「造園設計職能の軌跡と展望」
はじめに 2011.3.11東日本大震災を経て、社会的変貌が余儀なくされる中で、造園設計・造園設計者(以下設計・設計者と略す) の20世紀後半における設計職能誕生前後から現代までの軌跡をたどり、明日への展望を考える資としたい。 設計の対象は公共造園と民間造園に大別される。公共造園は入札制度のもとで、手段であるべき経済活動・業が目的化され業の目標に向けた手段と化し、本来設計は精神性と生活方式が合致した質に美意識が集中されるべきであるが、業と質のはざまで苦慮している事態がある。設計者が内発的に造園文化形成を提言し、人々が安全・安心して暮らせる生活の場を支える職能として、具体的に設計者として実像を示せているかが問われる。 黎明期の組織化されない時代の先達たちの活動記録保持と、記録の正確を期すために関係者の実名を記させていただいた。関係者にはご理解いただきたい。名称には敬称を略させていただいた。 造園設計職能の黎明期 昭和25年 1950年6月~1953年7月「南北朝鮮動乱」によって日本は戦後復興に弾みがつくという皮肉な社会状況の中、米軍接収財産施設(GHQ)の設計に下山重丸、東京都の戦災復興公園設計には、井下清、以下都の職員など自治体内部で設計を実施していた。その他、旅館ホテル等民間施設の庭園設計は、戦前からの作庭家が個人的な立場で設計の分野を担ってきた。 1950年6月「ガーデン協会創立」、1954年(社)日本造園学会がIFLA正会員に、1955年日本住宅公団創立、1956年日本道路公団設立と組織・団体・制度の基盤が整い、神武景気のまえぶれ状況を呈しつつあった。 そんな中1957年6月、北村信正は、池原健一郎を誘い「遊び場の研究会」発足を呼び掛けた。この会には小川信子、石川岩雄、川本昭雄、伊藤邦衛、田畑貞寿らがいた。 この研究会は、会の成果ともいえる入谷南公園落成を機に活動に終止符を打った。 しかし、この活動の流れは1957年にスタートした「造園懇話会」に引き継がれた。(ランドスケープデザイン第2号~6号に連載、設景の思想、小林治人参照)。 1958年8月には、伊藤邦衛、池原謙一郎、石川岩雄、清水友雄、田畑貞寿、中島健らが「庭のデザイナー6人展」を銀座村松画廊で開催している。この催しは戦後我が国における最初の造園設計作品展となった。 6人展の案内状 さらに、我が国最初の「世界デザイン会議」が東京産経会館にて、1960年5月に開催された。造園関係者としては佐藤昌、中島健、池原謙一郎、田畑貞寿、前野淳一郎、三好勝彦らが本会議に出席し、第4部で池原謙一郎が霞友会館造園、入谷南公園等発表をしている。 このような斯界を取り巻く状況の中で、1964年5月第9回IFLA日本大会が佐藤昌イフラ日本大会実行委員会会長のもと、「人間生活における造園」をテーマに開催された。その成果が横山光雄編集主筆を中心に坂田道夫、前野淳一郎、田中正大、池原謙一郎、田畑貞寿らの編集協力によって「日本の造園」としてまとめられた。 第9回イフラ日本大会報告書 造園設計事務所連合発足 このIFLA世界大会開催に先駆けて、1964年3月池原謙一郎、伊藤邦衛、林茂也の3名が連絡幹事となって、造園設計事務所連合の設立を働き掛け、荒木芳邦、飯田十基、井上卓之、小形研三、小林治人、島田昭治、関田次男、田辺員人、中島健、中村善一、西川友孝、吉村巌が集まって英文併記の名簿を発行して、5月のIFLA世界大会参加者に配布した。IFLA大会後、連合仲間の造園設計職能確立に向けての機運は高まり、神田駿河台全電通会館2階に仮事務局(1994・6~1967・10)を置き良く集い、良く語り合った。 1964年には上野泰、岡田蔵司、小林治人、沼達賢一、高木浩志、笛木担らが「造園セミナー」の名のもとに、1950年代末~1960年代にかけて活躍した山手国弘主宰のイオ集団からシビルビジョン、生活装置等の視点から造園を考え、造園職能が多様・多層で有機性を持った対象であべきであることを学んだ。 1964年12月20日渋谷東急会館ロゴスキーに23名の仲間が造園設計者個人として造園作品を持って集い「第一回造園設計者の会」を開催した。 この時、いままで住宅庭園を主として活動していた飯田十基、小形研三、吉村巌、らの世代と、新しく芽生えつつある公共造園設計に挑戦しようとする世代が交流した画期的な場面となった。 同じ年の12月30日には、新宿三丁目・三姉妹に、伊藤、池原、川本、塩田、前野、三好が集い、「16日会」をサロン的に実施することを確認。1965年5月6日、神楽坂の日本住宅公団富士見分室において池原、川本、前島、三好を中心に開催された。 