<   2008年 12月 ( 19 )   > この月の画像一覧
東京タワー
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50周年を迎えた東京タワー
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by harutokobayashi | 2008-12-24 07:55 | 光の景
東京ミッドタウン
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銀河をイメージしたスターライトガーデン
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by harutokobayashi | 2008-12-24 07:45 | 光の景
東京ミッドタウン
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フランス冬の風物詩  シャンゼリゼーイルミネーション
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by harutokobayashi | 2008-12-24 07:43 | 光の景
国営昭和記念公園光の造型
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by harutokobayashi | 2008-12-24 07:42 | 光の景
国営昭和記念公園ケヤキ
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by harutokobayashi | 2008-12-24 07:40 | 光の景
国営昭和記念公園
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カナールの光の景、この日風雨のため正面噴水中止、そのため噴水のライトアップがない大変残念であった。(2008・12・22・)
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by harutokobayashi | 2008-12-24 07:38 | 光の景
TLAの40年・ひとつの断面を語る
 「TLA40周年を語る。」
2008・11月、現在TLA在籍の主要メンバーで、TLA40周年を記念した座談会を東府中の「設景研究室」で開催した。この内容は建設通信新聞に掲載される
小林 TLAの創業当時、造園設計事務所連合(社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会の前身)がほぼ同時期に発足していましたが、私の机が事務局でした。
この組織は1964年5月に東京と京都で「国際造園家連盟(IFLA)」の世界大会という催しがあって、日本にもランドスケープデザインをやる人間がいるのだということを示そうじゃないかと集まった15名が発足時の顔ぶれでした。(TLAの母体は1964年5月発足、その意味では今年で45年)
 当時、造園分野といえば、高度経済成長期に発足した日本住宅公団(現・都市再生機構)が住宅団地作りをスタートさせ、東京都の区部が児童公園設計委託を始めたころでした。

 青島 私が初めて社長にお会いしたのは、大学卒業の1年前、恩師の唐沢先生のご自宅でした。先生から「君、小林君の会社に入らないか」と誘われ、私は「大学は造園科専攻ではなく、農業土木です」というと、社長が「造園は僕がやるから、君は土木やってくれ」と言われまして、それがご縁で以来一緒にやらせていただくことになりました。
 業務に就いてみると、造園的な発想はもちろん必要でしたが、造成や排水などといった土木的な業務も多く、多忙な毎日を送りました。とくに、当初携わった関西での大規模霊園の仕事は感無量でした。

 佐々木 私は大学在学中のアルバイトがTLAに入社したきっかけです。同期入社は、11人いました。当時、造園の設景や緑のマスタープランが定着し始めたころで、最初の10年ほどは調査や計画が多く、10年目ぐらいから博覧会や大規模公園の設景に携わる機会が増え、海外視察も経験させていただきました。
 技術的には、CADが導入されてガラッと変わりましたね。手書きのころは図面を前にすると緊張したものですが、CADにシフトしてまず先に手が動くようになりました。仕事の仕方が昔と随分変わった気がします。

 小平 私は十代のころ、公害とか環境問題の仕事に憧れていましたが、のちにTLAの存在を大学の研究室の友人から教わり、当時TLAの事務所があった原宿のビルを訪ねたのが72年の夏のことです。
 翌春の入社早々は、製図に対するコンプレックスといいますか、学生時代での経験が無く、どうにも居場所がなかったのですが、入社まもない73年に都市緑地保全法、74年には生産緑地法などが制定されます。77年には緑のマスタープラン策定要綱ができました。アセスメント法はまだ出ていませんでしたが、そのあたりで整備された自然環境保全法にもとづく開発に環境調査が義務づけられ調査・計画系の仕事が増え、ようやく居場所を見出したわけです。

 松本 私は建築設計事務所に務めていた時期があったのですが、実は都市計画をやりたかった。TLAに入社が決まって、出社した途端に金沢の牧場公園の建築施設検討があり、その設計図面を急きょ描いてくれといわれて驚きました。何しろ牧場公園建築施設の図面など引いたことがなかったものですから。
 TLAではみなさんまだT定規を使っていた時代でしたが、私は平行定規を持参して製図版に取り付け、そこから三日間、ほとんど徹夜・缶詰状態で牧場公園建築施設の図面を仕上げました。転機となったのは74年ごろから始まった当時・建設省の構造基準標準設計の仕事でした。当初、青島さんが担当していたのですが、「ちょっと松本君手伝ってよ」と言われ、途中で青島さんが他のプロジェクトでいなくなって、私だけが残り、この仕事には87年まで携わりました。
 青島 あの仕事のおかげで、私はさまざまな人脈に恵まれました。

