「タイセイ総研ランドスケープセミナー」
テーマ: 「ランドスケープデザインの潮流」 株式会社東京ランドスケープ研究所:小林治人 日時:2006年1月26日 18時~19:30分 場所:新宿センタービル52階 プレゼンテーションルーム 1:社会的背景・文化事業化への流れ 20世紀、急速な経済発展をした日本は、狭い国土に多くの社会資本整備を実施してきた。20世紀という階段を登り詰め、21世紀に向けて社会資本整備のあり方が問われている。 今までの機能性、経済性、合理性、の追求だけでは新しい階段を見つけることは出来ないことも一般認識になってきた。 ひと時、アジア諸国全体の公共事業量に比し数倍の規模で実施された日本の社会資本整備事業であったが、国民生活の文化的熟度が向上した社会に近づきつつある中で、美しい景観、緑を基盤とした文化的事業などが充実してきた。反面、ダム・道路など過剰・余剰といわれる社会資本のあり方が論議されるようになった。 また、人々の環境意識の高まりにも著しいものがあるが、身近にはまだ20世紀の環境破壊システムが続いている。そんな中で、環境に配慮したランドスケープデザインの理念・技術を共有することは意義がある。 2:日本・変換期への軌跡 19世紀後半、ニューヨークセントラルパークの建設を期に華開いたランドスケープデザインは、アルフレッド・ロウ・オルムステッドを先頭に、20世紀を目前にアメリカ全土に華やかな展開を見せ、ランドスケープデザイナーという新たな職能の基盤を構築した。 1903年にオルムステッドが死去した後、彼の師事を受けたランドスケープデザイナー達は、師の理念と実戦学を基本に全米的に大活躍を展開し、幾多の巨匠といわれる著名なデザイナーを育み、アメリカ全土はもとより世界を凌駕した。20世紀前半には幾多の大戦を経験しながら、豊かな復興を果たしたアメリカの大地にキラ星のごとく輝くランドスケープ作品を生んだ。 この潮流は20世紀後半となるとアメリカから日本へと移動する。もともと日本には7世紀頃より育まれ、11世紀には様式として確立した伝統的日本庭園の技術が「作庭記」として様式化され温存されていた。この伝統の継承と維持を素養とした日本の造園家達は、20世紀初頭、日本中を渦に巻き込んだ脱亜入欧、文明開化、モダニズムの名の下に欧化主義と伝統主義との確執を生みながら、近代公園の礎と言われる日比谷公園などを生んだ。しかし、この潮流はその後の経済不況、第二次世界大戦などによって頓挫した。 その後、急速な経済発展を背景に日本の現代ランドスケープデザインは1960年前後開花を始めた。この頃日本は1964年の東京オリンピックの開催、1970年大阪国際博覧会の開催などを控えて、新幹線の開通、首都東京、経済都市大阪などの建設ブームに沸いた。 ランドスケープ関連事業では、1964年に「国際造園家連盟(IFLA)世界大会」が東京・京都を中心に開催され、ランドスケープ事業への関心は一気に高まりを見せた。この1964年を契機に15人のランドスケープデザイナーが集い「造園設計事務所連合」(現在の社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会)を結成し新たな現代ランドスケープ職能の誕生を宣言した。この組織はその後200に近い事務所と、ランドスケープデザイナー4500名が登録された団体として成長した。 1985年には再び「IFLA世界大会」が開催され、日本のランドスケープデザイナーの作品が広く世界に紹介された。同じ年に開催されていた「筑波国際科学博覧会」は私の事務所が会場のランドスケープデザインを担当していたことから多くの海外の仲間に作品を紹介することが出来た。 経済基盤の整備の進む中で田中内閣によって「日本列島改造論」が提唱され、「リゾート法」が制定されるなど、日本列島全体が建設に沸き返り、かつてランドスケープデザインの中心であったアメリカから多くの事務所が日本の業務に参加する現象が続いた。 まさにランドスケープデザインの潮流が奔流となって日本に集中し、日本の台頭が著しい時代であった。 そんな時、私の友人であったマサオ キノシタ、ハーバート大学・オハイオ大学教授(建築家・ランドスケープ・デザイナー)は、この急速に発展した日本のランドスケープ作品について、次のような意見を述べたことが印象的であった(1993年)。今日の斯界の低迷到来を予知させるものであった。 ①今の日本の造園は外国かぶれしているように見える。日本のランドスケープ作品は国外からの影響を受けすぎている。日本のランドスケープとは何かをしっかり考える。 ②関連する専門家と協同することの大切さ、建築と造園など協同しながら土地利用など決めて行くことがなされていない。土地利用計画の確立を通じて建物の価値を高めて行くためには、ランドスケープの理論が大切、対等な共同が不可欠。 ③「無を持って有を得る」といわれる日本的空間把握、建物のボリュームとランドスケープの対称。匂い・光・音などを通じて建物をコントロールする。 ④日本の伝統・様式とポストモダン、日本には伝統的文化があるにかかわらず現在それを超えた良い作品が出てこない。 ⑤アメリカは歴史の古い国から学んでいる。アメリカの人は皆そうすべきと思っている。美的構造を発見し、奥ゆかしさのある作品を作る時、歴史に学ぶべきだ。日本的だといえるランドスケープ作品をもっと出さないといけない。 日本のランドスケープ文化を良く理解し、こよなく日本を愛してくださった教授のご意見である。日本のランドスケープ界はこの頃を頂点として混迷期を迎えることとなった。 3:中国の台頭 反面、中国では1990年代に入り開放経済の成果が急速に出て、経済発展の速度を速めた。