1 1958年のメモ 5月14日 観光国 高田博厚(彫刻家) 日本美術家連盟の月例委員会の決議「道路沿線の広告看板はなんとしても国辱であるから撤廃を求める。」としている。 学問は実学にして慰にあらず、戯れにあらず、学問すなわち商売の資本と可申時勢に相成り候からには・・・・。明治18年12月「21日付き福沢諭吉 仕事に成功する秘訣 ドナルドAアード著 人生において成功者といわれるようになるためには、普通の人と同じことをしていてはいけないということのようだ。 人間の力が自然力を理解し、その法則を知ると共に、これを利用して人類を文明に導くものである。 都市美 都市美とは、自然的風物と人工の物的諸施設の中で、市民が長い年月の間に住みこなした歴史の中からかもし出されるものである。 都市美に対するわれわれの任務は、伝統を受け継ぎ積極的に保存し、後世に伝えることと、われわれの時代の都市造形を歴史の中に加えることである。 アーバンデザインは、都市に対する制御能力の創出から生まれた都市美を作り出すために今からでも手がけるべきこと 1、紋切り型の都市像を捨てる。現実離れしていても森林都市、農住都市、生態都市などのプロジェクトは、都市に対する既成概念を打ち壊す意味で有意義である。 2、同じ金を使うにも使いでがあるように使う。 3、町の中のデザインを良くしよう。美しい都市は資産価値を高める。 4、美観地区を指定し、そこにおけるあらゆる建設事業に対して大胆な美追求型の創造的管理を行う。 5、都市美に対するPRを具体的な事例で市民に示す。 6、官公庁に都市設計部門を作る。 巨匠とは、傑作を持って都市計画を支配するものである。記念造営物というような建築外の権威と精神の中で存在を主張するのではなく、建築造形のすばらしさで明日の都市計画を支配できるものこそ巨匠にふさわしい。独走においてはトップだけしかありえない。 6月21日 生活空間の創造 グロピウス よい建築は時代の生活を反映しなければならない。 生活の実際的仕組みを標準化することは個人をロボット化する意味ではなく、反対に個人が自由に向上するために不執拗な負担を取り除くことである。 6月22日 暗い背景の明るい像は、明るい背景の黒い像よりは大きく見える。 彫刻のボリュームは真実に近づけようと意図した効果を発揮するためには誇張するほうがよい。光が輪郭を少しずつ削り取るからである。 形と色の心理的影響。 ①紫は人を憂鬱にする。 ②黄色は人を活動的にし、陽気にする。さらに頭脳の働きを活発化し幸福感を与える。 ③ブルーは陽気な色である。 ④赤は頭脳を刺激し脈を高め、食欲を増進させる。 ⑤グリーンは冷たい感じである。 ⑥オレンジは暖かい感じがする。 ⑦ダークブルー、明るいイエローは塗った色より重く見える。 ⑧白い小屋の中で鳴っている電話は紫の小屋で鳴っている同じレベルの音より大きく聞こえる。 ⑨暗闇で食べる桃は、色を眺めながら食べるときよりまずい。 ミュラアー ライヤーの人間社会の法則 ①血族関係と種族法の時代 ②家族と家族法の時代 ③個人と個人法の時代 ④未来の協働社会と社会法の時代 2005年11月22日夕方メモを整理 ▲
by harutokobayashi
| 2006-05-01 12:33
矛盾 一般的に日本の景観について語る時、なぜ日本の都市は無計画で雑然としていて美しくないのかという否定的発言が多いのかということである。 特に都市計画・景観計画・建築家など景観と係わりの深い専門家の集まりの時などこの傾向が顕著である。 逆に日本庭園は、神・仏を外に求めず自分の中にそれらを求めながら、自分の住むところを清潔にして極楽浄土として抽象化し、美の極限を表現しようとした成果と受け取れる。装飾的なものを廃した市中の山居、茶庭・露地などで行われる茶道の所作は、俗界から離れて宇宙観、世界観、自然観を共有したもの同志の自然な交わり、人を和ませ喜ばす空間として、批判され続ける都市景観と対極を成すものである。 最近ヨーロッパへの旅が多いが、その時接する知識人たちは、資源に乏しい国土にありながら日本人が持つ繊細な感性で世界を凌駕する科学技術、多様な日本文化を構築する姿に強い関心を寄せている。未知なる物への憧憬もあるだろうが、日本文化が理解されて久しくなったということではないだろうか・・・。 この海外の日本文化への関心の高まり現象を、肝心の日本の前記した各専門家が理解せず現状批判と否定を繰り返しながら美しくない都市づくりに加担していることに気づいていないのではないか・・・。経済論理に翻弄される専門家たちの姿が生々しく目に浮かぶ。 (2006・4・30) ▲
by harutokobayashi
| 2006-05-01 11:32
| 設景の思想
「マイナスのデザイン」 20世紀急速な経済発展をした日本は、狭い国土に多くの社会資本整備を実施してきた。 ひと時、アジア諸国全体の公共事業量に比し数倍の規模で実施された日本の社会資本整備事業であったが、21世紀に入り、京都議定書の施行に代表される地球環境問題への取り組みの本格化と、国民生活の文化的熟度が向上した社会に近づきつつある中で、限度を超えた過剰・余剰といわれる社会資本のあり方が論議されるようになった。これら過剰・余剰といわれるものが著しく人々に不快な生活を強いているような場合、これらを除去していく作業、いわゆるマイナスして行く作業が注目されるようになった。 従来のデザインは、新しいものを作ることに中心がおかれすぎていなかったか、確かに20世紀は大量生産・大量消費の時代であった。古来より日本人の美徳であった、もったいない、分かち合う、結いの心などが忘れ去られたような出来事が続いた時期であった。その結果もたらされたものはゴミ社会の到来、環境と人々の心の荒廃であった。 