設景の力
「設景家の立場と役割」
公園緑地を論ずるときの設景とは何か?
この場合の設景とは、公園緑地を利用する一般の生活者がもっとも求めているものを、設景プロセスの中で、生活者とのコミュニケーションを密に図りながら、ひとつの道筋を示すことである。この道筋を示す時、設景が一番いいと思うもの、最高といえるものを人々に提供することである。その行為は最高に謙虚なことである。
この気持ちを持ち続けることのできる設景家は、どこに行っても、文化人としての地位を維持することができる。
他方,設景家の仕事にはビジネスが伴う。ビジネスの側面から社会資本整備事業としての公園緑地設景を見ると設景家の選択について公平性が求められ、基本的には設景という知的サービス業務が物品取引と同じ、入札制度によって設景家を決定することが普通とされるようになった。一見平等に見えるこの制度は、事業を方向付ける哲学、理念が明示されぬまま、入札金額の少なさで評価することが多く、肝心の成果物の内容評価も、図面の枚数、説明書の厚さなどに中心がおかれやすく、時として事務手続き評価などが強すぎて、提示された課題への適切な方向付け、内容の質、設景の習熟度、などについては十分理解が行われぬまま、結果として作品の貧弱化を招き、多様な公園緑地利用者の要望も、偏在的な管理者論理、一部声の大きな利用者論理に振り回され、好ましい姿で公園緑地竣工に反映させることができないのではないかと懸念される場面もある。
このような気持ちを持ちながら、現在の入札制度の下で設景の課題を処理しなければならない。公園緑地を利用する顧客が求めているものがわかっていても、現場に結びつかない場面も発生することとなる。
生活者を豊かにする公園緑地の内容は、公園として必要不可欠な条件を満たした上で、さらに文化としてのブランド力を付加させる内容でなければならないが、そのためには知的サービス業への正当な評価と、習熟度の高い設景家を選定する仕組み造りが必要である。
われわれは、国内では設計業者として扱われるが、一歩西欧に出ると扱われ方が異なることは多くの仲間の経験するところである。西欧の中でもドイツ、フランスなどではデザイナーはトップレベルの扱いである。それは、イギリスのアーツ・&・クラフツ運動、フランスのアールヌーボー、ドイツのバウハウス運動などがデザイン時代を作ってきたからだという。
設景家は、公園緑地を後ろから支え、時に先頭に立って引っ張ってゆく気概を持たなければと思う。そのために設景家は、人を知る専門家として、エコロジカルに人間の習性を学び、全ての視座を専門的にあまり掘り下げる必要はないにせよ、文化人類学的、社会学的、哲学的、宗教的に人間を心得て、多用な生き物の技術を人々の知恵と融合化、総合化して、公園緑地として空間化する現代の石立僧であるべきではないだろうか・・・。
人と生活環境とのかかわりの原点を良く見、経済・科学一辺倒で見ようとする社会の動きを抑制し、生き物と人の心の交わりが薄れすぎないよう交わりの場面を多くし、生き物の技術を基盤に進める公園緑地事業が、生き物の世界を科学しながら、生き物への畏敬の念、木々の緑や草花に囲まれてすごすことへの感謝、の念を抱かせるような雰囲気を醸成する内容を、公園緑地の「情報デザインとして」大切にする時代になったとも言えよう。
公園緑地における「情報デザイン」は、サイン・標識・看板に代表されるような視覚的に認知される情報と、各種のアナウンスに代表される不可視情報が考ある。
必要不可欠な基本情報を、効率よく伝えるため、施設を美しく設置し、過剰設置を避け、おせっかいにならないようにするためには、公園緑地情報情報の価値をしっかり評価し、強調すべき情報とそうでないものとの関係を整理して象徴化し、空間化することが情報デザインの基本である。さらに言えば、問題解決の早道は、専門の設景家に任せることである。
これから、日本の国土を美しく磨き上げていく専門家としての設景家は、前記したような、過剰なものを公的空間からマイナスすることによって、日本的な文化性を高めることが可能となることをもっと社会に認知させる活動をすべきである。
新たにモノを造る時、情報デザインをしっかり行って、設景の力で機能的で美しい景観創造に導かねばならない。そのためには諸施設を新設する前に、醜景をマイナスすることが重要である。
この考えを実施するに当っては、「設景の力」を社会に理解させるために、景観構成要素となる各種の施設デザインレベルを高めること、設景の力を信じ、設景こそが問題解決に役立つという認識を高めることが必要である。
[PR]
by harutokobayashi | 2006-08-21 16:43 | 設景の思想
<< 水と緑のネットワーク 余暇関連産業の傾向 >>