ベルゲンでの作庭の心
ベルゲンでの作庭編集 | 削除

 私は、信州松本、「玄向寺」を菩提寺とする浄土宗の家に生まれた。「玄向寺」は浅間温泉の南約1Kmの東山の麓に位置し、生家からゆっくり歩いて30分~40分前後の位置にあり、幼い日から家族とともに和尚の講話を聞きにつれられていった寺である。
この寺の存在は幼い時から畏敬の対象として理解してきた。
講話の時、大人に混じって兄弟で正座して聞いていると、和尚は「坊達正座しなくて良いから楽に足を伸ばして聞きなさい」とやさしかった。お経で鍛えた声がなんともぬくもりがあって、心が
和んだ記憶が今でも生々しくよみがえる。母も「お前たち行儀良く聞いていたね」とほめてくれた。これもまたうれしかった。
 こんな幼児体験を持つ私が、今ノルウエーのベルゲンで日本庭園造りをしている。
1905年ノルウエーが独立した年、日本とノルウエーは国交を樹立した。それから100年が経過し、その記念に「花の万博協会」からの補助も受け、大半は国立ベルゲン大学とノルウエーの地元の経済人の寄付により建設費を得て作庭するものである。
ノルウエーは、日本とほぼ同じ面積に500万人未満の人口で、北海に面した国土の大半は美しい環境に恵まれていて、いたるところ完成した庭園である。それと共にこの大地の心を理解する時、信州の自然と共通したものを感じ作庭の方向付けを助けてくれた。信州人の私の感性で、ベルゲンの大地をキャンバスとし庭を造る。
石組みの作業をするところを近隣の人たちが興味を持って眺めに来る。これらの人の期待にこたえていかなくてはならない。
2006年二度目の現場も明日はひとまず切り上げ帰国するため、プロジェクトリーダーのブルニエフさんが家に夕食の招待をしてくれた。ご馳走になり外に出た時、北斗七星が美しかった。「僕の故郷の空もこのようにきれいです」と現地の仲間に自慢した。彼らは星空など意識して見たこともなく、北斗七星が自分の家の真上に見えるなんて気がつかなかったと笑った。
# by harutokobayashi
[PR]
# by harutokobayashi | 2006-05-01 11:25 | 設景の思想
景観は文化である。
設景思想の理屈遊び
 私の設景は,視覚に偏りすぎず自然の営み、特に季節と共に循環する環境を確認し、生き物にとって健康的な環境・景として創造することにあると考えている。
そのためには『天気』を正しく受信することが大原則である。
 正しく天気を受信するのは人間の五感を総動員しなければ出来ない。
宇宙感を五行の「気」に託し、人々にこの「気」を受信し享受する装置として五感触を空間解釈のツールとして採用する。
 たとえば、季節の移ろいを受信する装置デザインとして花潅木をテーマにして、花言葉などのイメージから空間野の呼称を考える。住宅であるならば花と居住者、自然の移ろいと居住者、花は人生の応援花、居住者の心のよりどころ、無常観に根ざした空無の日本美の捉え方・考え方を基本に展開する。

景観は文化そのものである(チャールス皇太子)。建築家だけが建築を論ずる資格があるわけではない。
文化としての景観創出に建築家の仕事は影響が大きい、歴史とは何かを考えながら伝統を重んじ、現代の姿を投影して新しい文化を創造する。極論すれば伝統しきたりを頑固に守り通すことができる人々によってはじめて可能となる側面を持つ。文化につながる仕事をしたいね、と国土政策研究会の佐々木氏と酒を飲みながら
風景とは視線の記憶の重なりである。
(2006年2月)
[PR]
# by harutokobayashi | 2006-04-30 13:39 | 設景の思想
ベルゲン作庭日記
ベルゲン作庭日記
2006年2月25日
新宿発8時3分の成田エクスプレスにて成田へ、9時30分成田着、今回は宮田好道君、藤浦晃君と合流して出国