16日会のメモの一部 この会は参加メンバーの高齢化などにより、1975年を最後に自然解消した、しかし、そこで語られた内容は、公園緑地整備事業拡大の曙を前にして、造園設計の職能、造園ジャーナルの確立、造園夏期大学の開催(当初日本造園学会主催、現在:日本造園修景協会主催)、関東造園人の集い(現在:造園人賀詞交換会)、造園家個人の会(造園家協会か、ランドスケープ連盟か、造園技術者協会かなど激論)造園教育、資格問題の企画検討など、次々に斬新な意見が交換された。 設計界としては組織体制を固めるために、1966年12月18日銀座スエヒロに13名が集い連合組織化に向けての打ち合わせが行われた。 小坂スケッチ 1967年8月8日の暑い日、池原、伊藤、小形、小林の4名が平河町の都市計画協会常務理事・佐藤昌を訪ね、会長就任を懇願し内諾をえて、全国的な活動が開始された。 佐藤新会長のもと、会の名称を「日本造園設計事務所連合」と改め役員人事が行われた。 会長:佐藤昌、専務理事:小形研三、理事:荒木芳邦、伊藤邦衛、池原謙一郎、中島健、平井昌信、監事:小坂立夫、水野衛、事務局長:小林治人であった。 この体制で1967年9月23日には平河町都市センターにおいて官・学・民の各界代表120名が集まりにぎやかな披露パーテイを開催した。 披露パーテイにおける建設大臣挨拶 この時代は、都市環境への緑の導入手法に関すること、自然環境における保護・保全に関する調査・計画等従来の設計ではあまり前例のない仕事に、設計者たちは公園緑地事業が本格化していく動きを具体的な形で体感した。 それは、東京オリンピック時、選手村であった代々木公園の設計コンペ(1964年)、国営武蔵丘陵森林公園設計コンペ(1968年)、大泉緑地コンペ(1968年)1970年大阪千里丘陵で開催される大阪万国博覧会会場設計への参加など、重要な設計の腕試しの機会が続いた。 この頃には、日本住宅公団による団地の造園設計、日本道路公団による高速道路造園・調査・設計委託などが継続的に発注されるようになり、こうした動きに呼応して設計界も急速に拡大の道を歩み始めた。 公園緑地整備事業の拡大 1972年には、第一次都市公園等整備五ケ年計画が策定され、1976年までに9000億円が組み込まれた。都市局唯一の直轄事業である国営公園の整備促進と、これらの動きに呼応して、補助事業として公園緑地整備事業予算が地方自治体に及び、公園設計活動が全国的なスケールで展開するようになった。 倍増ペースで伸びる公園緑地事業の現場で設計者も急増した。さらに公園緑地が地域・都市の基盤的社会資本であることが認識され、公園緑地を系統的にネットワークする「緑のマスタープラン」策定が実施されるようになった。 緑のマスタープランが実施されるようになって、広域的な緑地論が展開され、公園緑地系統として、既存の公園緑地の位置づけも含めて線・帯状の整備と緑の質が意識された。河川道路などの敷地も緑の政策に加味され、面的な公園緑地整備が地域・都市基盤であるとして実現していく姿である。 国際化と職能意識改革 国内的に次々と新しい施策が施行されていく途上において、国際化も並行して進み、国際交流を通じ、職能の意識改革が求められる時代が始まっていた。 大阪万博(1970年)を皮切りに、沖縄海洋博覧会(1975年)が開催された。この二つの博覧会の会場建設には多くの連合のメンバーが現地で会場設計管理を担当した。 この時代は設計界も組織化が進み、連合のメンバーも急増していた。連合以外でも造園界では、拡大する公園緑地事業の推進に対応した専門分野の組織化が続き、公園緑地事業の拡大期は、造園界全体が組織化を進めた時代でもあった。 1976年5月には連合発足10周年記念事業を国立京都国際会館で開催した。 1979年には会員数も100社を超え1967年10月からの原宿事務局体制強化を進めた。元川崎市環境保全局次長笠原博事務局長を迎え1980年からご指導いただいたが1983年12月急逝された。誠に残念な出来事であった。1984年3月建設省より、岩田正喜事務局長をご推挙いただき、事務局も原宿から平河町へと移転した。 1980年4月には連合の公益法人化を目指して名称を「日本造園コンサルタント協会」と改め法人化に向けた準備を進め、1985年4月1日付建設大臣の認可をいただき法人化が実現した。同年4月25日には赤坂プリンスホテルにおいて法人化披露パーテイを開催し。塩島大衆議院議員、木部佳昭建設大臣、大塩洋一郎住宅・都市整備公団総裁、豊蔵一建設相官房長らが出席されて盛大であった。 また、つくば科学博覧会(1985年)では、大阪、沖縄の経験から緑関係の予算は会場建設費の中で独立させた。横浜国際博覧会(1989年)にもこの手法は応用され、建築主導の予算配分が改善された。つくば科学博覧会の開催を契機に、建設省と大阪市では、大阪花の博覧会の1990年開催を準備していた。