1990年代後半には社会基盤整備事業、都市開発、住宅開発など開発事業が盛んとなり、調和ある国土運営を目指した方案作成のための法律なども制定された。この制度は日本には無く大変画期的なことと受け止めている。さらに2000年にはコンペ法が制定され、この法によって運営されるコンペに参加する者には参加費が支払われることとなっており、内外から優れた案を募集することを促進する効果が発揮されている。 さて中国におけるランドスケープデザインビジネスを考える上では、画期的な制度である方案作成のためのコンペ法の望ましい運営を考える上から、以下に方案の重要性について述べ参考に供したい。 中国における方案の意味は、単なる普通名詞ではなく法律的な用語である。方案という言葉を辞書で捜してみるとコンセプトと言う意味であることがわかる。 日本では似たような言葉で概念設計という言葉はあるが、法律的な且つ義務的な言葉ではない。極端に言えば日本では概念設計(方案設計)という段階は施主と設計事務所の合意の元でやったりやらなかったりする。 それに比べ中国では方案設計という避けられない段階が開発行為の初期にあり、その許可を政府から得なければその先に進めないシステムはきわめて珍しく、また非常に先進的な素晴らしい法体系である。しかし問題はそのシステムの運用が、当初考えた理想的なものであるかということを少し検証しないといけない。 1)中国デザインの先進性と課題 中国での設計の流れ、①方案設計、②初歩設計、③施工設計 という流れになっている。 方案設計の段階で政府の許可を必要としている。 日本及び一般的な国においては ①基本構想・基本計画、②基本設計、③実施設計 となっており作業の流れにおいては中国の場合とほぼ同じと言える。しかし、方案設計段階の作業について法で位置づけられている訳ではない。 中国では方案は政府から3案前後が要求されている。良い点はその敷地にあった案を幅広い見地から比較検討して選ぶことができるという点であり、問題点は、デザイナーの選定は案の内容や質ではなく、そのプロジェクトにあった人、事業者の知人や、事業者の意見に従い業務を進めやすい人を選ぶという考えが根強い点である。 コンペと言うのは公正な立場からの且つ民主的な設計事務所の選択方法といえるが、中国での制度が世界的に認知されるまでには運用上の課題を整理しなければならない。 一般にコンセプトと軽く言っているがコンセプトはそう簡単なものではなく、実際はデザイナーが持つ一般的な知識と技術とは別の能力が要求される。 日本の公園緑地などの設計では官庁側の委員会などが多く、官庁の管理、意向が強すぎてコンセプトが偏在化しがちである。こうした環境からは世界をリードするような個性的な作品が生まれにくい。 2)コンセプトの種類 “コンセプトは夢である。事業者の夢、利用者の夢、デザイナーの夢である。 ①マスターコンセプト(トータルコンセプト)、プロジェクトの全体統一概念 抽象概念、広域計画では必須である。事業の方向を示唆するもの ②デザインコンセプト 空間を規定するもの、ランドスケープデザインは生き物の技術が中心になる。生物の多様性、生息空間のコンセプト 生き物の技術とボキャブラリー(生き物:樹木・花・生き物などの具体的な名前を多く知ること) ③経営コンセプト 経営戦略 マーケット創造or ④運営コンセプト 運営方法 人事、ホスピタリティ 3)方案の目的、役割 ①方案 方案は作業仮説である。それ自体は存在しないものでありデザインを進めていく上でその空間構成を創るための乗り物のようなものである。また方案は、抽象的なイメージを具体的なイメージに変換するための手段であり、決して同じ世界ではない抽象と具象の間を結ぶ:これは言葉で表す必要が有る。なぜなら人間は言葉で考え理解するからである。絵ではなく言葉で表現することによってゆるぎない相互理解が達成される。そしてイラストはその理解を助けるための補助手段であり、施主とデザイナーとの間に合意を作り又納得するための合言葉、デザインチーム内の共通認識形成、スタートからフィニッシュまでのデザインガイドラインでもある。 4)方案の発想方法 ①土地の持つ自然、気候、風土等を徹底的に調べる。土地が欲しているもの、環境との補完関係が作れるものを目指す。 ②人々の生き方、施主の考え方にデザイナーとしての自分の生き方を投影する ③土地の歴史、地域の歴史、履歴を調べる 歴史の持つリアリティの探求 ④自分の欲する空間を言葉にする スケッチやイメージ写真等を探す前にあるべき空間を言葉で表さなければならない ⑤文化性の高いものを目指す。 4:私の挑戦:21世紀のデザインチーム 時代の流れは常に一定ではなくダイナミックに変化する。ランドスケープデザイン界のそれも例外ではない。私は「TLA」のほか「総合環境設景」(ATLAS-21)の名称でデザインチームを組織している。景観計画・設計は単に公園・緑地・庭園などに限定される概念ではない。陸域・水域・気域における建築物、橋、護岸その他環境を構成しているすべてを指すといえる。そこで私の目指したものそれは、国土運営における国の政策を実践して行くための方法論として発想したものであるが、従来の縦割り型でそれぞれ独立していた建築・土木・造園・都市計画・アート・工芸など環境創造とかかわりの深い専門職能人を横断的に連携させて、その知的資産を総合化することによって「環境の世紀」にふさわしい「知的サークル活動」を目指したところからスタートしたものである。
by harutokobayashi
| 2006-01-26 18:00
| 設景の思想
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