SK984便12時30分発にてコペンハーゲンへ、約11時間(現地時間16時15分到着) コペンハーゲン空港で4時間ウイスキーを飲みながら雑談、
20時40分SK2874にてベルゲンへ、離陸を待たずに爆睡、22:00時、無事ベルゲン着、日本時間26日・日曜日の朝6時、調布を出てちょうど24時間の旅、
空港にはOLAV, AGE、BRYNIVLVの各氏が迎えに来てくれていた。
今年は雪が少ないとの話であった。シャワーを浴びてすぐ熟睡、日本から西に移動するのはカナダ、アメリカに行くより時差調整が楽な気がする。
2006年2月26日
朝6時に目が覚めた。外は昨夜の雪できれいに化粧されていた。日曜日ということもありすぐ現場に行きたいという無理も言えず、ゆっくりした朝食をとり、部屋で旅づかれを癒し午後から現場に出た。現場にはたくさんの庭石が積まれ雪に覆われていた。
基本的に庭石は現地で準備していただいたものを使用することとしていたが、枯山水に利用不向きな丸石も多くこれをどのように料理するか身が引きしまる思い。
この庭園はベルゲンの気象が苔の生育に適しているため苔庭として考えているので、丸石など苔に覆われることを考えて配置しようと思う。
 夕食はベルゲン大学教授(植物園長)ヨルゲンセン先生の自宅でご馳走になる。
2006年2月27日
8時半ホテル発、8時45分より作業開始、とにかく今日は庭園の心臓部ともいえる枯山水の石組み骨格を完成させること、その前にボードウオークの手すりの打ち合わせ、あと直ちに石組みの作業に入る、平均2トン以上の庭石(最大15トン)を枯山水に組み込む、進歩したかっこ良いクレーン車(日本でこのようなデザインのクレーンは見たことがない)の力をフルに活用しての石組みであった。
かつて藤浦晃君と二人、人力に頼ったインドネシア・チブブールの場合と随分違う。
昨夜から降り始めた小雪が10時~11時と時間の経過と共に猛吹雪となった。
この様な雪は今年初めてという。我々を歓迎してくれたのか?
借用した防寒服はさすが地元のもの、ぜんぜん寒さを感じないが、手袋は作業感覚を維持するために現地の人の助言も聞かず少し薄めの防水手袋にしたことがたたって手が麻痺しそう。体を動かして体を温める以外ないと考え、雪中の石組みに精を出す。
国営TV、各種のマスコミが雪の中でも取材が多く、インタビューに答えながらの作業。
日本庭園に代表される日本文化への関心の高さを感じる。
 岩山の国ノルウエーの人はさすが石の扱いは慣れている。想像していた以上だ。
昼食を抜いて午後5時半まで作業、途中現地の人は今のシーズンは3時ごろまでしか外業はしないようにしていると聞いたが付き合ってくれた。ホテルに帰る途中スーパーで果物、飲み物など購入してホテルに戻る。
ホテルで自分たちの姿がTVニュースで放映されているのを見ながら三人で飲み交わすビールはうまかった。
2006年2月28日
今日は天気もよさそうだ、昨日の石組みの見直し、思想付け、物語性など考えながらこれから現場だ。
8時にホテル出発、地元の施工会社の社長はすでに作業に入っていた。直ちに昨日の石組み修正に入る。途中日本から送った春日灯篭の据付、日本からの梱包がオーバーな梱包のために灯篭の取り出しに時間がかかってしまった。
灯篭もやはり収まるべきところに設置すると、周囲の雰囲気が日本の空間に様変わり、空間演出の妙を感ずる、石組も同じ、皆一生懸命、昼休みも惜しんで作業に熱中、最後に15トンという巨石(幅さ4M、幅2M、高さ2m弱)を庭園メインの入り口右側に設置、このような巨大な石を取り扱うことは今後無いのではと思う。
ノルウエーと日本の友好のシンボルとして将来この巨石も意味を持つだろう。
2006年3月1日
