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公益法人
「造園修景家組織の理念を問う時」
㈱東京ランドスケープ研究所代表取締役社長小林治人
はじめに
(㈶日本造園修景協会(以下協会と略す)設立30周年にあたり、私の手元にある協会設立当時の資料から、協会設立の哲学・理念を再考した時、日本の造園修景家個々の私的感心・意志を越えてみんなで大同団結して助け合い、社会に貢献することによって、どのようにしてみんなで幸せに生きるかを考え、行動を起こそうとした考え方は、ルソーが「社会契約論」の中で説いている一般意志に該当する。組織を作り職能全体を前に進めようとする、この一般意志を原動力にしようとしたところにあった。
協会設立の芽生え
最初に、法人格を持った協会設立までの記録を見ると、10年有余の歳月が費やされている。昭和46年12月、佐藤昌博士の提唱を受け、前島康彦博士が起草した日本ランドスケープ協会(連盟)設立趣意書がある。ここでは、日本経済の高度成長に伴って、懸念される生活環境の悪化を防ぐために専門の知識を持つ人々が集い、常に知識の交換と、内外技術の交流を図り、総合的推進力を発揮して公共に対する強固な協力体制を常に持続させるために協会設立を決意した旨が述べられている。
さらに昭和47年10月21日、佐藤昌博士の呼びかけで、木村尚文、石神甲子郎、佐藤昌、森脇竜雄、木村秀雄、田丸実、横山光雄、黒澤昇太郎、星忠次郎、北村信正、小形研三、前島康彦、池ノ上容、池原謙一郎、小林治人、金子九郎、梼木理、楫西貞雄、鈴木光三、山内六郎、田治六郎、加藤五郎、長松太郎、藤村正武(順不同)らによって第一回日本造園技術協会設立発起人会が平河町南甫園にて開催され、設立代表者選出、法人設立趣意書、法人定款、法人設立申請書、が議論決定されたが、その後、建設省との事務レベル折衝の結果、当時新規の法人は認めないとの方針が強く示されていた。
その後設立発起人会から4年が経過していることもありほっておけないと、昭和51年7月、当面任意団体として活動することとなった。この年から数えて今年で満30周年である。
この任意団体で検討の結果、休眠状態にあった(財)日本ガーデン協会(昭和25年6月16日設立)の設立理念と残余財産を引き継ぐことで建設省当局の内諾が得られた。急遽前記発起人会メンバーなどが中心となって、財団の理事会を復活させ財団の引継ぎを決議し財団は解散した。
このような経緯をへて昭和58年8月12日めでたく財団法人造園修景協会が発足した。協会名については現在の名称になるまでには紆余曲折があったが,日本ランドスケープ協会(Japan Landscape Association)の提案もあり、国際的にはこの名称が良いということで、英訳を略称とし金色の銀杏の葉にJLAをあしらったバッジも作成されたが、今日着用している会員の姿を見ることができない現状である。
協会の理念
北村徳太郎公園緑地論集(762~763ページ)には、当協会の前身である「日本ガーデン協会設立趣意書」が掲載されている。ここでは職能を修景造園として表現し、造園修景家を景園技術者とも表現している。
その結びには次のように記されている。「前文略・・・・今回同志のもの、斯界に堪能な人々が相集って、日本ガーデン協会を設立し、会館を建設いたしました。ここを本部として地方ごとに支部を設け、前述の趣旨達成のために、逐次適宜の施策を講じたく存じます。おおよそ斯界に感心をもたれる方々は、ふるって、ご入会され修景造園及び観光事業のために寄与されるよう切望される次第です。」と呼びかけている。
また、北村徳太郎博士は、昭和26年の雑誌ガーデン創刊号に、日本ガーデン協会の構想と題した一文を寄られている。「景園事業を志す人々よ、まず集まろうじゃないか、しかして、わが自我をもって、他を悟らしめようじゃないか、手を分けクサを分け津々浦々の、市町村にまで、実行機関たるわが日本ガーデン協会支部を設立させようじゃないか、田園は、まさに荒れつつあり、景園技術者の奉仕を待っている。みずからスコップを持って、学校に病院に工場に住宅に木を植えさせようじゃないか。」と訴えている。