 小平 私の場合、82年ごろだったと思いますが、防災公園の基準づくりやハンデキャップ対策、いまで言うバリアフリーの基準づくりにかかわったことがエポックになりました。

 染森 私は少し畑違いといいますか、高校からずっと美術を志していまして、多摩美大に通うため、大阪から上京しておりました。同郷の友達からアルバイトを誘われたのがきっかけでTLAと出会いました。80年ころだと思いますが、いろいろと何も分からずお手伝いをはじめました。ちょうど国営昭和記念公園・水鳥の池の設景が佳境で、そのチーフデザイナーだった故宮崎保郎さんに教えていただいたのがとても良かった。また、絵が本業だったので、よく完成イメージ図などを描いていたので、それが図面を理解するのに役立ちました。そうして4年ほど通って、大学院を修了する時に、ランドスケープの世界で自分の創造性を発揮できないかと考え、就職を希望しました。

 小林 『設景』について述べておきます。
 一般的に建築設計事務所が用いる「設計」は、明治時代、造家をするのに図面を書き、工事を発注するときの発注目論見書を作る仕事が設計で、建築サイドの用語として定着してきました。これに対して、家をどう配置し、道をどのように作るかというデザイン概念を設景と訳したのは、小沢圭次郎という元桑名藩医、漢学者で、当時廃仏毀釈運動によって伝統的な貴重な文化遺産である庭園が破壊されることを憂い、自費を投じてその保護・保全に貢献した庭園学者でした。
 このことを日本造園学会産みの親、恩師上原敬二先生の論文で知り、これこそ目指している概念に適した語彙と判断して「設景」を使うことにしたのです。最近はネット検索でけっこう「設景」の文字を見受けるようになりました。
 また、TLA出発当時の特徴は、全体的に急峻な地形の日本の国土では、住宅開発など、無闇に雛壇式に造成する土木式でなく切土・盛土が少ない「無造成建設」でなければいけないということを主張し、民間デベロッパーの社長方から評価をいただき、順調に仕事を続けることができました。この民間の仕事で得たゆとりを、建設省でまだ十分調査費がなかったころの各種の基準作り、とか緑のマスタープランの基礎研究に注ぐことができ、後の公園緑地事業の調査・計画・設計の貴重な基礎データを学ぶことができました。

 松本 76年からかかわった袖ヶ浦の公園構想案が印象に残っています。現地に行って話を聞くと、何と2万3000人しかいない町に200㌶の公園を作るということでした。相手には「これは単年度でできるような仕事ではありません。10数年かけてやっていくしかないでしょう」と話し、ゆっくり造っていったわけです。
 同じように長い仕事として茨城県偕楽園の外周部の「偕楽園公園」がありますが、そこは77年から始まって現在も続いています。笠間の「芸術の森公園」もそうです。

 小平 私の海外・国際経験ですが、最初、ドイツの都市林、シュタットバルトを見ておくのがいいのではないかと、入社翌年、一カ月ほど行ってきました。
 次いで政府の海外技術協力事業団というJICAの前身が、アジアの戦後復興のために遺跡保護をしていて、インドネシアのボルブドール遺跡、プランバナン遺跡、デイエン高原遺跡など仏教遺跡の保存計画と、その周辺公園化整備計画の設景に参加しました。
 JICAとなってからは、中近東・北イエメン(現在のイエメン共和国)に公園整備の専門家として行く機会を得ました。その後、アラビアでの業務経験を生かす格好で、ヨルダンやエジプト等の仕事にもつながりました。
 その頃から、社長が日本代表として、後にIFLA第一副会長としてがんばっていたユネスコのIFLA活動を、若干お手伝いしております。
 当時、「なんと言ったって情熱を持って望むこと、それが迫力となって異国の人びとにも伝わる。」という社長の口癖に影響を受けまして、さまざまなスタッフを束ねていく時、自分の思いを相手に伝えるには情熱と迫力が必要だということを実感しました。