 8時より現場、藤浦、宮田両君に建仁寺垣の設置を任せ、僕は石組みと、雪見灯篭、岬灯篭の仮設置作業を行う。昼食抜き現場でがんばるつもりであったが、関係者の要望で日本庭園についてのレクチャーをするために管理センターへ、パワーポイントを使用して日本庭園の実例と、ベルゲンでの目標の確認をする。
ベルゲンはメキシコ湾流の影響で気候も思ったより寒くない。信州に近い感じ、異なることは湿度が高くコケがよく繁茂できることである。
準備されていた庭石は丸石などが多く、この現地の石の個性をどのように組み合わせるかが成否を決めることになるだろう。
 夜はブルニエフさんの家に招かれて夕食、ベルゲンの町を見下ろす山の中腹にあり景色は中々のものである。

2006年4月4日
 今回はKL862便、成田11時30分発にてアムステルダム経由、ベルゲンへの一人旅、アムステルダム16時20分着、賞味10時間37分(今回の場合)のフライト、ベルゲンへは、KL1193便アムステルダム発20時55分、それまでの待ち時間をスキポール空港のホテルでシャワーを取り仮眠、ベルゲンへは22時35分着、空港にはオラブ氏、オーゲ氏、ブラにエフ氏の3人が出迎えにきてくれた、空港近くのホテル着が23時、家を出てちょうど24時間の旅であった。
2006年4月5日
朝9時にホテルを出る、絶好の天候、気になっていた建仁寺垣、ボードウォーク、園路の石組み、枯山水石組みのチェック、最も重要な枯山水の石組み修正に取り掛かる。
昼食も抜き。6時まで石組みの見直し追加、コケの植え付けなど、腰が痛い。力の衰えを感じる、そんなことを言っておれないが仕方ない。今まで一人で持てたものがだめ、反面クレーンなど重機械の進歩で石組みへの取り組みの姿勢が随分変わった。創造できない重機械の力で大きな石が軽々と思うように移動できる。反面注意しながら実施しても何百年もかけて育ってきた石の表面の苔に傷がつく、注意しても限界がある。昔の石立僧が見たらなんというだろう。
とにかくこんな大規模な石組みは日本では中々経験できないこと、それを短時間にこなして行く喜びに勝るものは無い。
今日はこのくらいで筋肉をほぐし明日に備えることにする。
滝口に用いた枯れ木が竜に似ていることから「竜の滝」と命名しようか。
ホテルへの帰途スーパーマーケットで果物ビールを仕込んで帰る
2006年4月6日
今日は昨日と異なり雨、強く降ったり弱くなったり、午後からはアラレが降り始めた、上空はやはり寒いのだろう。
途中クラレ不動産元社長の山下さんから電話、今の電話は国内と同じ操作で接続できる。
さて、昨日も心配していた滝口周辺の組み替えと滝正面に向かって右側の園路沿いの配石を行った。石組みの周辺にコケを植え島状にした。池が完成したときの景を考慮してのもの、明日は左側と池の予定地周辺に大きな石を組み込んで行こう。
メインの枯山水の部分的修正はIVA氏(桝野氏と仕事をしたことのある人)が身内の葬式で明日はこれない、来てからにしよう、彼の重機の操縦は抜群である。
石を組む、裏込砕石を詰める、その上にコケのための土をかぶせコケを張る。設計者として傍観していることのできない僕はつい自分もやってしまう。この作業も中々腰が痛くなる仕事だ。
僕は見た目が若い???、50歳前後の人と同じに見られ相応の力を出さねばならぬ・・。指示を出しながら・・。足元が雨・あられで悪くなり5時で現場終了すっかり苔庭の枯山水の雰囲気が出てきた。
食事会に誘われたがお断りして、重い体をやっとの想いでホテルの部屋へ、早速シャワーを用いた身体のケアーに時間を掛ける。中国のホテルと異なり水廻りの設備は安心して操作使用でき、筋肉をほぐすのに効果が上がる。スッキリしたところでビール????本

2006年4月7日
