<   2008年 10月 ( 1 )   > この月の画像一覧
パブリックアート
「公園とパブリック・アート」
1993年4月23日夜、東京ガス・銀座ポケットパーク三階サロンで「パブリック・アートとは何か」をテーマに、横浜市都市デザイン室国吉直行、環境・造型デザイナー山本誠、ランドスケープ・デザイナー小林治人、デザイン作家坂上直哉の各氏によってミニシンポジュームを開催した。近江栄日本大学教授の問題提起によるものであった。

この時には、公的空間の場合、いかに芸術家を選定するか、芸術家を決めるに際しての行政上の仕組み造りが必要であることなどに論議が集中して終わった。

翌年、1994年7月22日の朝日新聞夕刊文化欄に、パブリック・アートの可能性と題して、竹田直樹氏が、「都市空間における美術作品として彫刻の設置事業が一般化する中でパブリック・アートという言葉が定着しつつある。美術作品のコレクターが私的に所有している作品に対し、不特定多数の市民が日常的に接する公的空間に設置された作品は、パブリック・アートと呼ぶにふさわしいが、残念ながら現時点では本質的レベルまで咀嚼された用語にはなっていないようだ」とし、社会と芸術を結ぶ媒介としてパブリック・アートの可能性について触れられている。

 同氏によれば、パブリック・アートの先鞭をつけたのは、山口県宇部市(1961年「宇部を彫刻で飾る運動」)とか神戸市の野外彫刻展などいずれも都市環境を文化的に改善するために開催したものからであるとしている。当時これらの催事を指導された、佐藤昌博士、建築家大高正人氏、宇部市に勤務していた山崎盛司氏、などの先生からこの催しの目的と開催に至る逸話を伺ったことがあるが、これからの公園は積極的に芸術性を社会に発信する場として関係者はよく勉強すべきであるとご高説を伺った。

 1970年代に入って私は、国営武蔵丘陵森林公園の彫刻広場の設計に従事する機会を得て公園とアートのかかわりを考えることとなったが、公園のように不特定多数の人が利用する公園と彫刻との関係、特に抽象的、伝統的、オブジェ的、環境造形的など多様な作品をどのようにして彫刻と環境との一体化を図りながら公園の景とし、さらに作家の意図が十分鑑賞者に伝わるようにするかは重要案件であった。この時は、芸術家が所属する関連団体などから国に推薦された作品が選定されていた。

作品はいずれも日本を代表する巨匠の作品であり、いずれの芸術家も自分の作品は、メインとなる良い場所に設置するようにとの注文があり、作品設置の方法については随分検討したことが思い起こされる。今から思えば彫刻環境の理解の仕方が、芸術家と環境設景家のアプローチを異にしていた。芸術家は離心性をもって周辺に作品性を発信することを強調したいのに対し、設景は環境として作品を包み込み、作品と共鳴しながら創造的な芸術環境を創出することを基本として考える。

当時芸術家は、自分の作品は台座の上に鎮座させ目立たせたいという願望が強かったように思う。設景の立場からするとそのことによって環境との不調和を招き、作品の品位を下げる結果ともなりかねないと考えた。その後この考えをほかの現場で直接大先生にご意見申し上げたこともある。「言われてみればそうだね、今まで自分の作品のみに関心を払いすぎていて環境との融合性などに気が回らなかった。」とむしろ喜んで理解していただいた例もある。

公園に設置される芸術作品が多くの人に好まれるか否かは重要な要素であり、多数の人たちに作品が歓迎されることは必須条件であるが、作品が設置された当時、社会的に歓迎された作品が、その後も優れた作品であるかは別の問題として、公園から始まったわが国のパブリック・アートが公園と融合一体化することで文化大国を目指す日本の地域・都市の核となり、常にセンスの良い芸術環境に触れ、感動できる公園の創出は、新しい日本の有力な国際観光資源として世界に向けてPRすべきである。
[PR]
by harutokobayashi | 2008-10-17 11:38 | 設景の思想