設景について
「設景の見方・考え方」        
はじめに
最近造園文化の一端を担う人々とお逢いするたびに、嘆きの表情が伺われおおいに気になる。社会の変革の中で翻弄される仲間の様子が本紙の新年あいさつ文からも読み取れる。
確かに格差社会といわれる現象の中で、わが造園産業界の人々の嘆きにはうなづけないでもないが、こんな時こそ歴史的社会変革の中で造園活動を通じて国家・社会・人々のために貢献された先達の考え方、知恵に学びながら現代を見据え、めいめいがその場の思いつき的発想・私利私欲だけで斯界の将来像を論ずるのではなく、日々変革する社会の現象こそがあたりまえであり、この現象に臨機応変の処置をとることができるる組織・団体・個人によって、有利な状況を作り上げていく発想に自らを変えていく、自分が変われば今まで厳しいと考えていた状況も変わって受け止められる。
その結果明るく日々を過ごすことは、決して単なる空元気ではなく自らを日々改良し、向上させるための大前提となると考える。このような考えから江戸時代の末期に学業を修め、26歳で明治維新に遭遇した経験を踏まえ、わが国造園文化を庇護した小沢圭次郎の足跡・考えかたなど参考にしながら私流に現代造園を読み解くことが出来ればと考える次第である。
「設景」について
「設景の見方・考え方」と題して連載するに当り、「設景」について述べておきたい。
「設景」は、小沢圭次郎(1842~1932、桑名藩士族で、桑名藩医官小沢長庵の次男として生まれ、明治維新を迎えるまでの26年間は、医学、漢学、蘭学、英学、そして詩学などの学習に明け暮れた当代一級の知識人であった。)がデザインの訳語として用いた用語である。私がこの用語に出会ったのは、「都市公園」NO:28、1961年6月号18ページ、恩師上原敬二先生の「日比谷公園設計の批判について」に触れたことに端を発しているといえる。
 「大正14年11月2日、庭園好きの有志が小沢圭次郎氏を招いて1夕の会合を催した。
席上例によって同氏の設景、設計の二つの文字についての差異について啓蒙的な熱論を拝聴した。その時、矢野次郎(1845~1906明治時代を代表する教育家)ほどの学者でもこの二語を誤用しているとの話から、小沢氏が日比谷公園の設計委嘱を受けたときの昔話が出た。以下略・・・。」 それは矢野次郎翁が病床で記した公園設計物語1~6編に対し、小沢が卑見を開陳すると称して以下のように意見を述べているものである。
「先ず第一に公園設計物語という題目を掲げて其語るところは設景と設計との区別も立たねばいと便なきことぞと思いける。設計は目論見または算段の事なれば、いやしくも市制当局者に非るよりは妄りに市内公園の設計につき容啄すべき限りに非らず。而して設景は庭作の趣向又は工夫なれば、たとへば平庭が好しとか、山水造が宣しとか或いは枯山水にせよとか、或いは野筋を拡張して平庭を主とせよとか、或いは鑓水を自在に放流して静淑を旨とせよとか、人心不同如其面的の品評を勝手次第に論断するも、敢えて妨げなかるべし」(原文)と論じている。言い換えれば「設景」は、人間を取り巻く環境全体を考え、求心性を持って人間にアプローチする人と環境の追及に対し、「設計」は逆で、個の人間を守る空間・家をいかに造るかに力点が置かれ、その家々が外の環境に影響していく、離心性を持ったアプローチであるといえる。この二つのアプローチの違いを意識しながら現代の国土・地域・都市環境を「設景」の視座で読み解くことに挑戦してみたい。
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by harutokobayashi | 2008-02-01 15:15 | 設景の思想
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