 佐々木 最近あまり経験できませんが、山の中の森林公園の仕事が好きでした。厚木の七沢森林公園、市原の市民の森、琵琶湖の緑の回廊などに思い出があります。
 設景を語る上で大切だと感じていることがあります。造成や雨水排水設計、電気や水を扱う設備設計などは、それぞれ専門の方達にお任せするのですが、それらを総合的に評価し、道筋をつけていくのが我々の仕事です。地形や環境を読んで、その場にふさわしいモノを作っていくのが大切と考えて日々すごしています。

 青島 無造成建設の造園的考え方を体験して感じたことは、場所によっては長期的将来の姿を描き、環境創造の視点で大造成するということもあります。大阪・四條畷市の飯盛霊園はその例でした。40㌶の墓地公園なのですが、大造成で、横断図を何枚も描いた記憶があります。現在、40年が経って素晴らしい墓地公園になっています。
 もう一つ印象に残る仕事は、国営昭和記念公園です。77年に立川に事務所を設け、公園をビルの上から眺めながら10年かけて設景しました。築山や池で変化をつけ、けっこううまくできたなと思っています。

 松本 大井埠頭の駅の対岸の護岸を削って干潮帯を作った野鳥の森・ビジターセンターがありますが、実は最初、地下にトンネルを設ける提案をしたのです。地下から水路を見えるようにし、人間の方が隠れた状態で動物や鳥を見るというような提案だったのですが、予算が合わずダメでした。

 染森 入社してまもなく、横浜市の都筑自然公園、今のズーラシアですが、動物園の全体基本設計のチームに入りました。これが一言では言い表せないほど大変な仕事だったのですが、日本で初めて、世界の植物生態ゾーンに合わせた情景展示を行うという意欲的な内容で、先輩と一緒に国内はもとより、当時動物園先進国だったアメリカまで自費で見学に行くなど必死でがんばりました。この仕事は自分の原点として今も誇りに思っています。

 青島 昨今は大小の公園緑地など前例がたくさん出来ました。しかし、設景でなく設計的発想で、小さな公園であっても本筋を離れた事務的内容の細かな決め事に設計業務が振り回され、夢が描けない時代になってしまいました。

 小平 これからはある種のスーパーマンも出現するでしょうが、公共空間の仕事では巨匠の時代から、個性をもった人たちの集団が協働してまとまっていく、多様の統一、統一の中の多様性を尊重していく時代になったと考えます。 たとえば公園を使う立場、予算を預かり造る立場、そして管理する立場がありますが、この三位一体をいい関係に導くゼネラリスト、マネージャー的役割が大切な仕事になっていくと考えます。

 佐々木 入札制度について問題提起をしたいと思います。いまの制度でいけば、せっかく全体のマスタープランを建築など関係者との協働しながら造り上げても、その先の具体的造園設景の段階で競争入札が行われ、まったく今まで関係のなかった日と、時にはまったく専門外の人に渡ってしまい、設景家が引っ張っていけない状況が多くなってしまった。
いままで設景家の総合的な判断部分は大事にされてきました。しかし、今のような何でも入札、これでは良いものができる分けがありません。

 小林 いわゆる平等性、客観性、公明性の名のもとに、公の業務は何でも入札にかければいいという風潮が蔓延しています。日本の社会資本整備のあり方、あるいは低炭素社会の実現ということを考えた時に、現行入札制度ではかえって税金の無駄遣いを招きかねないということでしょうね、法は遵守しなければならない。しかし、そのことによる弊害も考えると、今後の知的サービス業のあり方は広く論議し、改善しなければならないですね・・・
 20年、30年とやってきた設景の仕事は、それが単なる知識の枠を超え、知恵として集積していくわけです。この知恵がうまく使えるような制度を考えないといけない。

