やかなMohnさんにお礼の雪見灯ろうを送りセレモニーは終わった。
       
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by harutokobayashi | 2007-12-06 06:56 | ベルゲン作庭日記