「大前研一さんと小形研三さん」
仲間の設景家、堀越千里君が文芸春秋85巻第11号(2007年9月)272~273ページに小形研三さんのことが出ていましたとのこと、さっそく拝見したところ、大前研一さん(経営コンサルタント、元東京都知事選立候補者)の「ノモンハンの異常体験が父を変えた」と題する記事があった。 お父さんの異常体験の一つが厳しい気象、零下40度の寒さに耐えるため酒を飲むことを憶えた。もう一つが、ノモンハンでの戦闘であった。戦闘について語らないお父さんが1度だけ、ロシア人との戦闘の詳細を話されたそうである。圧倒的な不利のなか塹壕で怯え、生死を分けるのは運だけ。ロシア軍に忍び寄りゲリラ戦を仕掛ける。 このような過酷な戦場で小形研三さんとお父さんが同じ塹壕の仲で過ごした戦友であったことが述べられていた。以下一部を引用する。 「戦場が過酷であっただけに戦友との絆は固く、ノモンハン会には毎年必ず出席していた。私の「研一」という名前も、〃塹壕にいた戦友の小形研三さんから一字もらったものだ。 小形さんは帰国後造園家となり、我が家の庭もお願いした。後に、私がガレージを広げるために庭の一部を潰したら、親父は滅茶苦茶に怒った。後にも先にもあんなに叱られたことはない。庭そのものが、戦友の形見だったのだろう。悪いことをした。」 小形さんと私は、1964年から日本造園設計事務所連合活動などを通じてご一緒させていただく機会が多かった。札幌の都市緑化フェアーの帰り〃飛行機で帰る途上、「私は青春時代の勉強すべき時に戦地にいて勉強できなかった。だから今でもこうして図鑑を見て植物を覚え今の若い人に負けないように頑張っている。とおっしゃったことが思い起こされる。 協会理事会などの後も、時間がほしいと二次会などの会費を私に託して先に帰られることが多かった。小形さんはお酒を召し上がらないと皆仲間は思っていたようだ。 沖縄海洋博覧会の時、名護のホテルに一人泊まられ、ホテル前の大きなガジュマルを眺め、久しぶりに一人じっくりと飲みました。うまかったと、つぶやかれた事など思い起こされる。
by harutokobayashi
| 2007-09-18 11:04
|
カテゴリ
全体 東日本に花を咲かせ隊 記録・含震災関連 公園管理運営士会 設景の思想 国際交流 庭園作品 ベルゲン作庭日記 花の景 都市の景 職能論 光の景 樹木の景 池原謙一郎 野の鳥・生き物等 海の景 グーグルでたどる設景活動碌 未分類 以前の記事
2018年 11月 2015年 12月 2014年 11月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 04月 2010年 01月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 06月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 01月 関連リンク
ライフログ
最新のトラックバック
検索
お気に入りブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||