 松本 先述した偕楽園は日本三公園ですが、あそこは周りを見る公園という特異な性格を有しております。公園をただ単に整備して終わりという事業ではなく、都市計画に絡まないと進んでいきません。そこの事業にもいよいよ競争入札が持ち込まれようとしています。競争入札状態になって一番困っているのが実は役所の担当者でもあるのです。担当者は通常二年から三年で異動になりますので、過去の経緯が分からないことで混乱が生じます。その上、今までまったくかかわっていない会社が低額で落札する。これではせっかくの文化空間も先行きが案じられる。過去の経緯を唯一知る立場としてとても心配なわけです。

 青島 仕事を出すほうも、造園の知恵がある人、情熱のある人がどんどんいなくなってきました。発注者側にもどこの業者でもいい、安く設景やってくれれば良いという風潮が強く非常に問題です。いまやデザインなんていうのは、評価はほとんどゼロです。

 佐々木 役所の指示に、自然石や樹木の位置の座標を図面に落とせという事例がまだあり驚いております。ふつうは、枝振りなどによって現場で判断したほうがいい場合もあるのですが、その辺のところがわからない担当者がまだいるのです

 小林 われわれの仕事は、生き物の技術が基本ですから非常に有機的・生物的な線が用いられます。いかに水平・垂直の精度を重視するかという土木・建築的なデザインでは対応できない面があります。
さらに、今は、生物多様性、低炭素社会の実現など課題になっていること考えると、環境配慮設景、環境共生設景を強化し、総合的な国土の緑環境生態系を確立しなければならない。
さらに、国際観光・レクリエーション、高齢化社会における医療福祉拡大、防災などの業務にシフトしていくべき時代と考えます。
その意味で、これから我々は職能領域の見直し・拡大ということを視野に入れて新しい道を開発しなければならないところに来ています。
 今話題の公園管理運営についても新しい考え方が必要になってきます。都市公園は現在11万㌶、9万3000箇所のストックがあります。このストックをいかにマネージメントしていくかが試される段階に来ています。
私が、今年発足した「公園管理運営士会」の会長をお引き受けしたのも、過去40年間、仲間とともに設景してきた公園緑地のその後の姿を検証し、今後の反省材料にしたいという個人的願望と、閉塞感の漂う日本の造園界の明日を拓くビジネスモデルを構築するために、ささやかながら貢献し、次世代の同志に託したいという思いに駆られてのことであります。

TLAは、設立からほぼ10年間は民間の業務が主体でありました。もっぱら自然的立地を活かした土地利用計画設計を積極的に行うことで、自然保護・保全・回復に努めることを主たる業務として開発会社の発展に貢献してきました。

その後の20年は、緑のマスタープラン、国営公園などの大規模公園、国際博覧会、都市緑化フェアー、JAICA関連の海外事業などに専念してきました。今回この座談会には参加していませんが、お台場海浜公園設景で堀越千里君、淡路景観園芸学校キャンバス設景で椎名和美君が日本造園学会賞を受賞しました。

最近の10年は、TLAの世代交代を進めることを念頭に、管理専門会社ウイッツグループとも業務提携し変革時代の中で新しいビジネスモデル構築など、試行錯誤を繰り返しながら前進してきました。TLA創業者である私は、中国・インド・韓国などアジアプロジェクトへの挑戦と、ノルウエーのベルゲンに「日本・ノルウエー友好の庭」を自ら現場に出て作庭してきました。その間、国内業務もできるだけ若い世代を中心にして、環境配慮設景・環境共生設景を進め、さらに住民参加によるワークショップなどを交えながら挑戦してきました。

今後のTLAは、国土の緑環境マネージメントの視座から、その復活・活用・食の安全確保のためにも地方農業のあり方なども含め、地域の大学など教育機関・行政・NPOなど市民組織に働きかけ、地域活力を高めるための提案と、ホロニックデザインの視座から景観と環境造型面で地域の文化力を高める仕事などをしていこうと考えています。

海外に目を向ければ、我々が経験してきた実績と発想力を求めている中国・インドなどアジア大陸への環境面からの貢献業務の存在があり、また欧米諸国の中には、日本の庭園文化に関心が相変わらず高まっています。これらの業務への挑戦をするためにも若い人材を育て、40有余年間に蓄積された設景理念と実務を伝えなければなりません。

