岡倉天心&河鍋暁斎
天心&暁斎曾孫対談
2007年6月9日(土曜日)
朝、10時40分頃自宅を出て中央高速道経由妙高高原の妙高ホテルへ、
午後2時15分到着、オフシーズンの道はすいていて早かった。5月3日
松本市のアルプス公園に行くのに6時間かかった時のことを思うと嘘のよう。
久しぶりの妙高は小雨、ホテルに荷物を置いて岡倉天心(1862~1913)終焉の地、赤倉六角堂と天心山荘(1907)へ、六角堂に隣接した蓮華ツツジが見ごろで美しい。  
私は10年近く前、天心とフェノロサがかつて描いた夢、バルビゾン村構想の発想を受けた新潟県が、地域振興策の一環として頚南地域のバルビゾン計画策定に着手しており、そのお手伝いで訪問して以来の事である。緑濃い高原のたたずまいの中で、51歳でこの地で波乱に満ちた人生を閉じた天心は何を思ったことだろう。
明日は天心の祖孫・岡倉登志(たかし)(1945~)大東文化大学教授と、天心とフェノロサが東京美術学校創立に際し、最初の教授として着任を要請していた(1888)が開校(1889)の前に胃がんで他界した河鍋狂齋 後に暁斎(きょうさい)(1831~1889)の祖孫・河鍋楠美(くすみ)医学博士、財団法人河鍋暁斎記念館理事長・館長、蕨眼科医院院長の対談を、私の友人、美谷島健氏が企画し、森山明子武蔵野美術大学教授の司会で行われる。
夜は地元の協力者を交え、講師の先生方とともに歓談する席にも出席させていただいた。
天心と暁斎が時を越えて祖孫同士の形で始めてお会いしたとのお話、日本の文化活動史に残る出来事といえる。さすが美谷島さんの企画だ!
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by harutokobayashi | 2007-06-16 11:07
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