その実現に向けて、「{社}日本造園コンサルタント協会」として作業チームを編成して構想案を作成して協力した。博覧会開催決定後は多くの協会会員が会場設計に従事して腕を振るった。 紀元2000年には、淡路島でジヤパンフローラ2000が開催されたが、この会場設計でも協会会員が活躍している。 このような国際的な催しが盛んになる以前、1983年から建設省の提唱で「全国都市緑化フェアー」が毎年全国持ち回りで開催されるようになっていた、これは、緑の国体にたとえられているが、この計画設計には、財団法人都市緑化基金のもとで、設計者達が腕を振るっていた。 1960年代から1980年代までの成長期を経て、各種の国際会議が開催された。特に1985年IFLA世界大会を再び日本(東京、神戸)で開催することになった。この大会時には、つくば科学博覧会開催中ということもあり日本の設計力を世界に示す良い機会であった。 1985・5・27イフラ日本大会開会式で歓迎挨拶する佐藤昌会長 高度経済成長の余波が続く1990年代前半は、世界各国のIFLA世界大会などへの積極的な参加が続けられ、日本の設計職能が広く世界の仲間に認知された時代でもあった。 このような状況の中で1990年女性造園家の会、1993年日本都市計画家協会、1995年7月日本デザイン機構、1995年7月IFLAジャパン、1995年9月日本ランドスケープフォーラム、等多くのグループがテーマを持って集まり活動を開始している。 しかし、1990年代後半は急速に設計対象となる事業が激減し設計者の苦難の時代が始まろうとしていた。 1996年6月社団法人日本造園コンサルタント協会」も名称を「社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会」へと名前を改称し今日に至っている。 2000年にはIFLAアジア地区大会が淡路島で開催されたが、アジア地区だけでなく、ランドスケープアライアンスメンバーである。アメリカ、イギリス、カナダ、ドイツ、オーストラリア等の要人も参加した。 職能業態の私的展望 設計者と職能の軌跡について、手元の資料と自らの体験記録をもとに20世紀後半について述べてきた。2000年以降の国立公園、景観・緑三法、指定管理者制度、3.11を受けて国土強靭化などと職能に関連する課題は多いが別の機会に譲るとして、私的な立場から、今後の職能について考えてみたい。 自らの半世紀に渡る設計者としての軌跡を振り返ったとき、20世紀と大きく異なる現象は、現代は電脳時代であることである。電脳時代の今は造園設計にかかわる情報も瞬時にして広く世界に普遍化し、造園設計が一つの専門に特定されない専門性を持つようになり、種々の専門の関係性の中に存在する総合性が求められる職能と化していることである。 今、設計界は、日本の「原風景」を構成する地域固有の自然・風土・歴史に根差した文化の生命性を捉える、生き物の技術が基軸であることを踏まえ、地域の生命系を根底に置きながら農業と工業、農村と都市など地域社会との問題を考えながら、自然・生命・人間のシステムを中心にすえて、諸科学の横断的な中で設計していく全的、生態学的発展と共振していく職能であることを前提に、将来を展望し挑戦する設計者の出現が期待できる時代になった。 なぜか?現在日本の設計者は世界の中で活躍できる資質と経験を積んだ者が多くなったことである。さらに国内的にも国土運営の中で基軸的職能として期待されている。 この期待に応えるためにCLAは時代のニーズに呼応できる柔軟な運営を実施して、内外に領域を拡大できる状況にある。今は具体的に東日本被災地で2020年ころを目途に国際震災復興博覧会開催を内外の関連団体に働き掛けて、新しいタイプの国際博覧会開催を提言していくことではないか、そこから21世紀に向けての骨太の展望が俯瞰できると確信する。 参考文献 ①財団法人世界デザイン会議日本運営会(1960)世界デザイン会議報・第6・7号 ②第9回IFLA日本大会実行委員会(1964)「日本の造園」 ③小林治人(1982)都市計画協会報 「(社)日本造園コンサルタント協会について」 ④(1985)「法人化披露パーテイー」日本造園タイムス第131号 ⑤小林治人(1995)「設景」その発想と展開 マルモ出版 ⑥(1995)「法人化10周年を祝う」ビジョンを策定環境緑化新聞第297号 ⑦小林治人(2006)「造園設計家の群像と職能」(一社)日本公園緑地協会機関誌「公園緑地」VOL 67・4号34~36P
by harutokobayashi
| 2013-09-30 09:25
| 職能論
|
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