カーテンを引くと昨夜雪が降った。路側の残雪が路面のアスファルトと対比的で面白い。今日は枯山水周辺の主要箇所に用いる石がそろっていないので、比較的小さな石を丘の上、斜面の途中など枯山水の背景となる位置に景石として配置する。据付の細部作業は後に現地の人にお願いするしかない。しかし施工会社のスタッフは中々分かりが早い、気になる箇所の石の交換を行った。
あとodifillさん(17世紀から18世紀世界野海運王といわれた家野末裔と聞いた)の住宅建設地に対しての意見を求められる。Odifill婦人が準備した世界の著名建築家の本と一緒に私の長兄の著書「民家の風貌」が議論のテーブルに出されて驚いた。奥様は現代風の建物がご希望のようだ。ご主人はノルデイックの伝統的なイメージを活かしたい様子、いずれにせよ何十冊も本を見てイメージ作りを楽しむ奥様の熱心さに驚くと共に、さすが暮らしたい国世界一のノルウエー。日本は12番目と記憶?
海岸の絶壁の岩山にはミモザが茂り、松林がその上を覆う。環境はまさに完成した自然のガーデンである。何もしないことが最も良い作庭と申し上げた。「そういわないで考えてください」とのこと、日本的なものをお求めなのだろう。自然の音が静けさを強調するような小さな流れと滝、瞑想の小屋を提案しよう。
帰りに僕のホテルで、オーゲ、オラブの2人を食事に招待、トナカイを食べた。赤ワインに良くあったさっぱりした肉であった。また食べよう。

2006年4月8日
今日は7時半にホテルを出てベルゲンより北方150Kmばかりの石置き場に行ったがあいにくの雪で良い石を一目で探すことができず、一つ一つ雪を手ではねて探したがやはり十分ではなかった。石組みの成功不成功は素材の選択がすべてともいえる。
午後2時に現場に戻る。僕の選んだ石を積んだトラックはすでに到着していた。残りは明日10時半には現場に運でくれるとのこと。
早速更なる石組を実施、見る度に気になるところが出てくる。そのたびに修正、仕事仲間にすまぬという気持ち、しかしここであいまいにはできない、変更修正の決断断行。
「皆さん本当に思うように動いてくださってありがとう」の一言、今日は土曜日の休みなのに6時まで付き合ってくれた。明日は更なる精度を上げていきたいがあいにくの日曜日、イースターホリデーの週とも重なり手元がそろうか心配。
地元の大口スポンサーのムーンさん御夫妻が現場を見ながら散歩にお見えになった。
お逢いするなり「モーカリマッカ?」と大阪弁、伺えば年に2回大阪にいかれるそうだ、東京ではパレスホテルがお気に入りで定宿とのこと、庭園工事費の約3分の2を大学に寄付されたようだ。見るからに貫禄十分・・・。
2006年4月9日
 9時現場へ、すでにIVA社長は現場で待っていた。今日は庭園のメインの入り口になるところの石組みをすることにした。友人でベルゲン在住の造園家OLAV氏が三尊の石組みっぽいアレンジをしてくれていた。ここを彼にも話をして全面的に変更、日本庭園のシンボルとも言える雪見灯篭を中心に蓬莱の石組みっぽい感じで周りを固め、地這性の松で周囲を埋め尽くすことにした。IVA氏の秀悦な機械さばきで巨石が動く、石文化の国ノルウエーのさすが技術者、彼は午後からコペンハーゲンへ向かうとのこと、お孫さんたちとイースターホリデー、かわいいお孫さんの写真を見せてくれた。
この作業中ムーンさん御夫妻がロールスロイスで帰宅するところに遭遇、「オハヨウゴザイマス」と挨拶されて笑いながら通り過ぎていった。
後は、大型クレーンのオペレーターと、本プロジェクトリーダーのブルニエフ氏、IVA社長のアシスタント女性技師の三人を相手に5トンもある巨石も含めて枯山水廻りの整備、お互い御家族との予定のある休日、3時に現場を切り上げてホテルへ戻る。
夕方6時にブルニエフ氏の夕食に招かれ馳走になる。食後ブルニエフ婦人を伴って現場を案内。夜中の0時北斗七星が美しい夜である。東京では見ることのできない星空、故郷信州の夜空を思う。
