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ノルウエー日本友好の庭地図
本年5月完成予定のベルゲンの地図を紹介します。
5月15日から22日にかけて親しい仲間とツアーを企画しています。途中キュウケンホフのチューリップを見て、ベルゲンではフィヨルド、氷河等見てから20日の友好の庭のオープニングセレモニーに出席します。
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by harutokobayashi | 2008-02-23 17:25 | ベルゲン作庭日記
街路並木
設景の見方・考え方 2
公共空間の美学1:街路並木
昨年夏の最中、調布市内の資料室を東府中に移し「設景研究室」を設置し大切な活動記録などを整理する基地とした。自宅から約7.5Kmの位置にあり、通うのに基本的に自転車利用と決めた。自転車は車や歩行と比べ地形の高低がはっきりと脚に感じられ、大地のうねりを感じながらの移行は、一見平坦に見える場所も多様な変化をしていることを教えてくれる。夏が過ぎ、初秋、から初冬にかけての街路並木の変化を楽しみ、そのありようを考える良い機会になっている。
7.5Kmの距離を自転車で走るにはいくつかのコースがあるが、甲州街道について触れてみたい。今まで調布から西に向かう時には、ほとんど車で中央道を利用することが多く気づかなかったが、甲州街道は世田谷・調布下石原地先まではケヤキ、調布IC手前から以西、甲州街道を超え奥多摩街道へと連なる街路並木はイチョウ。この眺めは圧巻である。国道の規格で設置された歩道も他の都内の道路より自転車が少し走りやすい。しかし、アムステルダムなど自転車専用レーンがはっきり決められている街路とはずいぶん格が違う。都市街路のような公共空間のあり方「用と景」のバランスを考えてしまう。学生時代、井下清先生が、都市の街路並木はお座敷の長押(ナゲシ)のようなもので並木の無い道は其の地域の品位・美学に関わる問題である。という趣旨のお話をされたことが思い起こされる。
ところが落ち葉の時期になるとイチョウの落ち葉は路面に堆積し、その処置が問題となって批判の的となってしまう。路面が土であった頃には、ある程度その場で土に返ることが出来た落ち葉も、舗装された現代の道にそれは期待できない。そんな時、この落ち葉をエタノールの原料に使用できないかと研究が進められている、ということを聞きそれはすばらしいと救われる思いと共に夢が膨らんだ。
そんな昨年末であったが、本紙1月1日号、新年の抱負の中で「東京の街路樹の今」と題して東京農業大学短期大学部環境緑地学科准教授 内田均氏の意見に目が留まった。
氏の16区19市のアンケート調査の結果によると、本来の街路樹の機能・目的から離れて管理上の問題が原因で強剪定をせざるを得ないとか、入札制度の強化によって同一人が継続的に管理できないため、剪定技術など管理レベルが維持できないなど問題点が指摘されていた。これらの問題に対処するためか各自治体の使用する樹種も、落葉樹から広葉樹、中木へと移行する傾向が見られたとのことである。
早速インターネットで街路樹を調べてみた。平成18年4月1日現在の東京都の街路樹総本数は、484,205本とあり、各道路の街路樹ベスト5は、東京都全体で見ると①イチョウ②ハナミズキ③サクラ類④トウカエデ⑤プラタナスとなっていた。国道と都道では①イチョウ②プラタナス、区道になると①サクラ類②ハナミズキ、市町村道では①ハナミズキ②サクラ類となっていて、居住空間に隣接した道は花木などが好まれて植えられていることが分かった。
私は、平成15年2月1日発行の「造園連新聞」第902号の千樹萬幹569に「街路樹再考」と題して街路樹のあり方について私見を述べたが、昭和39年東京オリンピックを契機として街路樹が飛躍的に増え11万2千本であったものが、現在では本数においてその約5倍になったこと、さらに街路樹が大きく生長した歩道では、根上がり現象が車椅子や乳母車の利用の妨げとなり、歩行の妨げになったりする現状に対し、専門家の技術開発は進んでいる今速やかに街路並木の基盤に関わる再々整備を期待したい。