この理念を拡大発展させるため、「造園修景人の責務と課題」と題して。佐藤昌博士は、欧米の自然観とわが国のそれとを比較した上で、「緑認識時代」の位置づけをされ、造園修景家の団結と研究開発、分野の啓蒙宣伝の重要性に鑑み、官、学、民全てが一体になって、私利・私心を捨てて、研究し、施策を練り、豊かな国土造りに先頭を切って活動する協会像を示され会員の一般意志の元、同位同等の思想を主張されている。
そこには、まだ社会基盤の弱い斯界を憂い、公共性の実現を前提として、事業規模が小さく、複雑多様な造園修景界に広く知られた行動指針を学際的・実践的に展開することによって、斯界全体の社会的地位を向上させよとした強烈な職能への思い入れ、愛が感じられ、まさに滅私奉公的情熱が感じられる。
これら先達の呼びかけからは、「私」、「公共(人々・民)」、「公(政府・国家)」の3元論の中で「公」が最優先された時代の行動指針が時代背景として感じられる。
他方現代では、戦後の経済成長により新国家主義ともいえる現象が芽生え、滅私奉公から滅公奉私、エンパワーメントとしてのNPO・NGOなど公共民組織が注目される社会へと大きく変換し、地球環境問題も含め過去の時間的公共性の価値観・組織論では対応しきれない社会状況下に置かれるようになった。
このような時代、空間的な視座から公共性を追求する場面が多い造園修景のあり方、特に公共空間としての公園緑地・オープンスペースの理念は、過去、現代、将来と時間的公共性を意識しながら公共的環境・景観・美学の追求を深め、職能としての品位・礼節を重んじながら、新たな職能哲学・理念を大黒柱とした職能組織へと協会を変身させなければならないことを暗示しているように見える。

協会今後の展開
21世紀になり、日本もキャッチアップの時代から先端国としての見識を持ち、国境を越えて職能の規範を、地球域的に示すことが求められていることも意識すべきである。
産業的に現代の造園修景界全体を俯瞰した時、協会発足当時に比し関連類似組織が乱立ともいえる状況を呈しているが、このことは斯界が多面的に成長し、成熟しつつあるという証でもあると私は考えている。しかし、現状では市場的原理の優越性を保持するにははなはだ脆弱すぎ、組織の共倒れ現象と言わないまでも発展性は弱いといわざるを得ない。
これらの状況を打開するためには、造園修景各界に所属する個人の大同団結によって構成されるわが協会は、同業者組織・団体とは当然異なる機能・役割を求められるのであり、将来に向けて個々の組織構成員が同位同等の思想の元、新マネージメントシステム構築を図るのは、わが協会をおいてほかに無い。幸いなことに、わが協会は、支部活動が非常に活発であり、今後の地域活動を相互に強くサポートすることによって、多様化した関連組織の中において独自性を発揮して、造園修景界全体の市場安定・拡大確保さらには吸引力を強めることが出来ると確信している。 
北村徳太郎博士の、自らスコップを持って木を植えようの理念と、ご高齢にめげず緑の文化探求に励まれた佐藤昌博士を筆頭にした多くの先達のご意志を受継いだ協会は、単に緑の文化人・知識人の集まりではなく行動人の集まりであることを再確認したい。
この30周年を契機として、今後の協会の展開は、改めて造園修景家の職能と組織理念を問いなおし、それを関係者一同の共通認識となし、明日の幸せに結びつく協会活動の具体的方向を示すことが急務となった協会30周年である。

2007年7月1日
by harutokobayashi | 2007-09-18 17:25 | 設景の思想
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