0時OLAV氏、AGE両氏にホテルに送ってもらう。明日はいよいよ帰国だ。
2006年4月10日
 帰りの飛行機での睡眠を考え熟睡をせず早朝起床、短い睡眠の中で海外活動する友人(石井孝明さんにであったり違う人だったり、複数の日本人が小さな家に同居しながら、家を持ち独立し、さらにチャレンジする姿)たちの夢を見た、不思議なことにトイレに起きてその後夢の続きを見た。どのような心理状態なのだろう。朝もしっかり夢のストーリーを記憶していた経験は珍しい。
長旅を考え朝食は胃に負担を掛けないように果物とヨーグルトで軽くした。今回のベルゲン滞在はアルコールを飲む機会が少なかったことと、肉体労働を適度にしたことにより体調が良い朝だ。
この調子で鍛え続ければ筋力も少しは戻るだろうか・・・。
AACAに電話したところ伊藤事務局長が腸閉塞で入院手術をしたとのこと、心配していたことが起こったという気持ち、出国前に伊藤さんにはよく検査するようにお話したばかりであった。
10時ブルニエフ氏が空港に送ってくれた。今回はKLMを利用SASは機械を使ってのチェックインで苦労したが、KLMは人間相手やはり安心感がある。
アムステルダムまで1時間半、乗り継ぎ時間が1時間半しかなく、あの広い空港をDコーナーからFコーナーに急ぐ、さすが日本への帰り便、ヨーロッパ各地にいた日本人が各地から集まってきてF3ゲートは日本人が半分くらいになった。
2006年4月11日
現地時間15時20分に離陸、日本時間10時間30分に成田着、麻薬犬が荷物の間をすり抜けながら一生懸命仕事をしている。けなげな姿に同情心も少し、成田エクスプレス10時16分発にて新宿へ、かんちゅうはいがうまい。
[PR]
# by harutokobayashi | 2006-04-30 13:33 | ベルゲン作庭日記
日本の原風景・舟屋
2005年11月3日、和の生活文化を今に伝える伊根町伊根浦伝統的建造物群保存地区を訪問する機会に恵まれた
保存地区の景観的特長は、南向きの伊根湾と湾の出入り口の青島を囲む魚付林の濃い緑によって守られた狭い水際の土地に、帯状に展開する舟屋にあり、現在230戸が立ち並んでいる。時代による変化は避けがたく、漁船の大型化によって舟屋に入らない船が増えたこと、人口が減って高齢化が進んでいること、町の歳入の半分が観光事業に依存する現状など考えると、美しい舟屋の景観とともに、地域の人々の活力ある営みをどのような方法で後世に伝えるか、漁業が続く限り舟屋は温存できるとする考え方もあるが、日本の原風景が後世に残る知恵を出し合う時である。
[PR]
# by harutokobayashi | 2006-04-19 14:39
ブログ立ち上げの理由
 
「設景」は、明治の漢学者:小沢圭次郎がランドスケープデザインの訳語(正確には庭園デザイン)として用いた。日英博覧会に、日本政府が日本庭園を出展した際、デザインをした小沢にイギリス女王からの礼状が来た。その中のデザインを小沢は設景と訳した。
「設計」が、造家するため、工事費を算定して請負に渡すための目論見書を策定すること、と理解していた明治時代には、今で言う建築サイドの業務用語として用いられていたことに対して、
「設景」は園路をどのように計画し、池・築山・家の配置(配家学)を検討して環境全体の計画をすること。現代の地域・都市・街づくりに通ずる概念と受け止めることができる。

 この小沢の考えを現代に置き換えて展開しようと、日々挑戦する中で、気づいたことをメモ的に記しながら、私の「設景論」としてここに公表しするものである。
ご覧いただいた方のご意見をいただけたらうれしい。
f0059232_419129.jpgTLA代表 小林治人
[PR]
# by harutokobayashi | 2006-03-27 13:05
ランドスケープデザインの潮流