いずれにせよ、この40有余年間、仕事の機会を与えて下さった関係者、TLAを直接支えてくれた多くの社員・仲間の皆さんに心から感謝を申し上げます。
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by harutokobayashi | 2008-12-19 12:06 | 記録・含震災関連
公園と光のデザイン
公園と光のデザイン

 11月中旬の2日間、ベルゲンの作庭で5年間お世話になった建築家オーゲ・バレステットさんを錦秋の信州に案内した。中央道の計画的に植栽されたIC、SAなどの樹木もすっかり生長し、周辺の里山などの紅葉と共鳴して美しい。
 信濃路自然歩道、松本城周辺整備事業、松本市民文化ホール、高橋節郎美術館など案内したあと国営アルプスあずみの公園を訪れた。
公園ではちょうど12月22日から28日にかけて開催される「森の光物語」の準備中であった。冬、日照時間の短い北欧の人々は、光を非常に大切にする光景を見ていた私にとって、「生き物の視点を尊重した人と自然の調和・共存を目指す」との開催の主旨で、このアカマツの既存林と北アルプスの清冽な流れを基盤とした公園で、どのような光りの物語が語られるのか気になり、オーゲ氏と光の景について語り合い光のシーンを想像した。
その後、12月12日再び同地を訪れた。現地が北アルプスの麓という立地、自然・風土性など考えた時、子供のころ見た映画「石の華」のような幻想的シーンが見られるかなと胸が躍った。ところが、駐車場からガイドセンターに向かう時、さらに280円の入場料金を払いテーマ展示館前の広場の真っ赤な電飾を見て無残にもこの期待は裏切られた。なぜ?なぜ真っ赤な木?が必要・・・・。
さらに展望テラスから池を見た時、この驚きは倍増した。それは中国の地方都市のレストランなどで見たライトアップのように赤い光りが水辺に設置され、水面には竜の形が浮かぶ、清冽な信州の自慢の清流が赤い血の色で電飾されていたのだ。
それに引き換え公園の背景となっている安曇野の民家の灯りと満月が印象に残った。澄んだ信州の夜空の月が池の水面に移っても真っ赤な電飾に打ち消されている。
 この公園計画のとき、冬場の利用をどうするかは大きな課題であったが、光の演出で来園者数が増えたことは確かにめでたいことであり、当初の課題解決のひとつの手段として否定しない、そのこと自体について反対する気持ちはないが、緑と水と澄んだ空気、都会で観照できない星空などに恵まれた国が整備した公園には、それなりの作法が必要ではないだろうか?
墨田区あさひ幼稚園、練馬区立立原小学校による幼稚園児・小学生500人を対象にした「みんなの好きな色」アンケートによると、確かに幼稚園児などは視認性の高い赤い色への反応が高いが、小学校高学年になると男女とも好む色相が淡いグリーン~ブルーへと好みが変化する傾向にあるとのことであるが、現状は幼児利用者の好みばかりを意識した赤を主軸とした原色デザインである。これでよいのだろうか?
トンボ、カブトムシなど模った光りが止まった木、小さな子供が「スゴイ!スゴイ!」中年の婦人が「昨年よりバージョンアップしている」ほろ酔いの男性グループは「なんか新宿の夜見たいだな」など思い思いの声を耳にした。
鋭敏な感性を持つ子供の来園者が今後多いことを考えると、環境色彩教育に対しての配慮と、国が整備した公園の意味・役割を考え、その品位と礼節を保つという見地から今後の検討をお願いしたい。
公園の必要性・良し悪しなどが、入込者数の多少によって評価される傾向が強いところから、なんとかして入場者を増やせないかと工夫する努力は評価するとしても、公園にふさわしい光りのデザインが他にあるはずだ。それぞれの風土性から発想した光の造型があるはずだ。われわれ公園管理運営士は現場で努力される方々のサポーターとしてもお役に立たねばならないと考えている。(公園管理運営士会 会長)
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by harutokobayashi | 2008-12-19 11:49 | 光の景
笠間芸術の森公園・陶の杜作品
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襞のモニュメント2(伊藤アトリエ)
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by harutokobayashi | 2008-12-04 14:36 | 設景の思想
笠間芸術の森公園・陶の杜作品
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陶と陽光の集合体(小林政美)
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by harutokobayashi | 2008-12-04 14:30 | 設景の思想