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by harutokobayashi | 2008-02-01 15:17 | 設景の思想
設景について
「設景の見方・考え方」        
はじめに
最近造園文化の一端を担う人々とお逢いするたびに、嘆きの表情が伺われおおいに気になる。社会の変革の中で翻弄される仲間の様子が本紙の新年あいさつ文からも読み取れる。
確かに格差社会といわれる現象の中で、わが造園産業界の人々の嘆きにはうなづけないでもないが、こんな時こそ歴史的社会変革の中で造園活動を通じて国家・社会・人々のために貢献された先達の考え方、知恵に学びながら現代を見据え、めいめいがその場の思いつき的発想・私利私欲だけで斯界の将来像を論ずるのではなく、日々変革する社会の現象こそがあたりまえであり、この現象に臨機応変の処置をとることができるる組織・団体・個人によって、有利な状況を作り上げていく発想に自らを変えていく、自分が変われば今まで厳しいと考えていた状況も変わって受け止められる。
その結果明るく日々を過ごすことは、決して単なる空元気ではなく自らを日々改良し、向上させるための大前提となると考える。このような考えから江戸時代の末期に学業を修め、26歳で明治維新に遭遇した経験を踏まえ、わが国造園文化を庇護した小沢圭次郎の足跡・考えかたなど参考にしながら私流に現代造園を読み解くことが出来ればと考える次第である。
「設景」について
「設景の見方・考え方」と題して連載するに当り、「設景」について述べておきたい。
「設景」は、小沢圭次郎(1842~1932、桑名藩士族で、桑名藩医官小沢長庵の次男として生まれ、明治維新を迎えるまでの26年間は、医学、漢学、蘭学、英学、そして詩学などの学習に明け暮れた当代一級の知識人であった。)がデザインの訳語として用いた用語である。私がこの用語に出会ったのは、「都市公園」NO:28、1961年6月号18ページ、恩師上原敬二先生の「日比谷公園設計の批判について」に触れたことに端を発しているといえる。
 「大正14年11月2日、庭園好きの有志が小沢圭次郎氏を招いて1夕の会合を催した。
席上例によって同氏の設景、設計の二つの文字についての差異について啓蒙的な熱論を拝聴した。その時、矢野次郎(1845~1906明治時代を代表する教育家)ほどの学者でもこの二語を誤用しているとの話から、小沢氏が日比谷公園の設計委嘱を受けたときの昔話が出た。以下略・・・。」 それは矢野次郎翁が病床で記した公園設計物語1~6編に対し、小沢が卑見を開陳すると称して以下のように意見を述べているものである。
「先ず第一に公園設計物語という題目を掲げて其語るところは設景と設計との区別も立たねばいと便なきことぞと思いける。設計は目論見または算段の事なれば、いやしくも市制当局者に非るよりは妄りに市内公園の設計につき容啄すべき限りに非らず。而して設景は庭作の趣向又は工夫なれば、たとへば平庭が好しとか、山水造が宣しとか或いは枯山水にせよとか、或いは野筋を拡張して平庭を主とせよとか、或いは鑓水を自在に放流して静淑を旨とせよとか、人心不同如其面的の品評を勝手次第に論断するも、敢えて妨げなかるべし」(原文)と論じている。言い換えれば「設景」は、人間を取り巻く環境全体を考え、求心性を持って人間にアプローチする人と環境の追及に対し、「設計」は逆で、個の人間を守る空間・家をいかに造るかに力点が置かれ、その家々が外の環境に影響していく、離心性を持ったアプローチであるといえる。この二つのアプローチの違いを意識しながら現代の国土・地域・都市環境を「設景」の視座で読み解くことに挑戦してみたい。
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by harutokobayashi | 2008-02-01 15:15 | 設景の思想