「タイセイ総研ランドスケープセミナー」
テーマ: 「ランドスケープデザインの潮流」
株式会社東京ランドスケープ研究所:小林治人
日時:2006年1月26日 18時~19:30分
場所:新宿センタービル52階 プレゼンテーションルーム

1:社会的背景・文化事業化への流れ
20世紀、急速な経済発展をした日本は、狭い国土に多くの社会資本整備を実施してきた。20世紀という階段を登り詰め、21世紀に向けて社会資本整備のあり方が問われている。
今までの機能性、経済性、合理性、の追求だけでは新しい階段を見つけることは出来ないことも一般認識になってきた。
ひと時、アジア諸国全体の公共事業量に比し数倍の規模で実施された日本の社会資本整備事業であったが、国民生活の文化的熟度が向上した社会に近づきつつある中で、美しい景観、緑を基盤とした文化的事業などが充実してきた。反面、ダム・道路など過剰・余剰といわれる社会資本のあり方が論議されるようになった。
 また、人々の環境意識の高まりにも著しいものがあるが、身近にはまだ20世紀の環境破壊システムが続いている。そんな中で、環境に配慮したランドスケープデザインの理念・技術を共有することは意義がある。
2:日本・変換期への軌跡
 19世紀後半、ニューヨークセントラルパークの建設を期に華開いたランドスケープデザインは、アルフレッド・ロウ・オルムステッドを先頭に、20世紀を目前にアメリカ全土に華やかな展開を見せ、ランドスケープデザイナーという新たな職能の基盤を構築した。
1903年にオルムステッドが死去した後、彼の師事を受けたランドスケープデザイナー達は、師の理念と実戦学を基本に全米的に大活躍を展開し、幾多の巨匠といわれる著名なデザイナーを育み、アメリカ全土はもとより世界を凌駕した。20世紀前半には幾多の大戦を経験しながら、豊かな復興を果たしたアメリカの大地にキラ星のごとく輝くランドスケープ作品を生んだ。
 この潮流は20世紀後半となるとアメリカから日本へと移動する。もともと日本には7世紀頃より育まれ、11世紀には様式として確立した伝統的日本庭園の技術が「作庭記」として様式化され温存されていた。この伝統の継承と維持を素養とした日本の造園家達は、20世紀初頭、日本中を渦に巻き込んだ脱亜入欧、文明開化、モダニズムの名の下に欧化主義と伝統主義との確執を生みながら、近代公園の礎と言われる日比谷公園などを生んだ。しかし、この潮流はその後の経済不況、第二次世界大戦などによって頓挫した。
その後、急速な経済発展を背景に日本の現代ランドスケープデザインは1960年前後開花を始めた。この頃日本は1964年の東京オリンピックの開催、1970年大阪国際博覧会の開催などを控えて、新幹線の開通、首都東京、経済都市大阪などの建設ブームに沸いた。
ランドスケープ関連事業では、1964年に「国際造園家連盟(IFLA)世界大会」が東京・京都を中心に開催され、ランドスケープ事業への関心は一気に高まりを見せた。この1964年を契機に15人のランドスケープデザイナーが集い「造園設計事務所連合」(現在の社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会)を結成し新たな現代ランドスケープ職能の誕生を宣言した。この組織はその後200に近い事務所と、ランドスケープデザイナー4500名が登録された団体として成長した。
1985年には再び「IFLA世界大会」が開催され、日本のランドスケープデザイナーの作品が広く世界に紹介された。同じ年に開催されていた「筑波国際科学博覧会」は私の事務所が会場のランドスケープデザインを担当していたことから多くの海外の仲間に作品を紹介することが出来た。