そんな中、今人々は有り余るモノに囲まれながら、日々の生きがい、心の満足感、幸福感など、己にとってかけがえのないもの、己の納得のいく人生を今まで以上に求めるようになって来たのではないか・・・。 独創性に富んだ最高のこだわりのある人生、量より質の追求現象とも言える社会、このことは文化的なものを求めていることの証とも理解できる。 そこで過剰なものをマイナスし、文化的で個々人にとってこだわりのある生きがいを支える社会資本整備事業の実施を真剣に考えなければならないと主張するものである。 その意味で「景観・緑三法」の効果的実施に期待しているが、従来工学系の技術者が中心で進められた機能優先の過大社会資本整備事業を改め、芸術・文化を加味した「新社会資本整備」とも呼べる施策の実施こそが急務と考える。 私は環境芸術・景観にかかわる専門分野を横断的に結ぶ団体に所属し、環境芸術・景観などについて学ぶ努力をしてきた。構成メンバーは建築家、彫刻家、美術家、各種デザイナー、メーカー、建設業、林業、造園など多彩な人の集まりである。この団体の文化活動のひとつに優れた環境芸術、あるいは美しい町並み景観の創造に貢献している作品に賞を出す事業が続けられているが、その時特に感ずることがある。それは、せっかく優れた建築・公園・庭園・彫刻などの作品が設置されていてもその周辺環境にライフラインがスパゲッテイーを幾重にも吊り下げたような状態の電線、どぎつい看板の乱立が景観を破壊している姿が目立つ。これらの事はすでに叫ばれていながら旧態依然の姿が目立つ、新規社会資本整備事業の前にこれらをマイナスする施策を早急に実施すべきである。 ▲
by harutokobayashi
| 2006-05-01 11:30
高齢者の生き方考
私のふるさと信州・松本の同窓に、思想家で社会問題に取り組んでいる弁護士、山根二郎さんという知人がいる。氏は49歳からスキーを始め、独自のスキー理論を構築してふるさと信州のスキー場はもとより、20年間世界各地のスキー場で自己流理論を実践しながら、「100歳までの生涯スキーを広める会」を主宰している。100歳を超えても現役のスキー教師をしていた故三浦敬三さんに続けと益々意気軒昂である。 氏は、超高齢化社会が到来して健康・健康といって優しい場面のみに安住する中高年者の増加、健康第一と日々を健康のためにと超慎重、超安全に過ごす人が増え続ける日本の状況を憂え、中高年者は健康から挑戦で無ければならないと力説している。健康意識が強すぎて、希望に向けて挑戦することのない中高年生活者を増やしてはならないと力説する。 健康で持続可能なライフスタイルを構築するためにエコロジックに生活することを指す、LOHASなるアメリカからの輸入言葉も普及して、益々社会現象として健康への掛け声に拍車がかかる状況下、活力のある超高齢者社会の実現のために、「脱年寄り宣言」に共鳴する同志を増やそうと真剣である。同じ故郷で同じ山々の眺めを原風景としながら育った氏との語らいのひと時、お互いに古希に近づいた年齢になりながら、新しい力が湧いてくるねとニヤリ・・・。 大地に足を踏ん張って立ち、良質な緑の空間増大のために戦ってきたと自負する私にとって、今まで歩んだ職能の道幅を広げ補強して、新たな緑の職能世界を築くために挑戦するのが私に課せられた使命と考え、更なる挑戦のための準備を進めている。 ▲
by harutokobayashi
| 2006-05-01 11:28
| 設景の思想
ベルゲンでの作庭編集 | 削除
私は、信州松本、「玄向寺」を菩提寺とする浄土宗の家に生まれた。「玄向寺」は浅間温泉の南約1Kmの東山の麓に位置し、生家からゆっくり歩いて30分~40分前後の位置にあり、幼い日から家族とともに和尚の講話を聞きにつれられていった寺である。 この寺の存在は幼い時から畏敬の対象として理解してきた。 講話の時、大人に混じって兄弟で正座して聞いていると、和尚は「坊達正座しなくて良いから楽に足を伸ばして聞きなさい」とやさしかった。お経で鍛えた声がなんともぬくもりがあって、心が 和んだ記憶が今でも生々しくよみがえる。母も「お前たち行儀良く聞いていたね」とほめてくれた。これもまたうれしかった。 こんな幼児体験を持つ私が、今ノルウエーのベルゲンで日本庭園造りをしている。 1905年ノルウエーが独立した年、日本とノルウエーは国交を樹立した。それから100年が経過し、その記念に「花の万博協会」からの補助も受け、大半は国立ベルゲン大学とノルウエーの地元の経済人の寄付により建設費を得て作庭するものである。 ノルウエーは、日本とほぼ同じ面積に500万人未満の人口で、北海に面した国土の大半は美しい環境に恵まれていて、いたるところ完成した庭園である。それと共にこの大地の心を理解する時、信州の自然と共通したものを感じ作庭の方向付けを助けてくれた。信州人の私の感性で、ベルゲンの大地をキャンバスとし庭を造る。 石組みの作業をするところを近隣の人たちが興味を持って眺めに来る。これらの人の期待にこたえていかなくてはならない。 2006年二度目の現場も明日はひとまず切り上げ帰国するため、プロジェクトリーダーのブルニエフさんが家に夕食の招待をしてくれた。ご馳走になり外に出た時、北斗七星が美しかった。「僕の故郷の空もこのようにきれいです」と現地の仲間に自慢した。彼らは星空など意識して見たこともなく、北斗七星が自分の家の真上に見えるなんて気がつかなかったと笑った。 # by harutokobayashi ▲
by harutokobayashi
| 2006-05-01 11:25
| 設景の思想
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