公共空間の美学

ガーデン化する街並み
 一般的には、お洒落で居心地のいい住宅地で暮らしたいと思うのが普通の人にとって自然な願望である。
日本の各地には、戦前戦後を通じて持続されてきたお洒落な住宅地があったが、相続税などの関係で宅地が細分化されかつての面影が薄れた。
 そんな中で、最近東京などの郊外に新しく開発された住宅地は、設景の力が発揮されて、お洒落な街並みを創出しているケースも散見できる、街並み設景への関心が高まり、従来の所有地を塀で囲む住宅地設景手法にやっと変化が出てきた。過剰な塀やフェンス、門柱、お節介な標識などマイナスするデザイン認識がさらに浸透すれば、生産コストも削減でき、街並み評価も高めることが出来る。
 狭い都市空間の中で過密な土地利用をしている日本の街並み設景を考えるうえで、緑・花文化の長い歴史に裏打ちされた庭園文化の心がやっと花開きつつあると言う印象である。 
 11世紀にはすでに「作庭記」があらわれ、造園技法・様式が完成された。1791年と1972年の二回、博物学者エンゲルベルトケンペルが、長崎の出島から江戸の五大将軍綱吉に謁見するための旅をしてきた時、江戸は元禄の繁栄でにぎわい、庶民が花卉・園芸を楽しんでいる姿に驚いた。この頃は、ヨーロッパでは花卉・園芸は一部の貴族などに限られていた。
 日本では、庶民が鉢植え園芸や、盆栽などを楽しんでいて、それが今日に受け継がれているわけである。
 八代将軍吉宗は、1716年に将軍になったが、30年間の将軍職の間に、江戸に5箇所の花の名所を造った。墨田川堤防、飛鳥山、御殿山、小金井堤、の桜の名所と、中野桃園である。
しかし、江戸の大名庭園など、回遊式の庭園が出来る頃から花が少しずつ陰を潜めるようになった。三百有余の諸大名が、江戸の街に上・中・下と屋敷を造り、それぞれ日本庭園を造ったため千箇所近い庭園が江戸に出現し、江戸はまさに庭園都市の様相を呈しその維持管理など江戸の造園職は繁栄していた。「10年後の東京・東京が変わる」の8つの政策目標の一つ「水と緑の回廊で包まれた、美しいまち東京を復活させる」の思想は庭園都市江戸の再現と受け止めたい。
 将軍を頂点とした幕府が公(国家)に変わり社会資本整備としての公園緑地事業が進められ、その管理運営事業が重要な役割を持つ時代になった。
 他方、身近な居住環境に緑・花を増やす業務が市民を中心にして進められるようになってきた。
 このような公と市民の協働事業方式が定着してくると、市民の緑・花への知識・技術が向上し、住宅事業など公共空間についての批評力が強くなり、半端な設景では購買力を持たなくなってくる。 
 今まで都市計画上批判の対象になってきたミニ開発でも、ガーデニングの要素を取り入れて、女性好みに空間化されているところは評判が良い。このような事業者を訪問して現地を見学するとその背景には想像力の豊かな設景家の存在がある。このような設景家は多くの顧客に直接触れながら現場との間に立って社会のニーズを体得していて頼もしい。
緑・花についてのボキャブラリーも豊富である。このように私的立場の人たちが創出する空間はあまり華々しく表面に出てこないけれど、無名の作者の作品として草の根的に確実に繁茂している。
 これらの事象も含めて緑・花の事業は多様化して、従来の捉え方でない緑・花ビジネスが次々と生まれてくることが予測される。
 お洒落な街並み形成は、安易な派手さ、自己主張をつつしみ、住宅地全体の美しさ、個々の家々が美しい街並みみを形成するように考慮することが、結果的に地域全体の資産評価を高める事となる。このような成果を得るためには、最近の住宅地で、お洒落で美しい街並み形成がされているところは、それなりの専門の設景家・が係わっていることが多いことからも、個人の思い付き的発想を超え、正当な設景行為・専門の技術者の力を活用することが、良い成果を得る近道であることも触れておきたい。
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by harutokobayashi | 2008-03-15 15:52 | 設景の思想
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