経済基盤の整備の進む中で田中内閣によって「日本列島改造論」が提唱され、「リゾート法」が制定されるなど、日本列島全体が建設に沸き返り、かつてランドスケープデザインの中心であったアメリカから多くの事務所が日本の業務に参加する現象が続いた。
まさにランドスケープデザインの潮流が奔流となって日本に集中し、日本の台頭が著しい時代であった。
そんな時、私の友人であったマサオ キノシタ、ハーバート大学・オハイオ大学教授(建築家・ランドスケープ・デザイナー)は、この急速に発展した日本のランドスケープ作品について、次のような意見を述べたことが印象的であった(1993年)。今日の斯界の低迷到来を予知させるものであった。
①今の日本の造園は外国かぶれしているように見える。日本のランドスケープ作品は国外からの影響を受けすぎている。日本のランドスケープとは何かをしっかり考える。
②関連する専門家と協同することの大切さ、建築と造園など協同しながら土地利用など決めて行くことがなされていない。土地利用計画の確立を通じて建物の価値を高めて行くためには、ランドスケープの理論が大切、対等な共同が不可欠。
③「無を持って有を得る」といわれる日本的空間把握、建物のボリュームとランドスケープの対称。匂い・光・音などを通じて建物をコントロールする。
④日本の伝統・様式とポストモダン、日本には伝統的文化があるにかかわらず現在それを超えた良い作品が出てこない。
⑤アメリカは歴史の古い国から学んでいる。アメリカの人は皆そうすべきと思っている。美的構造を発見し、奥ゆかしさのある作品を作る時、歴史に学ぶべきだ。日本的だといえるランドスケープ作品をもっと出さないといけない。
日本のランドスケープ文化を良く理解し、こよなく日本を愛してくださった教授のご意見である。日本のランドスケープ界はこの頃を頂点として混迷期を迎えることとなった。
3:中国の台頭
反面、中国では1990年代に入り開放経済の成果が急速に出て、経済発展の速度を速めた。1990年代後半には社会基盤整備事業、都市開発、住宅開発など開発事業が盛んとなり、調和ある国土運営を目指した方案作成のための法律なども制定された。この制度は日本には無く大変画期的なことと受け止めている。さらに2000年にはコンペ法が制定され、この法によって運営されるコンペに参加する者には参加費が支払われることとなっており、内外から優れた案を募集することを促進する効果が発揮されている。
さて中国におけるランドスケープデザインビジネスを考える上では、画期的な制度である方案作成のためのコンペ法の望ましい運営を考える上から、以下に方案の重要性について述べ参考に供したい。
中国における方案の意味は、単なる普通名詞ではなく法律的な用語である。方案という言葉を辞書で捜してみるとコンセプトと言う意味であることがわかる。
日本では似たような言葉で概念設計という言葉はあるが、法律的な且つ義務的な言葉ではない。極端に言えば日本では概念設計(方案設計)という段階は施主と設計事務所の合意の元でやったりやらなかったりする。
 それに比べ中国では方案設計という避けられない段階が開発行為の初期にあり、その許可を政府から得なければその先に進めないシステムはきわめて珍しく、また非常に先進的な素晴らしい法体系である。しかし問題はそのシステムの運用が、当初考えた理想的なものであるかということを少し検証しないといけない。
1)中国デザインの先進性と課題
 中国での設計の流れ、①方案設計、②初歩設計、③施工設計 という流れになっている。
 方案設計の段階で政府の許可を必要としている。 
日本及び一般的な国においては ①基本構想・基本計画、②基本設計、③実施設計 
となっており作業の流れにおいては中国の場合とほぼ同じと言える。しかし、方案設計段階の作業について法で位置づけられている訳ではない。
