万国博覧会
上海博覧会への期待
はじめに
2010年、中国はもとよりアジア諸国待望の万国博覧会が上海で開催されるにあたり、その準備に携わる関係者の多忙さは大変なものがあると推察します。
私は、1970年の大阪万国博覧会の会場設景を最初として、1975年沖縄海洋博覧会、1985年つくば科学博覧会、1989年横浜万国博覧会、1990年大阪万国花博覧会、1999年昆明世界園芸博覧会、2000年万国淡路花博覧会などの会場設景に「設景家」として参加してきました。これらの経験から万国博覧会の準備が如何に大変であるかを十分認識している者の一人です。
21世紀地球環境問題が最重要視される国際社会の中で、上海博覧会への期待と大成功への願いをこめて、万国博覧会の歴史を顧みながら上海博覧会における設景家の役割を考えてみたい。
博覧会の芽生え
今ではわれわれにすっかり身近になった各種の博覧会は、大航海時代に端を発しているといわれます。 1522年マジェランによる世界一周などなど1490年前後から1520年頃の30年余りで世界の様相を一変させるような大航海の時代が続きました。ランドスケープという画家のテクニカルタームが使われだした頃とほぼ一致します。
西欧諸国は、この大航海の時代を持続し、盛んにしながら、キリスト教の普及を進め植民地を拡大させ、ヨーロッパの富のために資源の搾取を効率化させて、世界の各地を植民地化することに邁進する時代でもありました。
16世紀中頃から、ヨーロッパの王侯貴族は、拡大された植民地における珍しい動植物の収集に精を出すようになり、動植物園など、標本陳列施設を建設しました。これらの施設は、珍しい異国の動植物を眺めることが中心で、味、匂い、肌触りなどは無視されていました。現代においては大問題になる「人間の博物学」の発達があり、アフリカ原住民など人間の分類、序列化さえ行われました。
このように現代において想像できないような発想がまかり通っていたわけです。しかし、人々の好奇心を満たすものとしての陳列施設は歓迎されました。
さらに18世紀から19世紀にかけてキュー植物園、パリ王立植物園などが一般公開されました。このような流れが各種の標本の展示、動物の展示など18世紀を通じて博物学的な分類システムを普及・発達させました。
大航海の時代から、博物学の時代へ、そして博物館や動植物園の体系化と公開化の進展がやがて万国博覧会の時代へと移行していくための前提となっていきました。
万国博覧会へ
万国博覧会の時代は、このような歴史の過程を得てヨーロッパ諸国家が、この博物学的な眼差しの場を、新しい資本主義のイデオロギー装置として国家的に演出していこうとするようになったときに出現したといえます。
万国博覧会は、博物館や動植物園などにおいて、これらを眺め鑑賞することに重点が置かれていましたが、産業テクノロジーの発展を機軸として壮大なスペクタクル形式のものへと進化しました。この先鞭をつけたのはフランスでした。
1798年の革命祭を引き継いで、産業博覧会が繰り返し開催されるようになり、この動きがヨーロッパ各地に広がりました。
これらの動きの集大成として、1851年ロンドンで史上初めての万国博覧会が開催されることとなりました。これ以後開催された博覧会の特徴を整理すると、
第一、産業のデイスプレイであると共に「帝国」のデイスプレイでありました。
第二、19世紀の大衆が、近代商品世界を知る機会でもありました。
商品世界のデイスプレイ戦略がデパートのショウウインドウの中で拡大していくきっかけともなったといえます。
1930年代以降は、巨大な広告展示場として、大企業のイメージ戦略の一環をになうようになっていきました。住宅展示ほか生活関連商品など多彩な展示がされるようになりました。
第三、これらの他に,見世物師達を演出に組み込んで、見世物の博覧会の側
面も持つようになりました。
万国博覧会の最初は1851年ロンドン博覧会でした。
1851年5月から10月まで141日間、入場者数604万人、日最大10月7日には、11万人、平均43000人の賑わいがあったといいます。しかし、参加国は34カ国でした。
この博覧会の最大の目玉は、サー ジョーゼズ パクストン設計の水晶宮でしたが、彼は、チェズイック園芸協会の園芸家であり、1826年以降、いくつかの温室を建設し成功させていました。これらの近代温室の起源は、16世紀の大航海とともに始まったものでした。
もともとロイヤルガーデンであったハイドパークにおいて博覧会を開催することについては、ロンドン市民の反対がありました、これは、せっかくの公園の樹木を伐採してまで博覧会を開催することはないというもので、この点については、パクストンの案は、既存の3本の大きなニレの木を屋内に取り込むということで解決したもので、当時としては人々の意表をつく発想で、この樹木そのものが人気の展示物となったのでした。
20世紀ともなると、消費文化の成長とともに、消費文化の広告塔的役割が強くなり、近代の商品世界とのふれあいの場としての機能が強くなりました。
しかし現在この面の機能は、デパート文化に引き継がれ、日常化した空間となりました。さらに、巨大映像の導入など大衆娯楽としての側面も強くなりました。さらに今日では,豊富な情報を駆使したTV・ハイビジョンなどの進歩と、かつての博覧会の感動空間が、お茶の間で常時見ることができるようになり、単なる映像中心の博覧会などでは、人々は特別の興味をいだかなくなりました。
上海博覧会に望む
現在の上海は、多様なデザインの近代ビルが林立し、建築デザイン博覧会の様相を呈しています。上海博覧会は、上海という都市全体が万国博覧会の会場であるといえます。急速に近代化が進んだ上海はそれゆえの問題、大気汚染、ヒートアイランド化、水の汚染、地盤沈下、などと共に人々の生活から発生する騒音、エネルギー不足、など環境問題への影響が懸念されています。この現状を踏まえ、中国5千年の歴史に学んだ解決策が示されるような万国博覧会であってほしいと思うものです。反面世界一の人口大国に生活する現代文明と距離のある人々にも理解され支持される内容が求められます。
その意味では今世紀最も人類的関心の高い環境問題解決への貢献の方法を分かりやすく人々に示し、体験できる仕組みが最重要であり、その糸口が示されるような博覧会になれば、21世紀環境面で世界を凌駕する近代文化国家・中国の未来へ光りを与えると考えるものです。
設景の対象領域はこの考えに基づいて、大地、大気、水、言い換えれば陸・海・空の対象に対峙して、大地の砂漠化防止、工場排水家庭排水による河川・海洋汚染の防止、工場排煙などによる大気汚染防止など身近な問題解決のために何をすべきかを、美しくて楽しい会場設景によって演出していくことを希望する次第です。そのために、万国の設景力を集結すべきでしょう。
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by harutokobayashi | 2007-10-25 12:57 | 設景の思想
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