中国では方案は政府から3案前後が要求されている。良い点はその敷地にあった案を幅広い見地から比較検討して選ぶことができるという点であり、問題点は、デザイナーの選定は案の内容や質ではなく、そのプロジェクトにあった人、事業者の知人や、事業者の意見に従い業務を進めやすい人を選ぶという考えが根強い点である。
コンペと言うのは公正な立場からの且つ民主的な設計事務所の選択方法といえるが、中国での制度が世界的に認知されるまでには運用上の課題を整理しなければならない。
一般にコンセプトと軽く言っているがコンセプトはそう簡単なものではなく、実際はデザイナーが持つ一般的な知識と技術とは別の能力が要求される。
日本の公園緑地などの設計では官庁側の委員会などが多く、官庁の管理、意向が強すぎてコンセプトが偏在化しがちである。こうした環境からは世界をリードするような個性的な作品が生まれにくい。
2)コンセプトの種類
“コンセプトは夢である。事業者の夢、利用者の夢、デザイナーの夢である。
  ①マスターコンセプト(トータルコンセプト)、プロジェクトの全体統一概念 抽象概念、広域計画では必須である。事業の方向を示唆するもの
  ②デザインコンセプト 空間を規定するもの、ランドスケープデザインは生き物の技術が中心になる。生物の多様性、生息空間のコンセプト 生き物の技術とボキャブラリー(生き物:樹木・花・生き物などの具体的な名前を多く知ること)     
  ③経営コンセプト 経営戦略          マーケット創造or
  ④運営コンセプト 運営方法          人事、ホスピタリティ
3)方案の目的、役割
①方案 方案は作業仮説である。それ自体は存在しないものでありデザインを進めていく上でその空間構成を創るための乗り物のようなものである。また方案は、抽象的なイメージを具体的なイメージに変換するための手段であり、決して同じ世界ではない抽象と具象の間を結ぶ:これは言葉で表す必要が有る。なぜなら人間は言葉で考え理解するからである。絵ではなく言葉で表現することによってゆるぎない相互理解が達成される。そしてイラストはその理解を助けるための補助手段であり、施主とデザイナーとの間に合意を作り又納得するための合言葉、デザインチーム内の共通認識形成、スタートからフィニッシュまでのデザインガイドラインでもある。 
4)方案の発想方法
  ①土地の持つ自然、気候、風土等を徹底的に調べる。土地が欲しているもの、環境との補完関係が作れるものを目指す。
  ②人々の生き方、施主の考え方にデザイナーとしての自分の生き方を投影する
  ③土地の歴史、地域の歴史、履歴を調べる 歴史の持つリアリティの探求
  ④自分の欲する空間を言葉にする スケッチやイメージ写真等を探す前にあるべき空間を言葉で表さなければならない
   ⑤文化性の高いものを目指す。
4:私の挑戦:21世紀のデザインチーム
 時代の流れは常に一定ではなくダイナミックに変化する。ランドスケープデザイン界のそれも例外ではない。私は「TLA」のほか「総合環境設景」(ATLAS-21)の名称でデザインチームを組織している。景観計画・設計は単に公園・緑地・庭園などに限定される概念ではない。陸域・水域・気域における建築物、橋、護岸その他環境を構成しているすべてを指すといえる。そこで私の目指したものそれは、国土運営における国の政策を実践して行くための方法論として発想したものであるが、従来の縦割り型でそれぞれ独立していた建築・土木・造園・都市計画・アート・工芸など環境創造とかかわりの深い専門職能人を横断的に連携させて、その知的資産を総合化することによって「環境の世紀」にふさわしい「知的サークル活動」を目指したところからスタートしたものである。
[PR]
# by harutokobayashi | 2006-01-26 18:00 | 設景の思想